ラーメン編『友達を作ろう。‐奈良炎上‐』‐10
窓から差し出された魔力回復薬。
それによって回復した僕のMPは、ほぼ万全。
【陽炎舞】によって強化された四肢で縄を強引に引きちぎる。
一歩踏むころには、玲王・暁之宮が僕が吶喊を始めたことに気付いた。
けれど、
――遅いですの!
彼我の距離、およそ五メートル。
今の僕にはあと二歩の距離。
「おお……!」
正面からやりあっても勝てないならば、不意打ちしかない。
この初撃。この初撃に、全てがかかっている――。
右手は剣のように鋭く指を揃えて、狙う先はただ一点。
術師同士の戦いならば。
呼吸を止めれば、勝負はつく。
――喉!
振り返った体勢の玲王・暁之宮の喉へと、全力の右手を撃ち込んだ。
☆
おりん・スチュワートはただ呆然とその光景を見ていた。
不意打ち。
五秒にも満たない、高速のやり取り。
リリィ・暁之宮の抜き手は確かに玲王・暁之宮の喉へと届いたように見えた。
しかし、
「――おりん、なにを呆けているんだ!?」
己を呼ぶ声。
玲王・暁之宮の喉は健在――それはつまり。
初撃が失敗したということだ。
☆
――逸らされましたの!?
喉に撃ち込んだはずの右手が、数センチ横にずれている。
玲王・暁之宮の首の皮膚を裂いて突き出した腕が――否。
逸れているのではない。逸らされているのだ。
僕の腕に絡みつく両手。肘と手首、関節を的確に抑えたその両手が、高速で迫る僕の腕を捉え、剛力をまとった抜き手を逸らしたのだ。
身体強化のない状態であっても、暁之宮の長は最強だった。
「――【陽炎舞】」
次いで、短く詠唱がなされた。
――まず――!
い、と思う暇もなく、視界がグリンと回る。衝撃。轟音。掴まれた腕をそのまま取っ手代わりにして叩きつけられた。
さらに、
「行儀の悪い腕だ、取り換え子」
ぶちり。
「――あ」
異音。違和感。一拍遅れて――
「あああああああああああああ!?!?!?!?!?」
激痛。
視界が赤い。
脳が焼けている。
どくどく。どくどく。
なにかが流れ出している。どこから? しらない。わからない。
でも、流れ出している。どくどく。どくどく。どくどく。
「ぃあ、あ、あ、ぇ……腕、わたくしの、腕が……!?」
ない。
ない。
ない。
肩から先にあるはずのモノが、ない。
どうして、なんで、どこに、どこへ、僕の腕、どこに――あった。
暗闇の中、爛々と光る双眸の男。
その男が、僕の右腕を持っていた。
「――心配するな、取り換え子。お前が娘を返したら、この腕はつけてやる」
視界が明滅する。赤く。黒く。赤く。黒く。
寒い。血が出ている。寒い。
どくどくと流れ出しているのは血か。いや、これは精気そのものか。
ぎゅるぎゅると視界が回る。のたうち回っている僕に追従している。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛――あ。
視界に一瞬、桃色のなにかが映った。
瞬間。
「――は」
覚めた。
☆
おりん・スチュワートはいまだ呆然と見ているだけだった。
少女が右手を強引に引きちぎられるところも。
こちらを一瞬向いた次の瞬間、左手で右肩の断面を抑えて炎を発し、傷口を強引に焼き固めたところも。
発条仕掛けのおもちゃのように跳ね上がって、蹴りで玲王・暁之宮に攻撃を再開したところも。
全て、見ているだけだった。
☆
右肩を焼いて、流れ出る血と精気を止めたところまではよかったけれど、そこから先が難しかった。
なにせ痛い。痛くて痛くて痛くて痛い。
それでも眼前の男――玲王・暁之宮へと攻撃を与えようと身体が動いた。
視界に映った桃色が僕にそうさせた。
跳び上がって放った右脚の蹴りは、玲王・暁之宮の左手で掴まれた。
――千切られる!
それはダメだ。足がないと亜里沙のところにいけない。なくてもいくけれど、あったほうがいい。
だから、左脚で玲王・暁之宮の左手を蹴飛ばした。
両足が完全に地から離れている。
左手をはじかれた父は、右手に持っていた僕の右腕を僕めがけて振り抜いた。
空中でまともに防御姿勢をとれるはずもなく、振りぬかれた右手に持たれた右腕――ややこしい――は僕の腹部にクリーンヒット。
そのまま、僕を大きく吹き飛ばした。
無様に落下し、ざざ、と地面を転がり滑って止まる。
体勢の立て直し――をするよりも先に、視界が高そうな革靴で埋まった。
――追撃の蹴り!
防御――間に合わない。せいぜい歯を食いしばるくらいしかできない。
ガゴッ! と、冗談みたいな音が脳みそに響いた。頭蓋骨の中で反響し、潰れた鼻の感覚がない。ただ、熱く――熱い。
顔面を蹴られたのだから、それもそうだ。意識があるだけまだマシ。
蹴られた衝撃で、サッカーボールのように僕の身体は宙を舞い、また落下――を。
「ぐ……!」
空中で強引に体勢を正し、足を下に向けて着地。脳がシェイクされたせいか、もはや自分がどちらを向いているのかもわからないし、左目はもう真っ赤に染まっていて目の役割をはたしていない。
だから、僕は右膝を上げ、身体を縮めるように丸く構えた。
――わたくしがお父様なら防御の薄くなった右手側から攻めますの!
果たして、その推理は――当たった。
ご、とまるで丸太ででも殴られたかのような衝撃が、己の右側から伝わる。
「か、は……!」
推理が当たったところで、力の差は歴然。防御など無意味で。
僕はまた吹き飛ばされた。
☆
なにかに受け止められた。
それは、柔らかくて、温かいものだった。
視界は赤黒くて、もうなにも見えない。
「無茶のし過ぎだ、リリィ君」
声が降ってきた。
たしなめるように厳しく、けれど、優しい声だ。
「あ……りさ……?」
うん、と返事があった。
そして、
「玲王・暁之宮。これ以上彼女を傷つける気なら、私が相手になるぞ。当然、なすすべもなく死ぬと思うが」
――なにを。
思う間もなく、亜理紗が僕の左手を握りしめた。
その手は彼女の胸に導かれ、身体ごと抱きしめられる。
「……それは困るな、セントラル。君の【地母神】がなければ、悪魔を追い払えないじゃないか」
僕の後頭部側から、男の声がした。
父の、玲王・暁之宮の声だ。
「それがそもそも勘違いだ。儀式が成功したのにリリィ君が変わっていないのは、そもそもリリィ君が取り換え子などではなく、正真正銘、貴方の娘である証拠ではないか」
「いいや、違う。違うさ。僕にはわかる。それは娘じゃない――」
ぎゅう、とさらにきつく、抱きしめられた。
胸に抱かれた左腕が脈動する体温に触れる。
「……言うぞ、暁之宮の長。貴女の行いはただの徒労だ。無駄だ。徒に人命を損なわんとする所業だ。悪ですらない、ただの阿呆のすることだ。ここまで言ってもわからないか」
「――そうか、お前も悪魔の仲間か。道理で仲が良いわけだ。いいだろう、お前も共に地獄へ送り返してやる」
はあ、と亜里沙が息を吐いた。
「話が通じない、か。しょうがないね、これは。私も全力でお相手するしかないようだ」
左手が温かい。導かれ、亜理紗に抱きしめられる。強く、強く、深く――。
左手が。
亜理紗の中にある、と。
僕は直感で理解した。
――【地母神】が。
発動している。
彼女の胸の魔紋へと、僕の手が導かれているのだと。
そして、この光景は、おそらく玲王・暁之宮には見えていない。
背後にいる彼には、僕がただ亜理紗に抱きしめられているだけに見えていることだろう。
「全力? ただ植物を生み出すだけのお前に、なにができるというんだい?」
「おやおや、その植物で大魔術を執り行ったのは貴方だろう? いいか、この【地母神】はまごうことなきバランスブレイカーだ。そして、いいかい」
よくない。
彼女のやろうとしていることが、僕にはよくわかった。
けれど、右手にはもう、その果実の感触があった。
「――勝てよ、リリィ君。勝って、帰ろう。そして一緒にラーメンを食べよう」
果実。
手に持つと少し柔らかくて、皮がややざらりとしている。
オオカムヅミ。
その果実を、僕は知っている。
亜理紗の抱きしめる力が弱くなっている。
HP全損覚悟の自損魔術行使。
それも、もともとMPがほとんど空になっている状態で、だ。
――でも、帰ろう、と。
彼女は言った。
だったら。
そうしよう。
僕はその果実を齧った。
血の味がした。




