ラーメン編『友達を作ろう。‐奈良炎上‐』‐9
玲王・暁之宮は僕の声を聴いて、僕が変わっていないと気付いた。
がらり、と空気が変わる。
彼の微笑が――ない。
いつも顔に張り付けていたあの表情。誰が見ても本心からではないとわかってしまう微笑みが、彼の顔から消失していた。
顔を歪め――けれど、怒りの表情でもなく。
僕には。
――苦痛をこらえるかのように見えますの。
まるで、泣く直前の子供のようだと思った。
「取り換え子め。まだ娘を返さないつもりかい?」
「……確かに、確かにわたくしには別人の記憶がありますけれど、でも……わたくしこそが、リリィ・暁之宮ですの。お父様、わたくしが実の娘で――」
「いいや、違う。違うさ、取り換え子。お前は――違うんだ……!」
取り乱す玲王・暁之宮を見るのは、人生で初めてだった。
彼は血走った眼で、背後に控えるおりん・スチュワートへと声を飛ばした。
「おりん、もう一度だ!」
「玲王様、これ以上【薬祖神】を使われると身体が焼ききれちまいます。魔力だって足りてねえでしょう――」
「足りないなら血で補えばいいッ、多少の無茶は押し通せる。彌生、触媒を準備しろ」
「……準備と言いますと?」
わかりきっていることだろう、と玲王は吠えた。
「あの小娘を連れてこい。無理やりにでも霊草を作らせればいい」
その言葉に、またもやおりん・スチュワートが眉をひそめた。
「亜理紗さんは魔力すっからかんで、精神の消耗も激しい状態です。回復薬を飲ませても霊草作らせんのは無茶が……!」
「二度は言わないよ」
と、玲王・暁之宮は冷たく言い放った。
彌生が一礼して、儀式場から去っていくのを、僕は見ていた。
――亜理紗にどれほどの無茶をさせましたの!?
彼女は魔力量が多い。そもそも主人公である彼女は、すべてのステータスが高水準なのだ。
その亜理紗・セントラルの魔力を空にしてしまうほど、彼女を酷使した……ということか。
僕を人質にして。
「……お父様、貴方という人は……!」
「黙れ、黙れよ、取り換え子! 僕は――僕は」
取り戻すんだ、と。
彼は言った。
僕を見ずに。
☆
は、と口から煙を吐く。
それはおりん・スチュワートの癖のようなもので、さて、癖になったのはいつ頃だったか。
――玲王様と出会ったころよりはあとか。おいら、煙管なんて吸い始めたの、それこそ金持てるようになってからだもの。
愛しているかと問われれば、臆面もなく頷くだろう。
彼のために死ねるかと問われれば、ああ、死ねると――そう、言い切れる。
けれど。
――お嬢様。
愛しい人の娘である彼女も彼と同様、おりん・スチュワートにとって大切な存在だった。
だから、迷う。
「――旦那様。亜理紗・セントラル様をお連れしました。どのようにすれば?」
「おりん、引きずり出せ」
侍女が抱えてきた少女は、リリィ・暁之宮の友――唯一、心を許せるであろう友。
気を失っているのか、眠っているのか。ともあれ、意識のない少女がひとり。
顔は土気色で、おりんは彼女の身体から精霊の気配がほとんどしないと感じた。
――よほど、大変な術なんだな。
【地母神】だったか。植物を生み出す術で、【薬祖神】と連なる術式だと聞く。おりん・スチュワートが玲王・暁之宮に対する術式援護と詠唱を行い、強力な魔術的要素を持つ希少触媒を多種用意し、龍脈上に儀式場を用意してようやく発動できる【薬祖神】と同格の術を、この桃色髪の少女は単独で発動した。
負荷は推し量るに想像を絶する。
は、と煙を吐く。
侍女に近づいて、少女を下すように指示する。
そのとき、
「――よろしいので?」
と、侍女が小さな声で問いを発した。
おりん・スチュワートにしか聞こえないような声で。
なにを、という暇もなく、侍女は少女を地面に横たえた。
「――よろしいので?」
もう一度、問われた。
じっと見つめられる。
なにを考えているのかわからない、無表情で無機質な瞳。
だが、おりん・スチュワートは、自然と答えていた。
「わかんね」
わからないのは、なんだろう。
玲王・暁之宮のことだろうか。
リリィ・暁之宮のことだろうか。
侍女の考えていることだろうか。
それとも――おりん・スチュワート本人のことだろうか。
彼女は暁之宮の親子ふたりの味方でいるつもりだった。
けれど、彼女はいま、本当に誰かの味方として在るか。
ヒーローとして。
在るか。
そんな迷いを、胸の中ではじけさせたときだった。
「――わからないなら」
小さな声がした。
かすれていて、力なく、ひどく苦しそうな、ともすれば聞き逃してしまいそうな。
しかし、それでも、強い意志のこもった声――。
「わからないなら……黙って見ているがいい……」
はっとする。
声の主は、薄く目を開き、荒い息を吐きながら、両手を使って上体を起こした。
「亜理紗さん――あんた」
「だが、私は黙っているつもりなどないぞ。声をあげ意思を示し、行動し結果を出す。そんな彼女だから、私は惚れたんだ――ずっと前、幻にすら思える記憶の中で、彼女だけが素直に愛を叫んでいた。画面越しでも伝わるほどに濃密な、狂おしいほどの愛を、狂ってしまうほどの愛を」
彼女、と言って見る先は、魔法陣の中央。
横たわる少女――大切な人。
「そんな彼女だから、惚れたんだ」
繰り返す。
「そして、おりん・スチュワート、貴女も――」
ちら、と亜理紗・セントラルがおりん・スチュワートを見た。
「――きちんと、正面から見るべきだ」
ずきり、と言葉がどこかに刺さった。
胸の奥の、なにか、大切ななにかに、細い針のように、太い杭のように。
打ち込まれ、刺さった。
「……な、なにを――なにを見ろってんだい?」
「愛だ」
亜理紗・セントラルは言い切った。
「貴女は貴女の愛と向き合うべきだ。ちゃんと見てやるべきだ」
「――お前、は」
言葉の先は宙を漂って、消えた。
なにも言えなかった。
ただ、呆然と少女を見ていた。
そして――。
☆
いくぞ、と自分に言い聞かせる。
心臓は痛いほど熱く、強く、音を立てて脈動し、魔力をどくんどくんと全身へと送り出す。
いくぞ、と自分に言い聞かせる。
怖い。敵は強くて、数も多い。
いくぞ、と自分に言い聞かせる。
それでも、僕は――亜理紗が好きで。
亜理紗のところにいきたくて。
いくぞ、と小さく呟いた。
そして、
「――【陽炎舞】……!」
いった。




