第五百九十八話 叶が出かけてる日(桜) 2
「どこだったかな……。あった、これね」
取り出されたのは一本のデータ媒体。
現代において開発された、従来の製品より高性能な動画保存の媒体である。
「その映像は?」
「えーっとね、8年前だから…叶が6歳の時のものかしら」
「はぁ…」
「あの研究施設ね、実は実験の記録の一部をデータにして送ってきてくれてるのよ」
その話はサクラは初めて聞く。
将来の義母はその様子を気にすることなく、慣れた手つきでデータをテレビに差し込み、映像選択画面を開いた。
「その一つを桜ちゃんに見せたいの。ま、訊きたいことはたくさんあるでしょうけど、そこに座って見なよ」
「は、はい」
言われた通りにサクラはソファに座る。
リモコン操作によって映像の一つが選択され、再生された。実験記録の内容は、どうやら日常生活の状態についてインタビューするだけのもののようだった。
画面越しに現れる、美少女と見間違う幼馴染の叶に、桜は懐かしさに駆られる。
と、同時にしっかりと幼い姿をクリアに見たのは初めてだったのでこんなに美少女だったのかと驚いた。
「叶、すっごく可愛い…」
「お兄ちゃんに似たのよねぇ…。私とパパとの子だわ、間違いなく」
画面の向こうで丸椅子にぽつんと座りながら、何かを待っている叶。1分ほど経ったのち、1人の研究者がやってくる。その研究者は画面には映らず、カメラの隣かどこかに座ったようだった。
『待たせたね』
『大丈夫です』
6歳にしてはやけに落ち着き払った声色で叶は答えた。
クリっとした目で、研究者とカメラを交互に見ているように取れる。
『じゃあ定期的な質問していいかな? 今いくつだっけ?』
『6歳です』
『小学校に入学したばかりだね』
『はいっ』
とても嬉しそうに答えた。誰が見ても学校が楽しいのだと見て取れる。
『学校は楽しい?』
『楽しいです! いろんな人がいて』
『そうかい、それは良かった。…幼稚園とどっちが楽しい?』
『………まだ、わかんないですよ。せめて1ヶ月は経験しないと』
『それもそうだ、ふむ』
研究者は何かを書き込んだ。
『叶君のIQなら…いや、叶君ならもう、大学の試験を勉強したら受験して合格できるぐらいの知能はあるはずだ。君と同じIQの過去の天才の多くはそうしてるんだけど……君はなぜそうしない? 理由を訊いてもいいかな』
『そんなの当たり前ですよ。勿体無いじゃないですか』
『勿体無い……?』
幼い叶はコクコクと頷いた。
研究者はまたもや記録をしている。
『何がだい?』
『同年代の友達とかも欲しいですし、小学校六年生になったら修学旅行などがあると本で読みました! わざわざこの歳にしかできないことをやらずに大学行くなんてできません!』
『ほぉぉぉ……なるほど、なるほど、そう考えるか』
研究者はその答えが意外だったのか、それとも、過去のデータとは違うからかなぜか喜んでいる。
『でも周りは君より明らかに劣るし、先生だって叶君より恐らくは不出来だよ? きっと授業とかがつまんなくなることがあると思うけれど、それについてはどう思う?』
『そーですね、それが怖いので授業は半分だけ聞いて、あとは寝たり、他のことします!』
『ふ、ふふふっ。もうサボる宣言かい?』
『……そうなります』
あまりに堂々としたサボる宣言に、研究者は笑っている。母親と桜も笑みをこぼしていた。
「有言実行してるっ…」
「ねっ…ほんとにその通りにするなんて思わなかったわ。その結果テストで桜ちゃんに抜かされるって」
「ほんとですよ!」
映像の向こうでは研究者と叶がまだ話し合っている。
『次に訊きたいのは君の幼馴染の桜ちゃんについでなんだけど』
「…!?」
自分の名前が出てきたことに、サクラは目を見張り、耳をさらによく傾ける。
『はい』
『あの子についてはこちらも把握しているよ。何回も聞いてるしね。3歳の時に事故によりメガネの補助がない限り眼が見えてないんだよね?』
『ええ』
幼くて可憐な叶の顔は真剣そのものになる。6歳という子供がそんな悟った顔をできるのか、誰もが驚くほどの。
『君にとってあの子はなんなのかな? 眼が見えてない友達は、障害になったりしない?』
『……桜は、桜はボクにとって』
研究者が少し声色を変えたことから、この質問は不本意だと見て取れた。叶は真面目な表情のままそれに答えようとしている。
サクラは聞き入っていた。
『……ボクにとって守るべき人です』
『守るべき人? なんでだい?』
『桜の眼が見えなくなった時、ボクの中の何かも無くなった気がしたんです』
研究者はまたメモを取る。
先ほどまでの雰囲気はすでに消えてしまっており、叶の表情どおりの空気が流れているようであった。
『それが何かはまだ答えが出ません。でも、守らなきゃいけない……なんというか…』
『使命感かな?』
『それです。しめーかんがするんです』
サクラはすでに叶の話に聞き入っている。
母親はフフ、と、その様子を見て嬉しそうに笑った。