第五百七十二話 サーカスに行く
「準備できた?」
「もうできてるよ兄ちゃん」
ハンドバッグを持ちながら叶は当たり前だろと言わんばかりの余裕の表情でそう言った。
「今日は桜ちゃんの荷物の手伝いしなくていいのかなぁ?」
「も、もういいんだよ。目が見えるわけだし」
お節介な叶はどこかお出かけする時はたまに桜ちゃんの荷物づくりを手伝うことがあった。
さすがに世話を焼きすぎな気もするし、必要だったとしてもそういうのは美花に任せればいい気がするんだけど、叶は窓から移動してわざわざ手伝いに行ってたんだ。
当の桜ちゃんも『流石にそれくらいできるわよ』ってどこか嬉しそうに言いながら水筒と間違えて、何故か隣にあった殺虫剤入れようとしてた…と、いう場面を見たことある。
そう思うと……やっぱり叶が手伝ってあげて良かったんだね。
「ところで叶、今日はサーカス見に行くわけだけど、叶はどう思うの?」
「ん? 何が?」
「ほらぁ、桜ちゃんにいいもの見せれるだとか前のデートの時は嬉々として言ってたじゃん。今日はどんな気持ち?」
「え…ああ…」
叶は人差し指で自分の頬をぽりぽりと搔くと、ちょっと恥ずかしそうにしながら口を開いた。ということはなにか桜ちゃんを思った一言を言うつもりなんだろう。
「良かったと思うよ。昔は見れなかったわけだし」
「前はねぇ…桜ちゃんが失明してまだ1年目くらいだったもんね。でも叶も5歳くらいでしょ? 覚えてるの?」
「覚えてるよ」
「まあ叶なら覚えてるか」
うちの天才はお腹の中にいた時から記憶があるらしいからね仕方ないね。それにしても思い返してみれば叶は本当に昔から桜ちゃんの為に動いてたな。
そうだ、思い出した! 桜ちゃんが目が見えなくなった最初から守ってきてたんだった。確かそう、桜ちゃんが病院から帰ってきた翌日から既に。
その時はまだ2人は3歳か4歳か。
3、4歳で未来の恋人を守ろうとするなんて叶も相当だなぁ……なんて今から考える。
でも俺も美花が同じ目にあってたら間違いなく同じことしてたな。うん。
「そういえば今日は組織の診断ないんだっけ」
叶の脳の研究をしてる組織は日曜日でもやる時はやるからなぁ。土曜日なんて2週間に一回は診るんだけど。
「ない、というか別の日に回してもらったよ。俺も桜も」
「そっか、まあそりゃそうだよね」
あの研究機関は叶が生まれてからずっとみてる。ということはもう14年にもなるけれど何か成果はあったんだろうか。なんだか地味に叶をその組織に将来的に引き込もうとしてる気がしてならない。
おっと時間かな。
「じゃあそろそろ外でよう。翔達がそろそろくる」
「だね」
俺と叶は外に出た。
同時に隣家のドアも開き、中から美花と桜ちゃんが出てくるの。
「今日も可愛いね!」
「そういう有夢こそ!」
「「えへへへへ」」
何をやってるんだと言われるかもしれないけどこれが俺と美花なのだから仕方ない。ところで叶と桜ちゃんの方はどうしてるんだろう。
「サーカスって確か10年ぶりくらいだっけ」
「そうだよ。あの頃は桜は……」
「うん、音を楽しんでただけよ」
音を楽しんでただけか。やっぱりサーカスとしてはみなきゃダメだからきつかったかなぁ…。ていうかさすが桜ちゃんも4歳ごろのこと覚えてるんだね。
「でも今日はしっかりとみれるわ」
「うん、よかったよ!」
叶は心そこから嬉しそうに笑いながら桜ちゃんの頭を撫でた。桜ちゃんもまた嬉しそうにそれを受け入れる。
撫でられるの嫌だとか昔は言ってたけど、本当は今は逆に嬉しいだなんて。照れ隠ししてたんだよね。
「あ、桜いいな。あゆむっ!」
「はいはい」
「えへへ」
ねだってきたから俺も美花の頭を撫でる。相変わらず髪の毛はサラサラで綺麗だ。
「……なんだこれは」
「わふ、なでなで大会だね」
嬉しそうに目を細めながら俺に抱きついてくる美花から、声がした方に顔を向けるの。いつのまにか翔とリルちゃんが来てたみたい。
「ショー! 私も!」
「ああ」
なでなで大会に翔とリルちゃんも参加した。
3組のカップルが彼女の頭を家の前で撫で続ける異様な光景。側から見たらそう見えるだろう。側から見なくてもそうなんだから。
「……もうそろそろ行かない?」
そう、3分後に叶が切り出してくれた。良かった、止められなくなってたところだったんだ。
「そだね、行こうか」
「あ…。うん、いこ!」
美花は手を頭から退けられて残念そうな表情をするけれど、すぐに笑顔になって叶の案に乗ったの。
翔達もやめたみたいだ。
でも俺たち6人3組がそれぞれ今度は腕を組んで手を繋ぎ始める。
そうして一番前に俺と美花、次に叶と桜ちゃん、最後に翔とリルちゃんの2列3人ずつで並んで歩き始めたの。




