はじまりの歌
歌声が響く。
誰もいない廊下。
誰もいない階段。
誰もいない教室。
時折、部活生の声が聞こえてくる。
ああ、これは夢だ。なぜならもうこの歌を歌える彼女はいないのだから。
ーーーー歌詞の無い、詩。
誰かを呼んでいるような。
でも、誰にも聞いて欲しくない。
そんな願いが込められた歌。
それは、なんでもない日で。
繰り返しの一週間。
休みまであと何日?
授業が終わるまであと何時間?
家に帰るまで、あと何時間?
そんな事ばかり考えていた、高校時代。
そんな夢。
「貴文!」
彼女が俺の名を呼ぶ。
ああ、夢だ。
綺麗すぎる夢。
そして、憎い、許せない。恋情、苛立ち、焦燥。
それらを全部ひとかたまりにして、丸ごと飲み込んだような息苦しさ。
それでも、記憶の中の彼女は綺麗で。
はじまりを待っていた。
今でも、思う。
あの時、彼女に出会わなければ。
こんな思いをすることはなかっただろうに。
・・・・まるで光に吸い寄せられる虫のように、俺は屋上の階段を上がる。
聞こえる。
彼女の声が。
歌っている。彼女は歌っている。
ーーーーそこは、忘れ去られてしまった場所。
忘れてしまいたい場所。
降ってくる音が。
・・・・そして。
屋上の扉を開ける。鍵は掛かっていない。あの時と同じように。
やめろ!
俺は過去の俺に言う。
苦しい。
まだ、そこにいるんだろう。彼女が。
灰色と、青の中に溶け込むセーラー服。
あまりにも綺麗な旋律の中で、そこだけが別世界のように。
なびく髪、見知った横顔。
音を感じている、音を楽しんでいる。
楽器の音なんか無いのに、楽器があるように聞こえる。
声が。
空から降ってくる何かを受け止めるように、両手を空に向けている。
声だけが、世界を作っている。
透明で、澄んだ音。
彼女の歌。感じていたいーーー。
彼女が振り返る。
透明な朝、太陽が顔をだす。一瞬の光に、俺は手をかざす。
屋上のフェンスと、彼女の姿は驚くほどに絵になっていて。
それは、永遠に思えた。