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夢七夜  作者: ナギサ サトル
第二章
14/14

第七夜

 こんな夢を見た。

 雨が降っている。ざあざあ、ざあざあと。体を打つ雨粒は弾丸のように強く、胸を貫かれるようで痛かった。いやむしろ、いっそ胸を貫いてくれればよかったのに、と自分は思った。

 自分は家の前に立っていた。服装は真っ黒いスーツ…いや、もともとはもう少し明るい色だったのかもしれない…でも雨に濡れていて真っ黒だ…で、手にはぐちゃぐちゃになってしまった花束を握りしめている。自分は泣いていた。愛しい愛しい人を失ったらしい。悲しい、とも寂しい、とかそんな整理の付いた感情ではなかった。ただ、ひたすらに痛くて、辛くて、苦しくて、何も考えられなかった。

 「〇〇〇」

 そう言った最後の彼女の顔が目の前によみがえる。その直後のことも。自分を確かに押し返す手。拒絶の、証。

 自分はじっと地面をにらんだ。波紋が数えきれないほど浮かび上がっては消えていき、それを見ていると少しだけ心が落ち着いた。そうでもしていないと発狂してしまいそうだった。拒絶。拒絶。拒絶。お前は私にふさわしくないのだ、という拒絶。別れの言葉。自分たちを繋いでいた糸が切れる音。なぜ。

 自分はそのうちいら立ってきた。自分は彼女にかなり尽くしてきたらしかった。自分は一つ一つ、あれもしてやった、これもしてやった、と指折り数えた。しまいに二、三回拳を開いたり閉じたりして、自分は地面に足を叩きつけた。

 これだけのことをしてやったのにお前は自分を選ばないのか。自分とともにあることを選ばないのか。

 「くそ、くそ!」

 自分は雨音をかき消さんばかりの大声で叫んだ。雨戸をぴしゃりと締め切った目の前の家の中にもようく聞こえるように、喉を嗄らして叫んだ。

 「くそったれ!覚えてろよ!」

 脅すような言葉だが、出た声はひどく悲しそうで、悲鳴のようだった。さらにちょうど雷がごろごろと遠くで鳴り、声は少しも遠くへ届かなかった。自分は顔を覆って、しゃがみこんだ。何もできない。何もしたくない。このまま死んでしまいたい。そう思った。

 怒りをぶつけるあてもなく、自分のほほに伝っているのが涙なのか雨粒なのかも分からない。上等の革靴が濡れて台無しになってしまっている。水分を吸ってすっかり重たくなったジャケットが肩にのしかかる。指先から体温が奪われて、四肢が消えてしまったように冷たかった。ばくばくとうるさく脈を打つ心臓だけが熱かった。

 自分は指の隙間から地面に落ちた花束を見た。あれほど輝かしく咲いていた花は見るも無残になり、自らの敗北を明確に示していた。散ってしまった。さよならを、言ってしまった。

 女々しいとはわかっている。自分が悪かったのだ、ともよくわかっていた。だから、もっと嫌だった。自分のことはいくら嫌ってもいい。自分の胸を貫くのなど、首を絞めるのなど、腕を切るのなど何も痛くはない。でも貴方を嫌いになりたくはなかった。こんなクソ野郎の代名詞のような自分を好きになってくれる、た、貴方を嫌いになりたくはなかった。

 自分に責任があると知っても、クソ野郎の自分は相手を嫌いになることを止められなかった。押さえつけても、恨み言は次から次へと吐瀉物のように湧き出てくる。貴方の思い出が真っ黒く汚されていく。愛しい人が怨敵になるのが苦しくて、自分は嗚咽した。

 自分の感情に合わせていっそう強まるような雨が、夢の中なのにまるで経験したことのようにはっきりとしていた。文字通り半身を削ぎ取られたかのような痛みがずっと自分を刺し続けている。

 どうして、どうして、どうして…どうして?????自分はふと泣くのをやめて、立ち上がった。その瞬間にさっきまでの自分が死んでしまったかのように、表と裏がくるりと入れ替わったように心が急に凪いだ。自分は重たい体を引きずって、家の窓へ歩み寄る。よくよく見れば、雨戸の隙間から何かが見える。それを覗き込んだ瞬間、自分の意識は闇へ消えた。


 「…きて、起きてってば。」

 「……?」

 僕は頭上から降ってくる声に薄く目を開いた。蛍光灯の白い光と、それを遮る何かの影が顔にかかっている。半分まどろみながら、回らない頭で考える。

 僕は確か、雨の中で貴方を…

 「……!」

 思い出した瞬間、僕はがばりと起き上がった。目をしっかりと開いて、貴方がそこにいることを確かめる。

 「…あぁ、良かった!」

 「ちょ、急に何するの?」

 いつも通りの貴方がいる。僕は思わず、彼女に抱き着いていた。心臓がばくばくと高鳴って、息がうまくできなくなる。いる。僕のことを愛してくれている。

 「あなた、どうして泣いてるの?」

 僕はそういわれて、初めて自分の目から涙がこぼれていることに気が付いた。熱いそれはあとからあとからとめどなくあふれてくる。少し、恥ずかしいな。こんなところ貴方に見られたくない。

 「…何でもないよ。ちょっと怖い夢を見ただけだ。」

 「そう。よーし、怖かったねえ。いい子、いい子。」

 「子供じゃないんだから…いや、ありがとう。」

 貴方の小さい手が優しく僕の頭を撫でた。幼い子供にやるみたいにされているのは少し不満だったけど、その温かさは心を鎮めてくれた。いい感じに落ち着いてきた。そろそろ離れようか…いやこれもしかして最高に得してるシチュエーションなんじゃない?このまま膝枕とか頼んでみる?

 「あ、泣き止んだ。じゃあ、私ご飯の用意するね」

 「うあーちょっと待ってえー」

 失敗。優しいかと思えば意外と淡白だったりする…そういうところも好きだ、なんて思ってしまって、べた惚れだなあ、と小さく笑った。以前までの僕にはこんなことはなかった。職業柄、惚れてしまっては負けなのだから、あってはいけないというほうが正しいかもしれない。相手にほれ込んで逆に騙される結婚詐欺師なんてお笑い種もいいところだ。好きな人を裏切れるほど僕はできた悪党じゃない。

 ふんふふん、ふふん、と調子っぱずれの鼻歌を歌いながら、彼女が冷蔵庫から野菜を取り出している。今日のメニューはねぎの味噌汁と、豚の生姜焼きといったところだろうか。楽しそうに料理の準備をする彼女に、僕はつとめて普段通りに聞こえるように問いかけた。

 「ねえ、貴方は僕を嫌いになったり…しないよね?」

 不味った。声が上ずってしまった。やっぱりさっきのあれをまだ引きずっている。夢なんだから気にしないで忘れてしまえばいいのに、思ったよりもダメージが来ているみたいだ。不自然に思われなかったかな、とどきどきしながら、僕は息を殺して彼女の返事を待つ。

 「なあに、それ。お腹はいっぱいにならないわ、そんなことしても。ずっと一緒にいるよ。」

 「そっかあ。うーん、うれしいなあ!僕は幸せだよー」

 彼女らしい返答に安堵する。やっぱりあれは夢だ。

 「あ、でも」

 「…うん?」

 彼女がネギを切っていた手を止めて、こちらをじっと見た。そのどことなく不穏な雰囲気に、鼓動が早まる。

 「もしも私がどっかに行こうとしたら、あなたが止めてね。」

 「…もちろんだとも。」

 いつか、人と人は別れる時が来る。他人である以上、どれだけ親しくなってもどこかで二人の人生は分かれる。それが理不尽で悲しいものになるか、笑顔で名残惜しいものになるものになるかは僕ら次第だ。きっと僕のことだろうから、さっきの夢のように嫌われて拒絶されて、悲しいさよならになってしまうのだろうけど。

 いずれか必ず、僕らが幸せな生活を送った分必ず経験しなくてはいけないことだ。けれど、それはまだ今じゃなくていい。ずっとずっと先の、気が遠くなるほど未来の話でいい。僕らはまだこうしてのんきでいられる。

 さっきの夢はまさに悪夢だったが、おかげでなんだか大事なことに気づけた気がした。彼女の後姿を眺めながら、僕は心の底からこう思った。

 あー、夢でよかったー。




























と、そんな夢を見た。


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