ナイトメアの虚構
1.
見るもの全てが真実ではないとして、あなたはそこに何を見出すのだろう。
かつて、デカルトが唱えた「我思う、故に我在り」という言葉を思い出す。
例え己がみる世界全てが虚偽であったとしても、そこに疑いを持つ自分自身は真実であり、そこにいる疑う自分こそはその存在を疑い得ないという考え方だ。
では、もし今見える世界が虚偽だったとして、そこで何の疑いも持たず生きる者は、はたして真実の存在と言えるのだろうか。
そんなことを考えつつ、彼は窓の外の世界を見つめ唇を噛み締めた。
××××××××
2.
サバゲーと呼ばれる競技をご存知だろうか。
正式名称「サバイバルゲーム」
エアソフトガンとBBガンを使用した戦闘を模したリアルアクション遊戯だ。
日本発祥と言われるその競技は、この20xx年世界で最も熱い遊戯となっている。
街一つ改造しての競技フィールドを使った大規模戦闘すら行われ、ゆくゆくは五輪競技としても検討が囁かれているようだ。
高校2年生の忠国立華もまた、そのゲームに熱中する一人である。
「あー! 今日も楽しかったぁ!」
大きく伸びをしてソファーに身を投げる立華は、クッションに顔をうずめ気持ちよさそうに「にゅへへ」と声をもらす。
じんわりと肌に染みるような冷たい風が吹く季節。昼間の太陽がポカポカと注ぐ旧校舎四階の一室は、昼寝には絶好のスポットだ。
ここはサバゲ部が勝手に使用している裏部室。通称「砦」。
11畳1間の空間には、自分たちで持ち込んだボロソファーが三点に作業机が二台。あちこちには、様々な武器やその他予備パーツなどが散乱している。
入り口は廊下側に一つあり、それ以外に隣の倉庫として使っている部屋へ続く扉が一つ。縄梯子も常備してあるため、一応窓からも出ることが可能だ。
そんな如何にも秘密基地と言えそうな我らが砦であるが、今日はどこと無しか落ち着きがない。
「まだ気を抜くな。もう一回くらいは波が来そうだ。……まだ残ってるだろうが、とりあえず持っとけ」
そう言って立華にマガジンを三本ほど投げるのは、アメリカの軍人のようにひきしまった筋肉を持つ長身の男性だった。
源藤哲勢。立華と同じサバゲ部に所属し、部長を務めている男だ。
迷彩柄のボトムスに黒いタンクトップを着込み、使い古したミリタリージャケットを肩に引っ掛けるように羽織っている様は、さながら傭兵のようだ。一般的な女子高生である立華からすれば、巨人のように見えてしまう。
彼は重そうなブーツをゴトゴトと鳴らし、隣のソファーに向かいドッカと腰掛けた。
立華は「……うーん」と呻くような声を上げつつ、受け取った[SMG用大容量クイックドローマガジン]を自身の腰にあるホルダーに仕舞う。
「あれ? 島村君は?」
不意に思い出したかのように部員の名前を口にした立夏は、トテトテと入り口の方に歩いていく。
「……アイツは、やめたよ」
「え?」
一瞬の間を取り繕うように早口で答えた源藤に、立華は動きを止める。
「えぇ。またですか? 速水さんも善家君も井村君もみーんなやめちゃったじゃないですか。島村君まで辞めたら、もう私たちだけじゃないですかぁー」
立華の言葉に、源藤は若干気まずそうに返答する。
「……まぁ、危ないっちゃ危ないからな」
そう言って源藤は、肩に担いでいた愛銃[M249]を撫でる。
M249は、発射速度、有効射程距離ともに申し分のないライトマシンガンだ。弾倉数は100発とマガジン交換のスパンが長いため、非常に戦いやすく性能だけなら使い勝手のいい武装である。しかし、銃本体の高重量と発射に伴う激しいの振動やノックバックに耐えるには、彼のように鍛え抜かれた強靭な肉体を持つ必要がある。つまり、あの武装は源藤が扱うからこそ素晴らしい武器として成立しているのだ。
そんな彼を一瞥し、立華は面白くなさそうに再びソファーに身を投げる。
「えぇ~。でも、相手はシミュレーターですよぉ?」
「…………まぁ、肌に合わなかったんだろうな」
「そんなぁ~」
立華は残念そうな声を上げ、駄々をこねる子供のようにジタバタとクッションを蹴る。
本日は土曜日で、授業は休みだが部活動のための施設使用は可能だ。サバゲ部は、旧校舎を含める旧学園敷地内全域での演習を許可されている。
人数が少ないこともあって、練習は「体震感シミュレーター」と呼ばれる機材を用いて行われる。首の後ろに取り付けた小さなデバイスから発信される信号を脳が受け取り、目の前に仮想現実を投射することで、そこに現れた敵と戦うと言ったシステムだ。デバイスの信号は繊細でVRやARとは比べ物にならないくらいリアルな世界が体感できる。
源藤は、本校舎の方を眺めた。
となりの本校舎からは、野球部の気合の入った怒声が響き、部活動の活発さを感じさせる。
旧校舎と本校舎敷地内は、陸橋で繋がっており行き来は比較的容易だ。
「じゃぁ、私売店でお昼買ってきますね!」
立華は、そう言ってスキップしながら部屋から出て行った。
「おぉ。……早く戻れよ」
「はーい」
パタパタと廊下を走る立華の足音が、徐々に遠ざかっていく。
小さくため息をついた源藤は、チラリとソファー前に置かれているテーブルを見た。
そこには、散乱したパーツと……、
「っ!」
目を見開いた源藤は、机に放置された立華の愛銃[UMP45]を凝視する。
彼は、すぐさまソレを引っ掴むとM249を担ぎ直し部屋を飛び出した。
××××××××
3.
私は軽いスキップをしながら、廊下を進む。
旧校舎の窓から見える晴天の青空は、今日も清々しい。最近雨が続いていたこともあってか、雲の無い空が何だか懐かしく感じてしまう。
陸橋を渡り新校舎へとたどり着いた私は、廊下の端にある階段を一階まで降りていく。
途中で部活中の友人たちに出会い、軽く手を振った。皆吹奏楽部ということもあってか、フルートやトロンボーンなど名前と形しか知らないような楽器を上手に演奏している。みんなで何かすることに少し憧れがあるのか、少しだけ胸がチクチクした気がしたけれど気にはしなかった。なぜなら、自分にもキチンと居場所があってそこで活動することが自分らしさだと思うから。
「……なんで辞めちゃったのかな」
そんなことを考えた時、不意にそれまで聞こえていた楽器の音が消える。
驚いて立ち止まった私は、思わず振り勝った。
「あれ?」
視線の先にはそれまでいた友達はおろか一切の人の姿が無く、空も血のように真っ赤に見える。窓ガラスは割れ、周囲にはガラスが散乱していた。更に、どこからか低い重機のような音が聞こえてくる。
「え……え?」
なんだか怖くなった私は頭を振り、目をこする。
すると、再び吹奏楽の音が聞こえ、空は元の色を取り戻す。視線の先では、何事も無かったように友人たちが楽器を演奏している。
……なんだったんだろう。
私はモヤモヤとした感情を抱えつつ、それ以上は敢えて考えずに階下へと急いだ。
階段を一気に駆け下りて、食堂横の売店へと駆け込む。
「いらっしゃ~い」
店員のおばちゃんの間延びした声が聞こえ、私はホッと胸を撫でる。
私立の進学校ということもあってか、この学校の売店は結構大きい。コンビニ1件分くらいとまではいかないが、それに近いくらいの規模はある。品ぞろえも良く、基本的に不便することは無い。
その時だった。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピ
けたたましい電子音が私の鼓膜を震わせる。
体震感シミュレーターが発する敵襲を知らせる警報音だ。
「なんで?!」
私は驚いてあたりを見回す。シミュレーターが起動するのは、演習エリアに設定されている旧校舎のみのはず。本校舎で起動するなどあり得ない。ましてや、売店でなんて……。
その時、視界がブレて先ほど見た真っ赤な世界が、私の目の前に広がった。
レジにいたおばさんの姿は無く、代わりにあちこちには血が飛び散ったような跡がある。
「な、なに……これ……」
すると、突然すぐ近くで何かが物音を立てた。
慌ててそちらの方向を見ると、陳列棚の影から何かがゆったりと姿を現す。
「っ!?」
現れたのは、艶のある甲殻を持つ虫のような生物。二足歩行の生物で、人と言うよりもファンタジーに出てくるモンスターと言う方がしっくりくるだろうか。シミュレーターにあんなモンスターは設定されていない。
私は慌てて背中に手を回し愛銃に手をかけ――――――――。
そこで私は恐ろしい事実に気が付いた。
無い。UMPが無いのだ。
先ほど砦のソファーに座った際に、愛銃を机に置き忘れたことを思い出す。
私は慌てて首後ろにつけたシミュレーターのインターフェイスモジュールを無理やり引き剥がす。
しかし、
「消えない?! なんで――」
その言葉を最後まで発する前に、私は背後の壁に叩きつけられた。
「ぐっ!!?」
突然のことに困惑し、苦しさのあまり息が詰まる。
私はその生き物に首を掴まれて、壁に押さえつけられていた。
シミュレーターにこんなことはできない。
これは……現実?!
だとしたら、 さっきのは――――――――――
目前に迫るモンスターの顔に、私は青ざめる。鼓動が激しく今にも心臓が飛び出しそうだ。
徐々に占められていく首の圧迫感で、意識が遠のきそうになる。
殺される。
本能的にそう感じた。理解できない状況の中、飛び散った血液と赤い空が、その直感を増幅させる。
その瞬間だった。
「その汚ぇ手どけろやぁああ!」
突然聞きなれた声が響く。
直後、激しい連射音が周囲に響き、目の前のモンスターが大きくグラついた。
凄まじい握力から解放された私は、その場にへたり込み大きくせき込む。
「せ、先輩……」
視界の隅から飛び出して来た源藤が、モンスターを蹴り飛ばし自分に向かって何か言っている。
しかし、その声は届かない。
私の意識はぼやけ、いつの間にか真っ暗闇へと落ちていった。
××××××××
4.
俺はバケモノを蹴り飛ばし、へたり込む立華に声をかける。
「立華! 生きてるか!?」
しかし、立華は答えず、その場にパタリと倒れてしまう。
「クソッ!」
その時、蹴り飛ばされたバケモノが陳列棚の瓦礫から飛び出してくる。
覆いかぶさるように飛び掛かってくるバケモノに対し、俺は肩に羽織っていた上着を投げつけた。
バケモノは耳をつんざくような激しい咆哮をあげる。
一時的に視界を奪うことで、左に飛び退いた俺はM249の引き金を引いた。
金属を叩くような激しい連射音とともに、射出される弾丸がバケモノの血肉を裂きその右腕を引きちぎる。
絶叫を上げるバケモノが身を庇う様に背を向け、刃物のような尻尾を突き出してきた。
「ぐぅっ!!」
瞬間的にM249を盾にして身を守るが、銃身が砕かれる音とともに俺は大きく吹き飛ばされた。
陳列棚に背中から突っ込み、俺は苦痛の声をもらす。見ると、M249は中心に穴を開けられており完全に破壊されている。
俺はM249に突き刺さっている尻尾の先端を掴むと、腰からナイフを引き抜く。
奴の尻尾は先端のみが刃物の形状をしているだけで、そこ以外は薄い甲殻にしか守られていない。
力強く尻尾をグッと引いた俺は、刃物の付け根に思い切りナイフを突き刺した。
激しく尻尾を震わせるバケモノだが、俺はひるまずバケモノの尻尾をナイフごとフロアに釘付けにしてしまう。再度絶叫するバケモノと飛び出した鮮血。
俺は真黒な血液を交し、一歩踏み込むと手甲の装着された拳でバケモノの前頭部を殴りつけた。
大きくぐらついたバケモノが眼球をグルリと回しているのがわかる。
すかさずソイツを売店の奥に蹴り飛ばし、俺はすぐさま立華を肩に担いで売店から脱出した。
俺は去り際に、ポケットから取り出した手榴弾の栓を抜き売店の奥に放り込む。
「死ね」
数秒の後、凄まじい炸裂音が鳴り響き売店が爆炎に包まれる。
俺は大きくため息をつくと、血まみれの廊下をゆったりと進んだ。
これは全て現実である。
10年前、巨大な隕石の落下とともに地球にアイツらがやって来た。
本能のままに暴れ、生物に寄生することで数を増やすアイツらは、あっという間に世界の総人口の八割を喰い潰す。
近年ようやくヤツらの装甲を砕く分子分解質のナノ合金弾丸が開発されるが、少々遅すぎた。
俺たちはサバイバル生活を余儀なくされ、週に一回空から支給される物資が無ければとても生活できる状況ではない。それに加え、いつ現れるかもわからないエイリアンたちの脅威に怯え、毎日を生きている。
立華とは二年ほど前に、支給品回収に向かった先で知り合った。
基本的に支給品回収は、殺し合いだ。僅かな物資を奪い合うため、多くの人間が互いに武器を取る。極めて無益な争いだと思う。だが、そうでもしなければ生き残れない。
俺は立華の両親が支給品争奪戦で殺されるのを見ている。奴が妄想に囚われたのもソレがキッカケだろう。本来なら彼女も殺されるところだったが、焼きが回ってしまい助けてしまった。
なぜ助けたのだろうか。あんまり覚えてはいないが、かつて失った妹と重ねてしまったからかもしれない。正直、深いことや感傷に浸るほど余裕が無く、以前の家族について思い出すのはやめている。考えたところで戦いに生き残れるわけではない。洗練すべきは、思考ではなく本能だ。
俺はふと、肩に担いだ立華に視線を移す。
息はある。気絶しているだけのようだ。
目を覚ませば、再び彼女はあの妄想の世界に囚われる。サバゲ部に友人たちの存在、青い空……。
俺は顔をしかめ、窓から見える真っ赤な空を睨む。
そんなものここ数年俺は知らない。22歳の俺は中学一年の時からこの現実を生きている。詳しい理由は知らないが、奴らの吐く物質がオゾン層を破壊し太陽光が常に赤く見えるからだとか誰かが言っていた。全く残酷な世界だ。俺もどうせなら立華のように妄想を見ていたかったものだ。
ふと俺は、午前中に亡くなった島村のことを思い出す。
奴は強かった。でも、最後の最後に本能よりも思考に頼った。それが仇となって死んだ。
人類にとって思考を使い戦うことは古来より美徳とされてきたが、生死を目前とするような戦いでは如何に本能に忠実かが死線を分ける。瞬間の戦いに知性など微塵も価値を持たない。
アイツらに血肉を引き裂かれながら、絶叫をあげる島村の姿が脳裏を過る。
これまで多くの死を目の当たりにしてきた。だが、どの死も時間とともに風化し過去のものとなっていく。だが、今回だけは長引きそうだ。
そう考えて俺は、苦笑いする。
島村は最後にこう言った。
――どうせなら、夢を見ていたかった――
夢か。どうせ見ても俺にとっては全て悪夢だ。
ここまで深く突き刺さった現実がある以上、俺は何を見たところで妄想だと割り切ってしまうに違いない。よくもここまで歪んだものだ。
でも、そう思ってはいても島村の言葉は俺の中からは消えてくれはしない。
クソみたいなこの世界で見るものすべてを疑い、常に自分を保つ。それはさながら、デカルトの言葉の裏返しだ。
疑う自分こそが本物なら、疑い続けることで自己を肯定する。
それが俺の生き方だった。
「見れるものなら、見てみたいものだった」
俺は小さく呟き、肩に担ぐ立華の頭をそっと撫でるのだった。
――悪夢の続く世界で、虚構を求め彷徨う。
俺たちはこの世界で生きている――
誤字脱字など、あれば教えてください。嬉しい感想くれたら喜びます。