ラーメン編『スープを作ろう! 畜生街道激闘伝』‐2
さて、大正時代と言うと文明開化の時代、明治が終わって1912年からであり、洋式の館が普及し始めた時期であったわけだけれど、悲しいかなこの世界では50年前に日本以外の国が事実上消滅してしまっているので、本来起きるはずだった諸々の事件――主に戦争――が起こっていない。
暦の上では大正であり、西暦で言えば1920年。
日清、日露戦争は言わずもがな、第一次世界大戦すら経験していない日本だけが残った世界。
そのくせ、星墜ちの前年には四民平等のスローガンとともに差別撤廃が行われていたため、流入してきた異国人すらも、もちろん偏見や差別はあったけれども、紆余曲折あって書類上はある程度平等な扱いとされてしまっている。
そう。50年間、この小さな島国はキャパシティを越える異国人を見せかけだけであれ平等な関係で抱え込んでしまったのだ。
ゆえに、現在この世界の文化は、ある意味正しい歴史よりも色濃く――海外から多大な影響を受けている。
「厨房は西洋式ではなく、和式の土間風か。わざわざ洋館の中に土間を作ってまで作るスペースなのかい、これ」
亜理紗はそう言って、土間に置かれた調理用のテーブルを撫でた。
「祖母がこのほうが使いやすいとゴネたそうですわ。どうせ使用人にすべてやらせるくせに」
「そうかい。……君はどう思う?」
「わたくし? わたくしは、そうですわね……。この厨房も慣れればそれなりに使いやすいと思いますわね。水道だってちゃんとありますの」
「ふむ。……ふむ? いまの言葉はつまり、キミはそれなりにこの厨房を使っているということだね? それはそれでともに料理をする仲間として非常に心強いけれど――」
「……けれど、なんですの?」
「いや、まあ、その……」
亜理紗・セントラルは珍しく言いよどんだ。
「なんですの? 言いたいことがあるならはっきりおっしゃいなさいな」
「……それなら言わせてもらうけれど、キミ、悪役令嬢を演じていたんじゃないのかい? こういう雑事は使用人にやらせるというのが、それらしい在り方ではないかね?」
「え? でもここ、学園とは関係ない場所ですわよ? シナリオには影響ありませ――あ」
バタフライエフェクトという言葉が脳裏に浮かんだ。
いやまさか、でも、ありえなくもない……のか?
「――いや、いやいや。わたくしがなにをしなくてもそこの女がいる限りシナリオは崩れていましたもの。ええ、しっかりしなさいリリィ・セントラル。――そう、自分に言い聞かせるのですわ、悪くないと。わたくしは悪くありませんわー、と」
「いや、うん、なんだか申し訳ない」
謝られると惨めな気分になる。けれど、それはそれでシャクなので、強がっておく。
「ええ。もっと申し訳なさそうなお顔をしなさいな、貴女が悪いのですから。――全て」
「いまなにか大規模な感じで責任を私に押し付けたね?」
「悪役ですもの」
「ははは、キミこれからたいていのことはそれで押し通すつもりだろう……!」
開き直ったなキミ、なんて言う亜理紗を無視して、僕は話を進めることにした。
「で、どうしますの? どこから手をつけますの? ぶっちゃけ、ラーメンを食べるだけなら新宿のスラムの中国人に頼めばなんとかなる範囲ですわよ?」
「それは中国の湯麵だろう。――私の求めるラーメンは違う。わかるかい?」
亜理紗は両手を広げて、言う。
「豚骨と鶏ガラを併せた、黄色く濁った乳白色のスープ。そこに浮かぶ黄金の鶏油。分厚いチャーシューと、鮮やかな緑色のほうれん草。スープに沈むのは噛みごたえのある中太麺。ひとくち啜れば、打ち震えるほどに魂が感じ入る。そう、いうなれば――ソウルフルなラーメンだ。わかるだろう?」
「いきなりなんか言いだしましたけれど、頭は大丈夫ですの? 大丈夫じゃありませんわね? 叩けば治りますの?」
「テレビは叩けば直るって信じているおばあちゃん感覚で手を振り上げるのはやめたまえ!」
亜理紗は広げた両手で頭をガードしながら、数歩下がった。
「要するにだ! 家系ラーメンだよ。横浜家系とか、食べたことくらいはあるだろう?」
「……まあ、一度や二度は食べたことがありますけれど」
「だったら安心だね。一緒に作ろうじゃないか」
「簡単に言いますわね、貴女……。わたくし、ラーメンを作ったことはありませんわよ? 貴女みたいに詳しい人がいれば、お手伝いくらいはできますけれど――」
と、僕はけっこう軽い気持ちで言った。
だが、現実は予想よりもひどかった。
それも、相当重度な感じでひどかった。
僕の言葉に対して、あろうことか亜理紗・セントラルはこう言ったのだ。
「え? いや、私は基本的に食べる専門だったから、ラーメン作りどころかちゃんとした料理自体けっこう初挑戦気味だよ?」