ラーメン編『友達を作ろう。‐奈良炎上‐』‐1
僕らの乗る自動車の名前はM型フォードという。T型フォードと形は同じで、出し入れ可能なルーフに左ハンドル、席数は助手席と運転席の二席だけ。
東京はまだ抜けていない。
左手側に海を臨む道。未舗装だけれど、長い年月、荷車や人の往来によって踏み固められた広い道が、安心感を与えてくれる。
「M型のMはマギクスのMだ。説明は必要ないな?」
「運転者の魔力で動く魔力車ですわね。奈良まで魔力足りますの?」
「足りさせる。お嬢様の魔力まで借りるわけにはいかない――その魔力は絶対に温存しておくほうがいい。先行する玲王・暁之宮の車に追いつけるかどうかはわからんが、こっちは型落ち品だし、向こうが休憩でもしないとまず無理だ。そして、向こうが休憩するとすれば――」
「――魔力の回復目的、ですわね。うちのお抱え運転手は魔力がありませんから、魔力そのものはお父様が供給しているはずですわ。疲弊しているお父様に対して、全力のわたくしでどうにかできれば、といったところでしょうか」
「ところがそうはいかない」
リュー・ノークランは苦虫を噛み潰したような表情をした。
「ちょっと新宿で伝手を回ってみたんだがな、おりんさん、どうやら玲王・暁之宮と一緒にいるらしい」
「――一緒に?」
あの、3人がかりで勝てなかったジャイアント餓鬼を一瞬で焼き滅ぼしたおりんさんが、玲王・暁之宮と一緒にいる。
だとすれば、このまま追いついたとしても、勝てる見込みはゼロだ。
父だけでも正面切っての殴り合いなら確実に僕が負ける。
暁之宮は力でもって裏社会を締め上げる悪党だ。経済力、政治力は言わずもがな、暴力であっても、暁之宮は常に裏で一番であり続けるのだ。
――情婦という扱いにはなっていますけれど、おりんさんだって暁之宮の幹部……新宿スラムの荒くれをまとめ上げる一級の戦闘員ですもの。
その力は実際に目にした。
巻き上がる炎と、跡形もなく消え去るジャイアント餓鬼――同じ炎属性の使い手だからこそ、その卓越した魔法の才がよくわかる。
おりんさんは金属バットで殴れば死ぬタイプの生物だと思うけれど、金属バットごと燃えカスにされてしまうだろう。
――お父様は、さらに強いはずですわ。
僕と同様、【陽炎舞】によるブーストを加えた体術で戦うけれど、炎属性を極めた術師の【陽炎舞】はあまりの速さに残像さえ残すという。
残った残像がゆらりと揺らいで見えることから、【陽炎舞】と言うそうだ。
父はそのレベルの使い手だと考えていい。
だから、
「お父様とおりんさん、2人がそろっているならば、わたくしに勝機はありませんわね」
と呟いた。するとノークランが唇の端を歪めて笑いながら――イケメンだからそれもニヒルっぽくて似合う――言った。
「まるで、どちらか1人だけなら勝てるとでも言いたげなセリフだな」
「あら、失礼いたしましたわ。ですけれど、一対一なら勝てる可能性はゼロではありませんのよ?」
「……なら、どれくらいの可能性なんだ?」
「……ゼロではない程度ですわね」
ノークランは顔をしかめた。
「それ、ほぼゼロってことじゃねーか。自殺しに行くってんなら、さすがに止めるぞ」
「これだから戦闘脳は。いいですこと? お父様は暁之宮の存続を求めるはずですの。ということは、わたくしの命までは奪わないはずですわ。となると、大切なのは交渉戦ですの」
「交渉?」
「ええ。ようするに、言葉で解決するわけですわね。いいですわよね、平和的解決。暴力ではなにも解決しませんの」
「交渉するにしたって、お嬢様の要求である『人質=亜里沙・セントラルの解放』がそもそも不利な条件だろう。人質を交渉材料に組み込める玲王・暁之宮のほうが圧倒的に有利になる。それに、もし交渉が決裂したらどうするんだ?」
「おとなしく捕まる気はありませんし、腕力に訴えますわね」
「でも、そうすると負けるわけだな」
「そうなりますね」
「ダメじゃねえか。――お?」
と、そこでノークランが怪訝そうに声を上げた。
見る先は、土の道路――馬車の往来のために広く作られた道を、自動車で飛ばしているわけだけれど――そこに、人影がひとつあった。
まだ遠いけれど、鮮明な赤い着物が目に染みるように異彩を放つ。
近づくにつれ、その人影の様相もわかってきた。
髪はゆるくウェーブした金。ゆるりとまとった赤い着流し。
けだるげな表情で、キセルを咥えている――女。
そんな。
なんで、ここに――。
「――おりん・スチュワートっ!?」
彼女も、僕とノークランに気付いたのだろう。
お、と口を開けてちょっと驚いたような表情を作り、そして笑った。
――来るとは思っていなかった、って顔してますわね。
待ち受けていた、ということか。しかし、父と別れれば戦力が分散されてしまうのに、どうして――いや、父からすれば、そもそもおりんさんひとりいれば、僕なんてどうとでもなると思っているのだろう。
実際そうだ。追いかけてくることを予測して、彌生を突破することを予見して、詰めとしておりんさんを置いた。
だとすれば、父は案外……僕のことを怖がっているのかもしれない。
「お嬢様、いいか?」
ノークランは張り詰めた声で主語のないセリフを吐いた。
「――いいよな?」
「なにがですの?」
「ここでふたりとも脱落するより、お嬢様が本丸に切り込めたほうが、いいよな――?」
ノークランはそう言って、立ち上がった――運転席の上に。
「ちょ、貴方、ハンドルを……!」
「運転の仕方、知ってるよな?」
「わたくし前世でもオートマ免許でしたのよ!?」
「なら大丈夫だ、俺、前世は中2だったから免許なんて持ってないし」
「は!?」
「今生のほうが長いんだよ、俺。――まあ今日で終わるような気もするが、終わりたくないし、一丁頑張ってやるよ、お嬢様」
ぐら、と車体がぶれた。慌ててハンドルをつかんで、立て直す。
ノークランが車のフロントガラスを乗り越えて、丸いボンネットの上に器用に立った。
そして、
「俺が先行しておりんさんを脇にどける。アクセル踏み込んで、一気に抜けろ。魔力ぶち込めばそれだけ速度出るから」
「貴方――」
にっ、とノークランが笑った。
「俺、この戦いが終わったら――戸籍いじって竜太郎と兄弟になるんだ」
「フラグ……!」
ノークランは闇色の魔力を身にまとって、ボンネットから飛んだ。




