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ユマと夢幻の治癒師  作者: 黒崎江治
9/10

-9- 秘めたる想いは

「遅いぞ、ベル」


「ちょっと迷子になっちゃって」


 ベルナデットの本気がどの程度か、ユマは知らなかった。しかし今このとき、彼女はそれに近いものを出したように思えた。


 一瞬無風が訪れたあと、ベルナデットを中心とした狭い円の範囲に、炎の壁が噴き上がった。超高温を発しながら回転をはじめたそれはすぐに暴風となり、群衆を焼き尽くしながら天高くまで昇る竜巻となった。スミレ色の灼熱の中で、人影が黒い粒子に分解され、消滅していくのが見えた。


 ユマとトーレスがそれに圧倒されている隙に、サルファはするりと噴水まで到達し、リリイを水の中から助け出した。それに気づいたトーレスが、サルファに刃を向ける。


「こっちだ!」


 トーレスの注意が逸れるのと同時に、ユマが躍りかかる。杖とそこから迸った電撃に肩を打たれ、トーレスは苦痛に呻いた。それでも踏みとどまり、剣を横薙ぎにして杖を振り払う。そして憤怒を感じさせる形相でユマを睨み、襲い掛かってきた。


 そこからの攻撃は激しかった。最初の一刀で両断されていてもおかしくなかった。ユマがそうならなかったのは、防いだ杖が衝撃で雷を生じ、自動的にショックと損傷を与えたからだ。


 しかし度重なる痛みを与えられてなお、トーレスは食い下がった。騎士の息子らしい正統な、そして力強い剣に晒されたユマは、致命傷を避けるのが精一杯だった。しかし全てを防御することは叶わず、二度三度と傷を負った。どれほどの深手なのかを確認する余裕はなかった。


 もしこのときユマが冷静であれば、サルファやベルナデットの援護がないのを不思議に思っただろう。しかし興奮し、攻撃に晒されている状態で、そこまで考えることはできなかった。


 決着までの時間は、それほど長くなかった。あるタイミングで大雑把になった一撃をしゃがんで躱したユマは、相手の膝を杖で突いた。


 一瞬、トーレスの脚が萎える。


 彼が体勢を整える前に、ユマは残った力を振り絞って彼に体当たりを食らわせた。二人はバランスを崩して転がったが、ユマはなんとか馬乗りになってトーレスを抑えつけた。


 全身が熱かった。特に肺は焼けるようだ。腕の力もほとんど残っていない。ただそれは、相手もおおむね同じような有様だった。


 ユマは再び杖を生成した。これをトーレスの顔に突き立てれば、勝負は決まる。


 しかし、それが本当に正しいのだろうか? ここに来てユマは戸惑いを覚えた。


「――呑まれてはいけない」


 気づけば、サルファが噴水の縁に腰かけていた。水を吸った黒いローブが、ずっしりと重く垂れ下がっている。その横ではベルナデットに支えられたリリイが、目を閉じたまま座っていた。


「この場合、彼を排除するだけで、病が治癒することはないだろう」


「どういう、事ですか」


 ユマは肩で息をしながら言った。組み伏せられているトーレスは少しの間抵抗していたが、すぐに抵抗の意思を失い、固く目を閉じたままぐったりとした。


「眠り病の原因についての話だ」


「姉さんは、結婚が嫌なんじゃ?」


「望まない結婚をする人間はこの世にごまんといるさ。しかしその多くは自分にかかる期待や役割を受け入れ、しぶしぶであってもそれを承諾する。眠り病になることはないわけだ。しかしリリイの場合は違う。彼女は決してトーレスを嫌っているわけではない。むしろ好ましいと思っている」


 サルファはユマに語りかけていたが、半ばリリイに囁くようにもしていた。彼女にも話を聞かせたいようだったが、今のところ反応はなかった。


「なら、どうして」


「素晴らしい、望まれた婚姻。しかし彼女がそれを選んだ場合、切り捨てなければならないものがあった」


「姉さんには、他にも好きな人がいた?」


 ユマが言うと、サルファはなぜか非常に満足そうな顔をした。


「やはり君は賢い」


「でも、僕に心当たりはありません」


「例えばの話、家にいる使用人とか、近所の幼馴染とか、よく顔を合わせる兵士とか、あるいは家格の釣り合わない旅の芸人とか、リリイがそういう人間に恋をしているのであれば、まだしも事態はややこしくない。周囲の人間も、許すかどうかは別として納得し、場合によっては同情してくれるだろう」


 饒舌に話すサルファの、髪に隠れた左眼がきらりと光る。彼の姿は内なる欲望を囁き、人間をそそのかす悪魔のようにも見えた。


「しかし、それ以上に許されざる相手に恋をしてしまったなら?」


「なにを言ってるのか分かりません」


「ユマ、君はこの夢の中で気づかなかったのか? それとも、君自身も考えないようにしているのか?」


 サルファの表情に凄絶さが加わる。ユマは不安を通り越して、恐怖を感じ始めた。


「兄ではなく、君がピルムまでついてきたのはなぜだ? はじめての夢幻世界で、君がこれほどまでに影響力を行使できるのはなぜだ? 今まで通ってきた場所が、君との想い出から創られているのはなぜだ?」


 ユマはその先を聞きたくなかった。しかし耳を塞いだところで、サルファが語るのは止められない。


「リリイが恋しているのは君だよ。ユマ」


 予期していた言葉だった。しかしそれでも、ユマは大槌で頭を打たれたような気分になった。


「……そんな。だって僕は、実の弟なのに」


「だからこそさ。少なくとも、今の常識では許されざる恋だ。リリイ自身もそれは間違っていると考えていた。だから心の奥底に秘めた。そうすれば当面は安全。ユマとは普通の姉弟でいられる」


「……」


「しかし最近になって縁談が舞い込んだ。条件は申し分なく、断る理由はない。自分から見ても、トーレスは十分以上に魅力的だった。この男性と結婚出来れば、きっと幸福になれるだろう。ごまかしではなく、そう信じた。 


 けどね、秘めた想いは自然に消えたりしないんだ。結婚という人生の岐路に立ったとき、君への恋心は封印を破り、心の奥底から這い出してきた。それはずっとそこに在って、いつか再び認められることを望んでいたんだ」


「もうやめてください」


 ユマは懇願するように言ったが、サルファはきっぱりとそれを却下した。


「いや、やめないね。これは必要なことなんだ」


 もはやサルファを制止することは不可能だった。ユマは項垂れ、彼の言葉を受け入れるしかなかった。


「これがもっと他愛無い問題ならば、彼女は弟に相談しただろう。でも、もちろんそうはできない。なぜなら彼女が恋をしていたのは、まさにその弟だったからだ。誰にも言うことはできない。彼女は自分一人で、どうしようもなく湧き出し、膨張し続けるその想いと対峙しなくてはならなかった。


 再び抑え込むのはもはや不可能。しかし認めてしまえば身の破滅だ。彼女は引き裂かれるような苦痛を味わっただろう。その耐え難い苦しみが夢の核を作り、この夢幻世界を創った。彼女に逃げ場所を用意したんだ。そして彼女は眠った。苦痛から逃れるため、覚めない眠りに落ちるしかなかった」


 サルファが語ったことと、それを聞いて感じたことが、頭の中でぐちゃぐちゃに混じり合って地獄のようだった。ユマは混乱し、ショックを受け、しばらく茫然自失だった。


 それが多少なりともおさまったとき、リリイの苦しんでいた原因が自分にあるのだという考えが、思考の大半を占めていた。もはやトーレスのことは完全に意識から締め出されていた。


「それじゃあ、姉さんは、僕のせいで……」


「誰が悪いというわけでもないさ。ただ起こるべきことが起こったというだけだ。だけどそれは確かに病であり、僕はその治癒を目指す者だ。


 だから夢の作業をおこなった。そして夢の作業の目的は、苦しみを取り除くことではない。むしろその人間が自らの内にある苦しみを認め、正しく苦しめるようにすることだ」


「……」


「言い換えれば、死に向かう夢幻世界での安らかな眠りから、苦しみ多き物質世界での人生を、再び歩んでもらうということだ。リリイ、君は」


 サルファはリリイの耳元に口を寄せ、一層低い声で囁いた。


「ユマを愛しながら、トーレスの妻になるんだ。その苦しみを抱えて生きていくんだ。さあ、目を開けて」


 そう呼びかけられると、リリイにわずかな反応があった。それまでベルナデットに支えられていた身体に力が戻り、閉じられていた目蓋がゆっくりと開かれた。栗色の瞳に光が宿り、ユマをはっきりと見つめた。


「姉さん」


 ユマは立ち上がり、リリイのもとに歩み寄った。彼女もまた噴水から立ち上がった。その双眸からは涙が溢れて、赤みの戻った頬を伝っていた。


「ごめん、姉さん、僕はなにも……」


 なんと言葉をかけていいのか分からなかった。言葉は不要なのかもしれなかった。二人はそのまま固く抱き合ってお互いの存在を確かめた。


「どうか、幸せになって」


 ユマはリリイの濡れた身体から、確かな温かさを、力強い命の熱を感じた。


「ありがとう」


 リリイは小さな声で、しかしはっきりと言った。

「大好きよ、ユマ。あなたを愛してる」


 最後の言葉が彼女の口から紡がれるのと同時に、情景のすべてが白く煙りはじめた。それはユマが夢幻世界にやってきたときと同じ、乳のように滑らかで濃い霧によるものだった。


 ああ、夢が終わるのだな、とユマは直感した。辺りの風景が見えなくなり、サルファとベルナデットの姿が見えなくなった。肌で感じていたリリイの体温もやがて曖昧になっていき、ユマの意識はまた柔らかな混沌の中に吸い込まれた。

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