香水
「香水ってさ、一種の束縛だと思うんだよね」
突然美夏が言う。放課後の教室に神奈たち五人グループは居残るのが日課であった。いつものようにきゃあきゃあと何気ない話で盛り上がっていたのだが、美夏の一言でしんと静まり返ってしまった。
「なになに、どうしたの」
この場をとりなすように明るい様子で話を広げようとするのは梨花である。
「ん、最近ニュースになってるじゃん?ほら例の通り魔殺人事件。あれの被害者の特徴がみんな香水をつけてる事だって、一昨日言ってたじゃん。」
昼も夜も問わず連日報道されているのが、この通り魔殺人事件だ。もう十数人の人が殺害されている。あまりにも被害者が多いので単独犯か、共犯者がいるのか、はたまた何件かは模倣犯の仕業ではないかとネットでも噂になっていた。被害者は男女問わず、年齢も十代から三十代と多少幅広かったため捜査が難航していたそうだが、やっと解決への一歩に近づいたようだ。
「だからって急にそんな話辞めてよね。私達みんな香水つけてるんだから。こんな話していると狙われちゃうかもよ」
はやしたてるような口調で言う梓だが、やはり怯えているようであった。
「そういう時は彼氏に守ってもらいなって。」
笑いながら優衣は言う。
このグループは先日まで神奈以外皆、彼氏持ちであったが、遂に神奈にも念願の彼氏ができたのだ。今日はその彼氏と放課後買い物に行くことになっていた。
「美夏、なんで香水が束縛なの?むしろ束縛するのはうちら人間側じゃん笑」
神奈は笑いながら美夏に問う。一連の流れを聞いてもあまり怖くないようだ。
「だって、香水って体に匂いを巻き付けるんだから匂いに束縛されてると思うんだよね。かけすぎたりすると服に染み付いて匂いが取れなくなるし。最悪な思い出とかあったら一生取れないよ。」
大袈裟だなと苦笑いしつつも神奈はちらりと時計を見る。そろそろ待ち合わせの時間だ。神奈は立ち上がりショルダーバッグの中を軽く漁ると香水を取り出した。新しい香水だ。軽く首元や手首につける。
「美夏その匂い大っ嫌い」
いち早く反応したのは美夏だった。続けて他の子達も香水を変えたの、いい匂いだの、これは好き嫌い分かれるよね、だのの声が飛び交う。神奈はその声を背中にして教室を出ていった。
電車に乗り空いている席に座り一息つく。今日の買い物は色々あったなと思い返した。
美夏達と別れて1時間が経った頃、黒の帽子を被った人とぶつかってしまった。その時たまたま香水を手に持っていたので、神奈の服に香水が飛び散ってしまった。大量にかかってしまい急いで洗い流したが、匂いが消えることはなかった。
ふうとまた息をついていると目の前に座るサラリーマンが目に入った。夕刊の新聞を持っている。一面はあの事件の事だ。被害者の身につけていた香水は男女で違うものであったが、男性の香水は富永会社のフレグランスの香り、女性は猿渡会社のハニーレモンの香りであった。
ハニーレモンは私と同じ。
何だか急に不安な気持ちになってしまった。そして美夏の顔が頭の中に浮かんできた。買い物中梓から、美夏が彼氏と別れて最近機嫌が悪かったようだと連絡が入ったのだ。確かに今日の美夏の様子はおかしかった。香水は束縛だと言ったり、匂いが嫌いと言ったりと明らかに普段とは違った。
最寄り駅に着く。神奈はドアが開くなり走り出した。駅から家までは走っても十五分はかかる。普段ならそのくらいの時間長くもなんとも思わなかったが、今日は酷く長く感じた。こんなことなら遅くならなければ良かった。
あともう少し、もう少し。そう思いながら走っていると不意に誰かとぶつかった。視界の端に写るのは買い物時に見た黒帽子を被った人であった。途端に感じる腹部の痛み。痛みに耐えきれず立ち止まって恐る恐る腹部を確認してみる。
血だ。だらだらと流れ出す。とりあえず家に帰り救急車をと、ずるずると足を引きずる。足がもつれて倒れてしまった。体を起こそうにも力が入らない。助けを呼ぼうとスマホを握りしめた瞬間、神奈は見てしまった。黒帽子を被った人が立ち止まりこちらを見ていることを。そして神奈が動けないことを知るとゆっくり近づいてくる。
来るな、来るな。神奈は必死で叫ぶ。黒帽子を深く被っているため顔がよく見えない。見えるのは口元だけ。しかしその口元もニンマリと笑っているのだ。今まで男だと思っていたが、よくよく見ると華奢な体つきに小さな歩幅。女だ。
腹部を二度三度刺された。刺されてる最中も顔はよく見えなかった。
じんじんとした痛みも刺されるうちにあまり感じなくなってしまった。今は微かにじんわりとした痛みが残っているような気がする。
冷たい地面の上に横たわっている。
『香水ってさ、一種の束縛だと思うんだよね』
何故か美夏の声を思い出した。