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iii (2)




 対馬(つしま)が中庭にあらわれると、子どもたちは正面玄関側の定位置に椅子をすえた。知利処(ちりか)が率先して切りたがったので、暗黙のうちに、順番は年長順となったようだった。

 二人め、昆陽太(こやた)が切りおわるころ、ポツポツと雨が降りはじめた。三人めを始める前に東校舎出入り口の屋根の下に移動し、中庭のあちこちにいた子どもたちもあつまった。じき、雨は静かな音をたてて細く隙間なく降りつのった。

 亮治が先を(ゆず)ったので、三人めは信乃(しの)だった。信乃がおとなしく席についた途端、軒下(のきした)(のが)れたばかりの桜が、雨の芝生へ駆け出した。


「桜! 何してんだよ」


 昆陽太が声をあげる。桜は先ほどまで遊んでいた辺りで、輪にした草をひろっている。濡れるよと清心も呼ぶが、対馬はハハと闊達にわらう。


「ちょっと濡れてた方が切りやすいな。サクちゃんは気が()くなぁ」

「あ」


 清心がとめる間もなく、今度は昆陽太が雨の中にとびだした。桜に駆け寄って腕をひく。そこへ、対馬が呼びかける。


「昆陽太は終わったから濡らさなくていいぞ」

「いいんだよ、切り(くず)を流すんだから」


 軽口をたたきながら、昆陽太は桜をつれて戻ってきた。二人ともそれほど濡れていなかった。

 下手(へた)に濡れると風邪をひくよと、清心がいっても取り合う二人ではないかもしれない。それでもいおうかいうまいか、清心がさだめかねていると、校舎の中から久野が顔を出した。


「雨になっちゃったから、今日は図書室にしよう。終わった奴からおいで」

「げぇ」


 昆陽太と桜が同じ反応をする。久野の後ろには知利処の姿がある。


「桜もきていいぞ。まだしばらくまわってこないだろう」

「いい。僕、ここにいる」

「おい、駄目だぞ、こいよ桜」

「僕、次だからここで待ってる」


 亮治(りょうじ)が表明し、昆陽太は桜に草の(たば)を置かせて立たせる。


「ほら、行くぞ」

「じゃぁ、信乃が終わったら桜は戻ってこような。信乃、終わったら図書室な」

「はぁい」


 よろしくお願いしますと、久野は対馬に会釈し、清心にも目礼して昆陽太と桜、知利処をつれていった。


 中庭に面したコンクリートのテラスに、信乃と亮治、対馬と清心の四人が残った。信乃は対馬にリクエストをきかれ、いつものと答えたきり黙ってしまう。亮治は桜が残していった草の輪をひろい、手首にとおしてクルクルともてあそんでいる。

 雨音が沈黙をやわらげている。

 清心は片隅から椅子をひっぱりだした。こちらをみている亮治にすわると問うと、亮治は首を横にふって、雨の手前の階段に腰かけた。

 清心が椅子に腰をおろすと、対馬は信乃と会話を始めた。


「信乃ちゃん、髪のびたねぇ」

「うん」

「信乃ちゃんは知利処ちゃんみたいにのばさないのかい」

「ん? いつものでいいの」

「そうかぁ。ちょっとのばして、知利処ちゃんとお(そろ)いでも可愛いぞ」

「信乃はいまのでいいよ」


 亮治がふりむいて口をはさんだ。

 対馬は少々おどろいた様子だったが、すぐ呵々(かか)とわらった。


「そうだな、いまで十分可愛い」

「ねぇ、おじちゃん、おじちゃんは誰に切ってもらうの?」


 亮治が問うた。それからは亮治と対馬の会話になった。

 対馬は自身の、ポニーテールに結った、半白の長髪をゆらしてしめした。どうしても邪魔になったら自分で切る、前髪は自分で切ってるし、まめにあらってるからキレイだぞと、ちゃかすように答えた。

 亮治は感心したようだった。


「じゃぁ、おじちゃんは髪を切ってくれる人がいないんだね」

「そうだなぁ、(りょう)くん、大きくなったら切ってくれるかい」

「うん、切るよ。うまくできるかなぁ」

「うんと練習すればできるよ」

「おじちゃん、わたしも切ってあげるよ」


 信乃の申し出を受けて、対馬は顔をクシャクシャにしてよろこんだ。

 清心はその光景を、少し離れたところからみまもっていた。

 妙な錯覚をおぼえた。いままで張り詰めてきたものが、飽和して拡散してしまうような。

 おそらく対馬にとっても、子どもたちにとっても、この機会は重要なのだと思う。子どもたちは対馬をとおして外部の知識に、対馬は日常めぐりあえない幼い子らの感性にふれることができる。


 信乃が終わり、亮治の番になると、桜がやってきた。対馬の技術は見事で、いつも的確で素早い。亮治を図書室へ送り出し、桜の散髪が始まってから、清心は久野も切りたがっていたことを思い出した。

 亮治が行ってしばらく()ち、ついに桜が終わっても、久野はこなかった。

 椅子から飛び降り、駆けだす桜の背に声をかける。


「桜。久野先生を呼んできてくれる?」


 自分は(ほうき)をとり、清心は髪の毛のちらばったコンクリートを(きよ)めようとする。


「トミー先生?」

「うん。トミー先生に、終わったので次どうぞって」

「わかった」


 清心が行ってもいいのだが、対馬を一人にするのも悪い。桜がいなくなり、対馬はケープを払って椅子に腰をおろす。清心は髪を(ちり)取りにあつめ、バケツに入れて、あつめきれなかった分は階段下の芝生に()き出した。

 雨音は同じ静けさで続いている。


「清心先生。お父さんは、お元気ですか」


 清心は顔をあげた。

 対馬は眼鏡の奥から、(なご)やかな目つきでこちらをみていた。

 立ち働いているときとくらべ、急にふけこんだようにみえる。


「はい、おかげさまで」

「そうですか。それはよかった。この時分に、男手ひとつで娘さんを大学までやるなんて、大したお父さんだ」


 本当にと清心は(うなず)いた。

 対馬とこういう話をするのは、はじめてのことではない。二度、三度と、会うたび、対馬の口からそれを聞いていた。

 話題も内容も、ほぼ同じことの繰り返しである。それでもこのお決まりの遣り取りが、清心は決して嫌いでない。

 安心するといってもいい。

 雨音がたちこめる。清心は少ない階段をのぼり、箒を壁ぎわに立てかけた。


「清心先生は、のばされるんですか、髪の毛」

「いえ、そういうわけでは……のびるのが遅いので」


 そうですかと応え、会話はまたとぎれそうになる。

 清心は考える。

 外のことについて、きいてみようか。

 何をきくのだろう? はっきりわからないが、何かをだ。

 何でも。外の事情に関することなら、どんなことでも。


「あの――」

「すいません、遅くなりました」


 ガラス戸がひらき、久野がやってきた。清心は口をとざした。


「待ちましたよ。真打(しんうち)遅れて登場だ」

「いや、すみません」


 対馬がパッと立ち、久野が席についた。清心はそっと戸口へしりぞいた。

 何をいおうとしたのか。何も、何か言葉がみつかっていたわけではないのだ。

 二人は相談をとりまとめ、はや散髪にとりかかる。

 その直前、久野がふりむいた。


「清心先生。図書室の方、お願いします」


 ()け合って、清心は薄暗い廊下に入った。

 足早に図書室へ向かう。さっきの瞬間を思いかえす。

 やましいことではない。久野のいる場所で、対馬にきいてもいいはずだ。

 久野を疑うわけでも、裏切るわけでもない。

 対馬を(まじ)え、三人で話しあう、それが一番理想的かもしれない。

 だが実際のところ、子どもたちを()ったらかすわけにはいかない。何のために久野と清心がいるのか、それでは意味がなくなってしまう。

 朝も自習、昼も自習では、子どもたちも()んでしまう。息がつまるような心地がするのは、なにも清心だけではないのだ。

 二階にのぼり、図書室の戸に手をかけた。

 場所を変えることは有効だが――。

 カーテンをしめ、蛍光灯の下で、子どもたちは思い思いの本をひらいていた。

 輪の最奥(さいおう)で信乃の手もとをのぞきこんでいた知利処と、目が合った。

 子どもたちが清心に気づき、ふりかえる。逆に知利処は視線をそらし、持っていた本のページをパラとめくった。


「清心先生、トミー先生来た?」


 桜に問われ、清心は頷く。礼をいう間に桜は寄ってくる。


「先生、()本読んで」

「うん、いいわよ」


 そうだ、知利処がいるのだ。

 認識をあらためなければいけない。

 久野もそれをわかって、図書室をえらんだに違いない。


 清心は桜から本を受けとり、近くの席についた。

 隣に桜が腰かけてから、表紙をひらく。

 桜が持ってきた絵本は、一年生の教科書にも載っている作家の書いた、別の物語である。

 桜が独力(どくりょく)でこれをえらぶとは、ちょっと考えにくい。

 誰かがえらんでやったのだ。そうだとすれば、それは久野か知利処しかいないだろう。

 学年も性別もバラバラの子たちが、全員、おのおのの本を手にしている。

 近くにいてもおしゃべりはせず、あるきまわりもせず、じっとして本を読んでいる。

 奇特なことである。

 少なくとも、興味の持てる本がなければ、こうはならない。

 目当ての本があっても、それを探しだせなければ。

 その点――鍵を持ち、空き時間は自由に出入りしている。

 知利処はいまや図書室の(ぬし)といっていい。






 夕食の後、清心は一人で視聴覚室に入った。久野は今日は男児らと一緒に入浴するといい、男子部屋で順番をまっている。散髪後の頭を早く流したいらしいが、ついでに、普段よりちらかるだろう風呂場を片付けてくれるつもりのようだった。

 清心は日誌をとって長机についた。いつもは久野がすわる場所で、久野がするようにページを()る。これまでの日付には、食品、備品の出納(すいとう)や修繕の記録が丁寧に書きこまれている。

 今日の特記事項といえば散髪だけである。その他、もしかしたら久野は対馬と物品の受け渡しをしたかもしれない。清心は前回の散髪の記録をさがした。

 ひとつきほど前だった。散髪した者の名前、人数、場所、大体の所要時間と、お礼としてわたした品物がしるされていた。

 最後の項目を(のぞ)けば、清心にも書ける事柄である。清心はペンをとり、前回の書式に準じて記録をつけた。

 書ける分がすむと、残りは久野にまかせることにして、日誌とペンを机に置く。

 立ち上がって窓の外をみる。

 雨脚は昼間より激しくなっている。

 明かりのついた南校舎の廊下を、折しも昆陽太と亮治が駆けてきていた。浴室の戸をあけ、中に入る。もう女児二人は出たようだ。

 (きびす)をかえし、清心はパソコンの電源をつける。

 起動をまちながら、肥料のつくりかたを検索しようときめた。みつからなければしかたないが、みつけられるなら、それにたよった方がいい。理科に関しても農業に関しても、清心は自分の勘を信用していない。素人(しろうと)考えでつくった鉢植えの中身は、あのままだと何にもならないような予感がする。


 なぜ図書室で資料を探してみなかったのだろう。いまさらながら清心は気づいた。もしかしたら、知利処にきいてみればいいのではないか。あの、広いとはいえない図書室の蔵書なら、全部暗記していかねない貫禄(かんろく)があった。

 相談するのは悪いことではない。自身が詳しくないことなら、まして相手が最年長の知利処なら。よい案がうかぶことの方が多いかもしれない。

 みなれたデスクトップが映ると、清心はマウスをあやつった。まずは検索してみてからだ。そう思いつつ、日課として、最初にメールの受信をする。

 受信フォルダには、叔母のアドレスからのメールがとどいていた。ひと目でそれとみとめると、清心は迷いなく開封した。

 一度読み、しばらく間をおいて、もう一度、頭から読みなおした。

 普段の叔母のメールとは(こと)なった。

 いつもは叔母の近況や、父の様子、父からの伝言、励ましの文句などがならんでいる。文面は長いがなめらかで、一気に読んでしまうことができる。

 それなのに、今度の文面は、どうも不恰好(ぶかっこう)だ。

 文がひとつずつ点々とあって、長さはまちまち、変なところで改行している。

 だからパッとみ、文字数は少ないのに、やたら読むのに時間がかかる。

 叔母の文章とは、(にわか)に信じがたい。もちいる言葉の端々(はしばし)は、たしかに叔母のものなのだが。

 それに第一、意味がわからない。

 清心はモニターにみいった。


「――清心先生」


 肩をたたかれ、顔をあげた。肩に乗る手は久野の腕につながっている。

 近くの戸があいていて、廊下と暗い窓がみえる。

 隣に立っているのは久野である。


 久野――いつの間に、きたのだろう?


「清心さん」


 肩の手に力をこめられ、清心は思わず身をひいた。久野をうまくみれない。モニターから目が離れない。

 久野の横顔が、画面を覆うようにして、清心の眼前に割りこんできた。

 清心は息をつめた。

 久野をとめようと腕に手をかける。ひいて、画面から遠ざけて、隠してしまいたいのにままならない。

 指がふるえて力が入らない。

 ……読んでしまっただろうか?

 久野先生と呼んでみる。情けないことに、発声すらまともにできなかった。

 久野はゆっくりふりかえる。

 その顔つきをみるに、どうやら、メールの意味をきちんと理解できたようだ。

 どうしてだろう。

 清心にはまだ意味がよくわからないのに。

 久野のシャツの袖をひこうとする。しかし指先は、小刻みにゆれるばかりで動こうとしない。

 まるで自分の手じゃないみたいだ。

 パシンと音がした。動かないままの手が、()()けに温かくなる。

 久野が手を握っていた。


「清心さん」


 久野は膝をおとし、目線を清心より低くして、まっすぐ清心をみた。小さな声で呼んだ。

 指が、徐々に動くようになる。

 清心は手を強く握りかえした。

 久野先生と、もう一度呼ぶ。声は出たが、やはりまともではない。

 うんと低い声で頷き、久野はじっとしてまっている。

 清心は文面を思い出す。一旦、視線をモニターから外したら、今度は二度とみたくない心地がした。

 切れ切れの文。

 短い通信。



「清心ちゃん


 昨夜、兄が息を引き取りました。


 少し前から入院していて、すぐ戻るからメールするなと言われていたの。

 私もすぐ戻ってくると思っていたんだけど

 容態が急変して


 兄は来るなといいそうだけど、

 また

 今後のことはまた連絡します。」



「父が……」

「うん」

「父が」


 うんと、久野は何度も頷く。

 ヒッと鳴って、喉がつかえた。何もいえない。

 呼吸がおかしい。

 どうやって息をするのか、思い出せない。

 何かいおうとした矢先、久野の腕に抱きしめられた。


「言わなくていい」


 あやすように背をたたかれる。

 囁きで(せき)が切れた。


豊季(とみとき)さん……!」




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