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ラーメン編『スープを作ろう! 畜生街道激闘伝』‐4




 そういわけで、また回想。――の、前に。

 一人、紹介しておくべき人間がいる。

 暁之宮家の当主、つまり僕の父である玲王レオ・暁之宮。

 小柄で細身で、いつも穏和な微笑を浮かべている優しげな顔の中年男性。

 僕、リリィ・暁之宮が悪役ならば、玲王・暁之宮は悪党だ。

 反社会的でありながら華族、非人道的でありながら経営者。

 そして新宿スラムなんていう突飛な場所に居を構え、スラムの荒くれ者どもを影で操るヤクザの王。

 悪を演じる僕なんかとは比べ物にならないくらい、本物の悪で――ゆえに、悪党。

 そんな人が僕の父親である――と。

 そう、前置きをした上で。

 それでは、回想――。


「植物術師を食客に?」


 新宿のスラムで“仕事”をこなしてきた父に、僕は亜理紗・セントラルを紹介した。

 場所は父の書斎。本棚がずらりと並び、その中には学術系の洋書がこれでもかと詰め込まれている。

 彼女は学校で出会った森林術師で、蝦夷の開拓事業が進めば森林術師そのものの価値が上がるから、それを見越して若い森林術師を抱えておこうと思った――なんて、白々しい嘘を吐く。

 彼女を脇に控えさせて、紹介は全て僕自身で行う。

 ――あくまで、彼女はわたくしの下にいる一介の術師に過ぎないと、そう思わせておければ重畳ですわね。


「ええ、わたくし個人の食客にしたいと思いますの。彼女、こう見えてもかなり凄腕ですのよ」


 当然、『地母神』のことは黙っておく。

 ――この人に教えたら根こそぎ持っていかれますものね。

 亜理紗から回収できる利益は莫大だ。それゆえに秘匿し、保護し、慎重に事を進めなければならない。

 それは当然、暁之宮の財力がなければ為せない事業だけれど、同時に、最も警戒を必要とする相手は暁之宮当主である父その人だった。


「へえ。リリィが事業を、か。しかし、森林術師ならうちにもお抱えのがいるだろう。わざわざ彼女をリリィ個人の食客とする理由はなんだい?」


 さすがに鋭い。

 けれど、これに対する答えを、僕は事前に用意してあった。


「女性の森林術師は珍しいでしょう? 四民平等からこちら、士農工商の身分は撤廃されましたけれど――女性の地位は依然男性の下ですわよね。けれど、お父様。いずれ女性は男性並みの発言力を持つような時代が来る――とまでは言いきりませんけれど、来ないとも言えませんのよ?」

「ふむ。確かにそういう風潮はあるね。女性の運動もちらほら耳に入ってくるし」

「そこで、わたくし考えましたの。女性の森林術師を最初に雇った人間になろう、と。つまり――先駆者ですわ」

「……暁之宮は世界で最も早く女性を男性と同様に雇用した華族である、と。男女の権利が平等になったら、それは社会で大きなアピールポイントになるね」

「でしょう? わたくし個人の食客とすることで、女性が女性を雇うという形態にしておけば、その意味付けはより大きなアピールとなりますわよ」

「ふむ、ふむ。……いい考えだ。けれど、リリィ。我が愛しき娘よ――ひとつだけ聞かせておくれ」


 玲王・暁之宮は微笑を浮かべたまま――底冷えのする目で、こう言った。


「なにを隠している?」


 鋭い。ぐ、と喉奥に唾を押し込んで動揺を隠す。

 ――隠しきれるとは思っていませんでしたけれど、ここまで露骨に威圧してくるとは……予想外ですの。

 悪党の、ヤクザの威圧だ。実父とはいえ、怖いものは怖い――否。実父として15年間接してきたからこそ、なお怖い。

 この人は、実の娘すら道具のひとつとして有力な華族の息子――エドガー・鬼島――と婚約させた男である。

 星墜ちがなければ大正時代。華族の娘が自由恋愛を謳歌していたとは言い難い時代だろうけれど、娘の幸せなど一切考えずに利己的に振る舞える親というものがいるとしたら――それが、玲王・暁之宮だ。

 なによりも恐ろしい点は。

 この人が、道具を捨てることになんの躊躇いもないと確信できてしまうところだろうか。


「……なにも、隠してなどいませんわ、お父様。けれど、もしもわたくしがなにかを隠しているように思われるのでしたら――ええ、そうですわね。どうぞ、お楽しみにお待ちになってくださいな」


 大丈夫、と自分に言い聞かせる。まだ有利はこちらにあると、そう自分に言い聞かせる。

 亜理紗と一緒に行う滅亡植物の再生事業をこの男に渡したくない一番の理由は、そんなことをしてしまえば、なにか取り返しのつかない事態になりそうだと思ったから。

 単なる予測で、いっそ妄想と呼んでも差し支えないような考えだけれど――僕には、僕自身のそんな考えが妄想で終わるとは思えなかった。

 ――エドガーも言ってましたものね。気をつけろ、と。それがなにに対してのことかはわかりませんけれど――。

 たとえなにに対してであろうと、この人相手に気をつけないという選択肢はない。

 だから、言う。なにか感づかれているならば、それを前提に動けばいいだけだ。


「今は秘密とさせていただきますわ。上手くいくかどうかわかりませんもの」


 玲王の眼つきはすでに殺気とでも形容できそうな威圧感を孕んでいた。

 足はどうしようもなく震えて、一言一言気合を入れないと言葉も端から震えていきそうなほどだ。


「へえ。上手くいったら教えてくれるのかい」

「ええ、もちろんですわ」

「ふうむ。けれど、リリィ。――下手を打ったら、どうするつもりだい?」


 言外に、どんなことになっても助けるつもりはないぞ、と。そう告げられているわけだ。


「……下手を打っても、わたくしが恥をかく程度ですわ。ええ。暁之宮の家名に傷がつくことなどありません」

「……そうかい。ならいいよ、リリィ」


 ふ、と殺気が霧散した。

 玲王・暁之宮はいつも通りニコニコ笑いながら、亜理紗のほうを見ている。


「亜理紗・セントラルと言ったね。いまどき無所属の森林術師というのも珍しいが――いっそ怪しいと言ってもいいくらいだが――いまはよそう。娘のことをよろしく頼むよ、セントラル」

「……いえ、勿体ないお言葉。私のほうこそ、これからお世話になります、旦那様」


 父は破顔した。


「ああ、いい、いい。そんな呼び方はしなくてもいいさ。君は僕の部下ではなく、リリィの部下だろう? だったら、僕のことは友人の父くらいに思っておけばいいさ」

「では、暁之宮様と呼ばせていただいても?」

「それで構わない。では、僕はそろそろ仕事の戻らせてもらおう。書類があってね、どうにも……芳しくないもので」


 苦笑して、父は机に座った。

 失礼します、と頭を下げてから退室する。

 廊下に出て、は、と息を吐く。

 ――恐ろしかったですわ。

 見れば、隣の亜理紗も同じように息を吐いている。


「……いや、もう勘弁してほしいな、あの空気は」

「わたくしもですわ。……まあ、事業を始めた際にはどうしても絡むことになりそうですけれど」

「……そうなるだろうね」


 また、2人してため息をついた。幸せが群れで逃げていきそうだ。

 ――けれど、関門のひとつは突破できましたわね。

 ようやく、前提条件が揃ったのだ。

 すなわち――


「――さて、じゃあそろそろ始めましょうか」


 料理の時間である。





 ☆





 ぬ。

 はっ、と目が覚めた。

 目が覚めたということは、寝ていたということだ。

 また寝てしまっていたらしい。馬車は揺れている。まだ通学路の途中ということか。

 そして、頭がまた柔らかいものに包まれている。

 ――まさかの2度ネタですわね……!

 またおっぱいかと慄きながらがばっと頭を上げた。

 結論からいうと、それは確かにおっぱいだったけれど、2度ネタではなかった。


「……案外、寝相が悪いのだね、リリィ君は」


 頬を染めながら、亜理紗・セントラルはそう言った。

 起きていた。

 さっきと違って。

 起きていた。

 胸元はがばがばに開いていて、ほとんど見えている。

 褐色に焼けたみずみずしい肌も、刻まれたトライバル風の魔紋も、そして、首筋から胸にかけていくつかついた、唇で吸い付いたような赤いあとも――唇で吸い付いたような赤いあと?


「……はは、いや……うん。寝ぼけていたのだから、仕方ないさ、うん。そういう癖があるのなら、仕方がないさ」


 そう言って、亜理紗・セントラルは恥ずかしそうに小袖の胸元をきつく抱いた。


「……あの。もしかして、わたくし――」

「それ以上はやめてくれ。顔から火が出そうだ」


 言われて、僕も自分が何をやったかを理解して――


「――きゅう」

「ちょっと待て、なんで君の方が赤面して倒れるんだいっ?」


 ピュアなんだよ。

 察してください。





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