第三夜
こんな夢を見た。
深夜、暗い部屋の中で自分が眠っている。どこかの高層ビル街の中らしく、カーテンのない窓から都市の色をした光が差し込んでいた。ここは地上14階なんだよ、と自分は思う。上にもまだビルは続いていて、下にももちろん階層が連なっている。ここと同じくらいの高さのビルは周りにもたくさんある。部屋をぼんやりと照らす主に青色をした光も相まって、まるで都市の中空に浮かんでいるような感覚を覚えた。
目を開いているような感覚はなく、眠りながらまぶたを透過してものを見ているようだった。自分は少し視線を動かして、部屋の中を見回した。小さな四畳半ほどの隅から隅まで、冷そのものみたいな洗練された空気で満たされている。たとえるなら、夜も深い大通りの、店のシャッターが閉まった直後。今日はもうおしまい、と目を閉じて、生の気配が空へと蒸発していった後。そんな生きたものの温かさがない部屋だった。
壁は目に痛いくらいの白で、ゆいいつ壁に掛けられたシンプルなデザインのアナログ時計だけがかちこちと(なぜだか)八時を指していた。
自分の眠る、部屋のど真ん中に据えられたベッドの左側は窓。バルコニーに出るところに似て大きなつくりだが、外にあるバルコニーは決して大きくなく、物干し台を立てるのさえ苦労しそうだった。ただ景色は一等によい。ずっと高みから眺める、絵のような夜景のきれいさはない。下の通りから感じる明るさやにぎやかさもない。だけど、人間が闇を打ち消そうと研ぎ澄ます光と、それでも重たくのしかかる薄っすらと青い闇の対比がここだけの美しさを生み出していた。
右側には何かが積み重ねられていた。光が届かずよく見えないが、じっと目を凝らせばわかった。花だ。植木鉢に植わったおびただしい数の花が壁にかかったり並べられたりしている。一つ一つがよく手をかけて育てられたものとわかる。種類も、咲く時期さえばらばらなそれらが静かに(いや、静かなのは当たり前なのだが)、目を閉じて休むように並んでいるさまは少し異様だった。いや、目覚めた今だから異様だと思えるが、その時は(ああ、仕事のか)と気にも留めなかった。花は見てみれば光を避けるように部屋の影の中に隙間を作らず配置されていた。目覚めるときにどうやって地面に降りようか、と自分は考えた。
一通り部屋を見て、自分の視線はまた元通り天井へ戻った。天井に照明のようなものはない。壁と同じようにつるっとしている。ベッド、窓、時計、そしてたくさんの花。それ以外にこの部屋には何も無いようだった。床は真っ白な毛足の短いカーペットが一面に敷き詰められて(というかもともとそういうもので?)いる。見たわけでも触ったわけでもないのに知っていた。ドアがあるかは分からなかった。というか、気にしなかった。ひどく孤独な、けれど恐ろしく懐かしいその部屋の中で、自分は唐突に、すとんと意識を失った。
少し時間がたって(?)目が覚めた。相変わらず時間は深夜。けれど先ほどとは少しだけ様相が違った。部屋が少しだけ、広くなったように感じた。窓からの光に違和感を覚えて左を向くと、いつのまにか周りのいくつかのビルは見下ろせるほどに高い位置に来ていた。今度は地上29階だ。そう知る。
こんどはきっちりとまぶたを開いて、自分はベッドの上に体を起こした。寝起きの何もできないような無力感?倦怠感?に包まれて、移動したのかもしれない部屋を見回す。相変わらず壁は真っ白く、窓にカーテンはかかっていない。上昇した分窓から差し込む光は減って、部屋の中の影が増えた。影が増えた分、そこに置かれていた花も(なぜか)増えたようで、今度は天井からも大量に吊り下げられていた。 この部屋は花のためにあるのかもしれない。六畳ほどまで広がった部屋の中で人工物が占める範囲はごく少なく、花の国にちぢこまって間借りしているような錯覚を覚えた。ここは人工物のジャングルたる都市の真ん中で、花を囲う壁ももちろん人の手によるものだ。だから決して、花の国などではないのだが、こちらに向かって影から手を伸ばす生命力にはたしかに圧迫感を感じた。よく眺めてみれば、先ほどと比べて植物の種類が変わった気がした。きれいな花ももちろん咲いているのだが、観葉植物のような花のない植物が増えていた。趣向を変えたのだろうか。自分は推測する。
窓の外は暗いけれど、相変わらず青っぽい光が煌々と照っている。夜などに屈しないと掲げられた、弱っちいたいまつのように。
自分はもう一度横たわって、やることもないので意識を手放した。
また、浮上するような感覚とともに意識が戻る。気づけば自分はずっと上まで来ていた。何階?今まで誰もたどり着いたことがないような上空?それを知ることはできなかった。
建物や通りの明かりはだいぶ下に見え、また広くなった部屋はほとんどが闇に包まれている。今度も花が増えているのだろう、と顔を上げて、自分はぎょっとした。
花はすべて枯れていた。植木鉢は無残に倒され、土がこぼれている。花弁は落ち、または萎れ、なんとか残っているものも元気がない。茎が力任せに引きちぎられているのには思わず目を覆いたくなった。裏切られた、裏切られた、裏切られた、そう植物が言っている。恨みを込めてうめいている。
「どうしてですか?」
明らかに人為的に壊されている。自分が眠っていなければ花たちを守れたかもしれないと思って泣いた。先ほどまでは何とも感じず、むしろ少し気味が悪いとさえ感じていた花が異常にいとおしく見える。自分はふがいなくて、泣いた。泣いた。
窓の外がわずかに明るくなった。朝日。深夜は、自分の時間は終わりだ。自分の周りのものが消えた。散らばった花弁も、さかさまの植木鉢も、窓も、時計も、部屋さえも。自分の座るベッドと自分だけが残っている。透明になったのか消えたのかは分からない。けれど自分は落ちていく。今まで上ってきた分、真っ逆さまに自由落下していく。
「嫌!嫌!」
自分は怖くて、それ以上に悔しくて、腕を振り回した。そんなことで落下が止まるはずもなく、手が届きそうだった星々がみるみるうちに遠ざかっていく。雲を突き抜けて、航空障害灯の海に飛び込んで、薄青い都市の光に包まれる。せせら笑うように、無様な自分に目を凝らすように、ビルは窓という窓に光をともしてこちらを見ている。浮上していくような感覚。これは落下の衝撃から心を守るための脳の働きってやつだろうか。落下は止まらない。地面が近づく。
そうか、あそこは檻だったのか。自分は都市を食らいつくそうとする植物たちに捧げられた、生贄だったのか。
それでもいいか、それでもいいや。




