プロローグ‐5
滅んだ植物――食材。
その言葉の意味するところは、大きい。
例えば胡椒。
大航海時代であれば、それは同じ重さの金と同じ価値があったとされているけれど、前世じゃどこのスーパーでも売っているありふれたスパイスだった。
しかし、それほどありふれていても、僕のいた時代では、つまり2000年代日本においては、胡椒の自給率はほぼ0%である。大量輸送が可能な時代だったから安かっただけで、本来ならばありふれることなんか絶対にあり得なかったものなのだ。
「同様に、この世界観においても胡椒の自給率は0%だったわけだ。琉球には島胡椒なんてものもあるけれど、それにしたって列島本土の気候で育つようなものではないし。星墜ちの際、種や株を持ち込んだ中東の商人もいたようだが――森林術師に渡す前に、気候が合わずすべて枯れてしまったそうだ」
「……そもそも島胡椒もかなり手に入りづらい状況ですもの。――星墜ちの余波を食らって、ほとんどの木は沈んでしまったと聞いておりますわ」
「そう。おかげで島胡椒も絶滅危惧種だ。だっていうのに、馬鹿な華族は名声を高めるためだけに手に入れようと躍起になっている。いまや胡椒はひとつぶで家が買えるなんて言われてしまうほどの超高額商品だ」
だが、『地母神』が本当に滅んだ植物を再生させられるならば、話は違う。
「……単刀直入にお聞きしますわ。貴女、作れますの? 胡椒を」
「無論、作れる」
ためらいなく、亜理紗・セントラルは言った。
彼女は肌蹴た胸元の中央、魔紋の中心に右手を突き入れ――文字通り、手は肉の中にずぶずぶと沈んでいった。グロい。
そして魔力が溢れた。
「……くっ……ふうっ……」
苦悶の声。亜理紗・セントラルの身体に刻まれた魔紋が淡く発光する。
「あっ……ん……」
光は胸元の一点に収束し、沈み込んだ右手を中心に温かさを感じる緑色になった。
――ていうか大丈夫ですの? なんか、かなり辛そうな感じですけれど。
「くふ……駄目だよリリィ君、そんな奥まで……!」
「自分で突っ込んで自分で勝手に盛り上がるのやめてくださらない?」
ちょっと苦しそうとか心配して損した。
ともあれ、亜理紗・セントラルはその光を胸元から引き抜いた。
握りこぶしだ。魔紋はすでに光を収め、元の巨乳へと戻っている。死ね。
「……ほら」
と、亜理紗・セントラルは拳を開いた。
「……胡椒だ」
そこにあったのは、房状に連なるみずみずしい緑色の種だった。
「食べてみるかい?」
「健康上の被害とか怖いので遠慮しておきますの。貴女から出たものですし……」
「ははは、目を逸らすのをやめてくれないかな……? 大丈夫だよ、私は清い身体だから」
またいらない情報を手に入れてしまった。
「というか、それ……本当に胡椒ですの?」
「本当だとも。これを森林術師のスキルで加速成長させ、乾燥させ、砕けばおなじみの胡椒になる」
「気候があわないのではなくて?」
「そこはそれ、ハウス栽培でもなんでもすればいいさ。これにはそれだけの価値がある。――そうだろう?」
確かにそうだ。だが、ハウス栽培となるとそれはそれで様々な費用がかかりそうではあるし、胡椒に限らず滅亡食材の復活は金の卵を産むガチョウだ。どこから横やりが来るか――。
――なるほど、そういうことですの。
と、そこで僕はようやく理解した。
「価値があるからこそ、暁之宮家の力を借りたいと、そういうことですのね?」
「そうだとも。もちろん、リリィ君。君と一緒に食卓を囲みたいという言葉に嘘はないけれど――裏社会の重鎮、暁之宮家に保護と援助をお願いしたいという願いがなかったわけではないさ。当然、その見返りとして、滅亡食材の復活ビジネスは君達暁之宮家のものとなるわけだけれど――さて」
亜理紗・セントラルは言う。
「今一度、言わせていただこう――」
馬車が止まった。家に到着したのだろう。けれど、僕らは降りずに向かい合っている――。
「――一緒にラーメンを作りませんか?」