解①
知利処
先生がわたしを求めてくれたとき、うれしかった。本当に。
痛かったし、怖かったけど、おどろかなかった。痛みはいつか消えるし、怖さはそのうちなくせるだろうと信じていた。確信だった。
先生はわたしに縋った。わたしは先生が好きだった。先生がわたしをたよったのだ、わたしは支えるだけだ。もし、それが、たまたま手がふれただけで、特別わたしをえらんだのでなくても。先生に必要としてもらえるなら、それでいい。それがいい。わたしは他の誰でもない、先生のための、わたしになれる。
それに、わたしにはみぃがいる。
困ったのは、難渋したのは、痛みがなかなか消えないこと、それより怖さがなくならないことだった。痛みが消えるより、怖さがなくなるより早く、先生はわたしを呼んだ。恐怖はどうしてもよみがえり、わたしはそのたびにみぃをたよった。わたしには、みぃが必要だった。わたしに牙をむかない、爪をたてない、力とは無縁で、いたわり信じてくれる存在。みぃと二人の時間が、わたしをたすけてくれている。
先生の手をはらうことは、ありえない。わたしの手は、足は、先生を支えるには小さい。伸びた背も、体も、先生を守るにはたりない。でも先生が縋れるのは、わたしだけなのだ。他の誰にもこの役目をまかせたくない。
それは本当。本心。本音だ。
なのにどうしてだろう、わたしはわたしじゃない、他の誰かになりたかった。誰でもいいから、わたし以外の、誰かに。
おどろいても、困っても、みぃはわたしに付き合ってくれる。つまらない符号も、二人のあいだでは、問題にならない。口だけの約束も、一々大事に、守ってくれている。
どんなにうれしいことだろう。
夕が出ていって、どこにも見つからない、先生がそれを理解して泣いたとき、わたしは夕の行き先を考えた。最初に思いついたのは、出入りの床屋、対馬さん。先生には言わない、想像でしかないから、でもありうることだと思う。夕がここを出て、食うや、着るや、寝るに困ったとき、咄嗟にたよれる人。少なくとも知り合いで、行き会う誰かより信じられて、話ができる。補給のための、先生と二人の道すがら、外に知り合いをつくるなんて、夕にはできなかったと思う。そこまで器用なタイプじゃなかった。出ていったのは、ただ何となく、先生と一緒に悪事に手を染めるのと、この閉じきった学校にいるのが我慢できなかったのだろう。
対馬さんに聞けば、夕のことがわかるかもしれない。そう思っても、聞かなかった。タイミングもなかった。それに、夕がわたしや誰かに伝言があるなら、対馬さんがこっそり言ってくれるだろう。対馬さんが何も言わないってことは、夕に会っていないか、口止めされているか、言いたくないのだ。見かけたなら先生に伝わるはず。それがない。つまり、夕が相当うまく遠くへいったのか、運悪くどこかの大人につかまったのか、それとも……。二度と会えないのかもしれない。
新しい先生がくるとわかったとき、先生はパニックを起こして、それまで以上に乱暴になった。本当に痛かったけど、なにより先生が可哀相だった。先生が、事実は先生の資格を持っていないと、夕から前に聞いたことがあった。そのときは、よくわからなかったけど、先生を見てなんとなく理解した。先生は、ついてなかった。ほんとの学校なんてほとんどない。この近くに見たこともない。それでも先生は、ちゃんと先生をやっていた。曲がりなりにも。夕がいたときは。
先生は悪くない。
新しい先生は――生憎、すべてにおいて正しかった。
ほんとの資格、学校に通った実績、それにもとづく知識、その上きちんと育ててもらった道徳。完璧だった。先生が唯一、優位に立てるのは、新しい先生が女だというところ、そこだけだった。先生はそう思っていた。
それだけが先生のプライドになった。新しい先生も、なにも言わなくても、そこだけはわきまえているようだった。
その物わかりのよさと、言動の正しさは、矛盾している。
終わりは見えていた。わたしたちは、わたしや、みぃや、新しい先生は、一人では外に出れない。ほかの子も、まだ小さい。コータはまだしも、オミは、あんなにも、夕が戻るのを信じてしまっている。
夕は戻ってこない。
先生は限界だ。
わたしの体は女になるのだった。
これきり。
幕を引かなければならない。




