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ユマと夢幻の治癒師  作者: 黒崎江治
6/10

-6- 見つかってはいけない

 はじめ身体の自由を奪っていた水流はやがて軽く柔らかくなり、ユマはしばらく、重たい雲の中に浮かんでいるような気分を味わっていた。息を止めているはずだが、不思議と苦しくはない。


 少しして水の圧力がないことに気づいたユマは、恐る恐る口を開け、鼻をつまんでいた手を外して呼吸を試みた。肺に流れ込む空気は、先程より少しだけ冷たかった。


 周囲は真っ暗闇だった。音もにおいもしない。ユマが心細さから四肢を丸め、膝を抱え込むような体勢になった。しばらくそのままでいると、やがてゆっくりと下に落ちるような感じがして、どこかに着地した。


 背と尻に、固く冷たいものが当たっている。手で辺りを触ってみたところ、すぐ目前にもざらざらした壁のようなものがある。どうやら丸みを帯びた、ごく狭い空間に閉じ込められているようだ。


 ユマがわずかに身じろぎしたとき、頭上でカタンと音がした。手で押してみると、少し持ち上がる。


 これは木の蓋だ。すると、今いるのは大きなかめの中に違いない。


 閉じ込められたわけではないことに安心しつつ、ユマはもぞもぞと姿勢を変えた。膝を立て、後頭部で蓋を押し上げるようにする。


 重くはない。持ち上がった蓋はそのままユマの背からずり落ち、床に落ちて硬い音を響かせた。腰を伸ばしたユマの目に入ってきたのは、薄闇の中、端材で作ったスミレ色の焚火を囲むサルファとベルナデットの姿だった。


「そんなところにいたのか、少年」


 ユマは辺りを見回した。先程までいた巨樹の森より、いくらか閉塞感のある場所だった。周囲には木製と思しき巨大で歪な形の棚がいくつもあり、そこには壺、甕、大小の箱、麻や皮の袋などの雑多な品々が置かれていた。


 床に転がされているだけのものもあれば、いくつかが積み上げられているものもある。焚火にくべられているのは、木箱の残骸かなにかだろう。


 天井にあたる部分は暗く、どの程度高いのか見ただけでは分からない。正体不明の青白い光が、見える限りで百も二百もふわふわと飛び回っていて、わずかに照明の役割を果たしていた。


 奇異な場所ではあるが、雰囲気としてはどことなく、ユマの父が仕事で使う倉庫にも似ているように思えた。


「こっちにおいで、ユマ」


 ベルナデットに招かれるまま、ユマは焚火の近くに腰を下ろした。スミレ色の炎は普通の火と同じように熱く、濡れたままだったユマの身体をじんわりと温めた。またその光は柔らかく、長く見つめていても眼が痛くなることはなかった。


「服脱がせてあげる」


「や、やめてよ」


 ユマは悪戯を仕掛けようと手を伸ばすベルナデットを躱し、サルファに尋ねた。


「ここはどこなんですか?」


「さっきより少し深いところだね。心の奥とでも言った方が分かりやすいかな」


「はあ」


「要するに、作業は順調に進んでいるということだ」


 目標が分からないのは相変わらずだが、彼が順調だと言うのならばそうなのだろう。ユマはしばらくの間、スミレ色の焚火で手や背中を炙り、服と身体を乾かした。


 少し落ち着いたところで、ユマは先程まで持っていた大枝がなくなっていることに気がついた。狼の顎に捕らわれたときに電光を放ち、状況を打開したあれは一体なんだったのか。サルファに尋ねてみる。


「あれは君の意志が具現化したものとでも言うのかな。強い想いのなせるわざさ。ただ、誰にでも使えるものじゃない」


 彼はそう言いながら、一掴みの端材を焚火にくべた。


「夢幻世界の初心者である君があれを発現させることができたのは、きっと君に夢幻世界との親和性があるからだ。この領域において君の影響力が強いということも要因だろう。なにせここは、君の姉の夢だからね」


「そういうものですか」


「そういうものさ。あるいはこの夢が君の介入を望むのか」


「じゃあ、僕が姉さんを探すのは正しいんですね」


「まあね。しかし注意すべきなのは、ここに現れるリリイは彼女の象徴であって、彼女自身ではないということだ。目前の出来事に執着するあまり、本質を見失ってはいけない」


 この理屈は、ユマにはよく分からなかった。思わず首をかしげたが、サルファはそれ以上説明を加えようとはしなかった。しばらくの沈黙を挟んでから、彼は言った。


「そのときになれば分かるよ。ベル、そろそろ出発しようか」


「はーい」


 ベルナデットが軽く息を吹きかけると、スミレ色の焚火は消え、空中に漂う薄い煙だけが残った。


◇ ◇ ◇


 乱雑に配置されている棚の高さは背丈の三倍ほどもあり、とても実用的な代物には見えない。おまけに棚板が出っ張っていたり、歪んでいたり、傾いていたりしているため、観察する方の感覚がおかしくなりそうだった。


 なんとか乗り越えることもできるだろうが、そもそもどこに向かえばいいのか不明なので、現状そうする必要性も感じない。


 ひとまずユマたちは、子供が遊びで書いた迷路のような場所をふらふらと彷徨った。頭上に舞う青白い光だけでは心もとないので、ベルナデットが小さな火球を二、三浮かべ、それを灯りとした。


 ユマははじめこの場所をさして広くない空間だと思っていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。青白い光の様子を見るに天井は限りなく高く、縦横に関しては進んでも進んでも端が知れない。


「小さいころ、リリイと倉庫でかくれんぼをした思い出は?」


 不意に、サルファが尋ねた。


「確か、二回か三回……」


 入ってはいけない場所、というのはどうしようもなく好奇心を刺激するもので、いつか偶然鍵が開いていたとき、リリイと一緒に忍び込んだことがある。


 しかし父が商っているのは比較的ありふれた品々で、期待していたような武具や装飾品の類はなく、少々がっかりした思い出がある。それなりに楽しくはあったが、狼に襲われたというような特別な記憶はない。


 そういえば、辺りの容器にはなにが入っているのだろう。ユマはふと疑問に思い、手近にある大きな壺に触れた。


 絵や装飾のない簡素な壺の表面は冷たく、ざらざらしている。それと同時に、ユマの掌はわずかな振動を感じ取った。


 壺やその中身自体が震えているのではない。ずしん、ずしんと地面を踏む大きな何かが、小さな揺れをもたらしているのだ。


「ベル、ちょっと見てくれ」


 同じく異変に気づいたサルファが言い、指示を受けたベルナデットがふわりと舞い上がる。スミレ色の火球がそれに付き従い、広い範囲をぼんやりと照らした。


「あ、やばい」


 ベルナデットは慌てた様子で火を消し、すぐに戻ってきた。なにか良くないものを見たようだ。


「大きいのが来る」


 彼女の警告を聞いたユマは、巨樹の森で見た狼頭の蛇を思い出して身構えた。


 地面は揺一定の間隔で揺れ続ける。近づいてきているのは、おそらくは二足歩行の巨大な夢魔だ。遠くない場所で、蹴散らされた棚や木箱の壊れる音がした。


「ユウウウゥウウウウゥゥゥゥゥマアアアアアァァァァァアアア」


「……っ」


 それは遥か頭上から轟くような大声を発し、空気や周囲の物品をびりびりと震わせた。姉の夢なら不思議ではないのかもしれないが、名を呼ばれたユマは恐怖で心臓が跳ねるのを感じた。


 助けを求めるようにサルファを見ると、彼は口の前で指を交差させ、声を立てないようにと合図していた。ユマたちは呼吸音さえたてないようにしながらゆっくり身をかがめ、各々が物陰に隠れて気配を殺した。その間にも、足音は徐々に迫力を増している。


「リイイイイイイィィイイィィイイリィイイイイィィ――――」


 空間のどこかで別の声が響いた。巨大な夢魔は二体いる。そして、ユマとリリイを探しているのだ。


 近くでなにかが壊れる音。その直後にユマたちの頭上を、巨大な黒い影が覆った。


 それはユマたちから五、六歩の位置に着地し、そこに在ったあらゆる物を押し潰し、粉砕した。黒い影の正体は、とてつもなく大きな人間の素足だった。

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