第一話・桜の木の下で!
ももいろの雨が世界を包んでいた。
桜吹雪であった。
夢色と言われる原因がわかるほどの、美しい景色だ。
桜の木の下に設置されたベンチで、僕は入学式の前の時間を過ごしていた。
強い風が桜の花びらをさらっていく。
花弁が、顔の上に舞い落ちた。
邪魔だなあと払いのける。
「ってぇえ!!」
毛虫付きだった。
ステンドガラスが光を取り込み木の椅子が並ぶ教会には、すでに同級生が一人座っていた。
黒髪でマッシュルームカットの、可愛い女の子だ。
「君も新入生?」
「っ!!!」
ビクッと跳ね上がる肩。後ろから声をかけたから驚かせてしまったようだ。
「僕は新入生のライア。ライア・レイン。君は?」
「わ、私はエリ・カミトだよ」
「カミトさん、今後ともよろしく」
「エリでいいよ。カミトって、男の子の名前みたいじゃない」
「そうかなあ?カッコイイと思うけど」
「そ、そう?わかんないなあ。でも今から友達作るのは早いかもよ」
「ん?そうかな?」
「お互い合格できるかわからないし、別のクラスになるかもしれないかも」
「まあ、保険みたいなもので」
「一日友?」
「そうならないことを祈る」
とりあえず彼女のもとを離れて、テーブルをはさんだ向かいの椅子に座り、改めて向き合う。
「あの…さ」
「何?」
「私たち以外、全然来ないんだけど、どうしたのかな?」
「まあ開始一時間前だしねえ、しょうがない」
「いっ、一時間前!?」
顔から冷や汗をダラダラ垂らすエリさん。
「……一時間勘違いしてたっぽい」
「あっちゃーー」
「まあ遅刻しなかっただけいいと思っておく」
「どんまい」
「ん?」
「どうしたの?」
「それなら、どうしてあなたはこんなに早く来てたの?」
「……うーん、ちょっと早起きしちゃってね」
「へー?」
エリさんはちょっと納得していないような感じで首を捻った。
「あ、そうそう。どうせ暇でしょ?いい場所があるんだ」
そう言って、僕は席を立った。
「へー、いい眺めですね」
「でしょ?」
ここ、レイン魔術学園構内で最も大きな、樹齢1000年の桜の木の下は目を疑うほどの絶景だ。
「特に木の根を枕にしてみる景色が最高なんだよ」
木のそばにごろり寝転びつつ、話しかける。
「へー、こう?」
根っこにハンカチを敷き、コロンと横になるエリさん。
髪がふわりと広がって、柔らかな香りが漂った。
向き合ったら鼻の頭がくっつきそうなくらい近くに彼女は頭をのっけた。
一つの枕を二人で使っているようなものだ。
「エリさん、その、ち、近い」
「……ちょっと私も思った」
僕は一つ隣の根っこに頭を移した。
やはりいい景色だ。
桜の花びら一枚一枚がようこそと歓迎しているような気がする。
まあさっきは毛虫の爆撃をくらったけれど。
そうしていると、夢色の景色が本当の夢になっていった。
僕の意識は気がつかぬまま睡魔に刈り取られ、深く深く落ちていった。
「……!レイン君!」
「レイン?あ、うん。おはよう」
少し眠っていたようだ。
「おはようじゃないよ!!後五分しかないよ!皆もう集まってるよ!!」
「み、みんな?」
「早く協会に行かないと!」
「あ、もうそんな時間ね」
「早く!!」
「あ、うわっ!」
僕は彼女に手を引かれ、走り出した。
「っ、はぁっ……かぁっ……!!」
エリさん、足、速っ!!
教会までは、ほんの数分で着いた。
一時間前はガラガラだったのがウソだったかのように、中は人で埋まっていた。
新入生だけで三百~三百五十人くらいる。
前方には先生方が並んでいた。
スーツを着た青年もいれば、ローブを着た老人もいる。
見るからに人間でないのも混じっていたが、見なかったことにする。
前方にはそれぞれのクラスを示した制服を着ている先輩方が並んでいた。
この学校には六学年、四つのクラスがある。
スペード、ダイア、クローバーにハート。
トランプがもとになったクラス名なのには、わけがある。
初代校長の作った『カード』というシステムのおかげだ。
これはそれぞれの『魂』に反映され、その奥底にある『魔法』を引きずり出すというものだ。
『魔法』を鍛え、『魔術』を自由自在に操る『魔術遣い』になる。
そしてその『魔法』の種類によってカードは種類を変える。
ダイアは主に鉱物を操る魔法。クローバーは生物を操る魔法。
ハートは魂を操る魔法。スペードは、闘いを操る魔法だ。
と言ってもあいまいなもので、結構テキトーな面もある。
カードを引くのは入学式の日。つまり今日だ。
スーツを着た、仕事に疲れた初老のおじさんといった感じの今代の校長先生は、長い話を終えて、今まさに、そのカードを配り始めようとしていた。
「アリス・カリュー!」
「はい!」
アリス、と呼ばれたブロンドの髪の女の子が、前に出た。
校長先生は、ババ抜きの最後の一枚を持つような姿勢で、そのカードを持っていた。
そのカードは持ち主によって柄を変え、因みに校長先生が持っている間は『スペードのキング』だそうだ。
アリスさんは少し躊躇したのち、校長先生の持っていたカードを手に取った。
「っ!」
魔力を宿したインクのようなものが、彼女の胸に飛び込んだ。
ぼやん、とカードに記号が浮かび上がる。
「ハートのクイーン!」
おお、とどよめきが上がる。
クイーンは、上から三番目に強い魔術遣いであるということだ。
強さは上から、エース、キング、クイーン、ジャック、10……2となる。
また――このカードは、入学テストも兼ねている。
この中で才が上位五十二名以下だった人間がカードを手にすると、カードはインクをまき散らしはぜる。
今回の倍率は十倍以上。なかなかに大変だ。と言っても、己の中にある才などどうやっても決まっているものなので、どうしようもないのだけれど。
「ブロードウェイ・マキシマイザー!」
「はい!」
金髪のいい身なりをした少年が、つかつかと校長先生の前に歩み寄り、祈るようにカードを手にした。
「っうわあああぁぁぁあああああ!」
一瞬にしてカードが黒く染まり、まるで血のようにインクを流し始めた。
「っっちっくしょぅ!!!」
天に向かって叫ぶ彼に、僕は未来の僕を見た。
彼は屈辱と絶望に顔を赤くしたり青くしたりしながら、教会を出ていった。
もしや僕もああなるのではないか。
不合格と言われて……それからどうする?
家に帰って、それから……え?
「エリ・カミト!」
知り合いの名が呼ばれるのを聞いて、僕は意識を取り戻した。
エリさんは周囲の視線にやや怯えつつ、すっとカードを引いた。
彼女の胸にインクが飛び込む。
合格だ、という事実に、まず一つ安堵した。
「スペードのクイーン!」
あの子がスペードかあ、と少々驚いた。
戦士って感じじゃあないけれどねえ。
「ライア・レイン!」
「はいっ!」
緊張したせいか、無駄に声を張り上げてしまった気がする。
心臓が爆音を上げるが、思考はやけにクリアだ。
あれを引く。そうすれば、全てがわかる。
僕は、真っ直ぐ校長先生の前まで歩き、恭しくカードを受け取った。
ドスッと、胸に衝撃が走る。
合格だ!
魂をいじくられる感覚。不快ではないが、不安になる。
そのあと、インクは人差し指の爪の中から飛び出し、カードにさらりと書き写した。
書き写した……はずだった。
「何も……書いてない!?」
トランプは、スペード、クローバー、ダイア、ハートの四×十三枚+ジョーカー×二枚の五十四枚によって構成される。
そのはずである。
しかし、実際にはそうではない。
誰にも認知されず、ルールからも除外され、本来なら在るはずのないカード。
ケースの底に残った最後の一枚。
これは、可能性の一枚の物語。
物語は始まった。
いざ、勝負。