ラーメン編『麺を作ろう! 終わった誰かの物語』‐15
さて、と少年は言った。
「彌生さん。そういうわけで、僕は貴女を足止めするわけだけれど、どうだろう。僕だって紳士のはしくれだ。争い事はなしにしないかい?」
「……エドガー様、そういうことはせめて取り押さえられる前に言うべきかと」
「だって彌生さん速いし……」
「エドガー様は護符をはじめとする道具を使って戦うと聞いておりますので。使われる前に抑えてしまうのが最適解かと思いまして」
そう。
少年は地面にうつぶせに倒れ伏し、後ろ手に回した両手を侍女に抑えられていた。
完封である。
リリィ・暁之宮が出て行ってから30秒の出来事だった。
「お嬢様のフィアンセであるエドガー様には申し訳ございませんが、ひと眠りお楽しみくださいませ。意識を奪うだけですので、痛くはありませんよ」
「そして、リリィたちの邪魔をしに行くわけだ。そんなに悲恋が好きか」
「叶わぬ恋だからこそ美しいものがあります。女性同士の恋愛など、言語道断です。一時の気の迷いと、そう言われても仕方がないこと――流行り病のようなもの。ですが、それゆえに百合とは引き裂かれてこそ百合なのです。ハッピーエンドなど、所詮はご都合主義の妄想に過ぎません」
「理想を求めてこそ愛だろう」
「百合は不順で不道徳です。だからこそ背徳の愉しみがある――と、そう思いますが」
「性別の概念を超えた愛こそ真実魂の惹かれあう愛だろう……残念だ、貴女とは仲良くやれそうだと思っていたのに」
「私もですよ、エドガー様。ですが、私も仕事ですし、たとえ仲良くやれていたとしても、仲良くやれるとしても、貴方をここで絞め落とす未来に変わりはありませんでしたよ」
エドガーは苦笑した。
「やめといたほうがいいぜ、彌生さん。僕に手を出すのは自殺行為だ。いいかい? ――僕の仕込みは、もう終わってる」
「?」
彌生は怪訝な顔で首をかしげつつも、
――はったりでしょう。
そう判断した。たとえなにか道具を使っていたとしても、護符のような対魔法の道具は彌生には関係がない。
一切の魔力を持たず、しかし、研ぎ澄ました技術によって戦う彌生にとって、刀を持っただけの素人など怖くもなんともない。
だから、右手でエドガーの頸動脈を締め上げ――
「――ッ!?」
数秒で、彌生は手を離した。表情は苦しそうに歪んでいる。
それに対してエドガーは余裕の笑みを浮かべていた。
「どうしたんだい、彌生さん。気絶でもしそうになったかい? ――まるで頸動脈でも絞められたみたいに」
「エドガー様、貴方いったいなにを……!?」
「仕込みは終わっていると言ったはずだぜ、彌生さん。そして、いいか。君は僕に絶対に勝てない。魔法を使えない純粋物理系のユニットじゃ、このコンボからは抜け出せない。そういう風にできているんだ」
がしり、とエドガーが彌生の腕を掴み、離さない。
「年上の美人な侍女に組み敷かれて一晩ってのも悪くない。――こんなこと言うと書記君にまた怒られそうだけれど、まあ、男の甲斐性と言うし、いいだろう」
「……離す気はないようですね」
「このまま朝まで――できればリリィたちが帰ってくるまで耐えたいところだけれど、さてどうなることやら」
「日刊紙の見出しは『侍女を手籠めにする悪徳華族』とかでどうでしょうか」
「いやいや、組み敷いているのは貴女だからね、彌生さん」
彌生は嘆息し、身体から力を抜いた。
「どういう仕組みですか、これは」
「簡単なことでね。呪い返しの応用――ようするにシステムの悪用だ」
エドガーは言う。
「暗黒物質ってものがある。海岸でたまに拾えるもので、隕石のかけらだとかなんとか言われているけれど、そんなことはどうでもいい。大切なのはその効用。すなわち、生命にどのような影響を及ぼすか、ということ」
「……毒を盛ったのですか、私に」
「それができれば苦労はしないさ。暗黒物質という毒を盛ったのは、僕自身にだ」
「エドガー様自身に……?」
「そうとも。暗黒物質には全ての状態異常が内蔵されている。毒、麻痺、睡眠、反転、呪詛――いろいろだ。ああ、いや、ゲーム用語だからそう深く考えなくていい。どうせ理解されるとも思っていないしね」
エドガーは、この部屋に入る前に、ひとつに呪文を唱えていた。
状態異常回復魔法である。
「知ってるか? このゲーム、状態異常回復魔法の仕様が妙なことになっていて、唱えると魔法の対象ユニットは『状態異常回復待機』アイコンを得るんだ。次の状態異常を回復します、って意味で、予防注射みたいなものだと思えばいい。この時代じゃ、この例えもわからないと思うけれど。まあ、僕のレベルが低くて反転までは治せないんだけれど――それでいい」
それで、毒や麻痺、睡眠などの状態異常を治した。
原理はそれだけ。
「けれど、呪詛に関しては少々違う。呪詛は祓うと呪詛返し状態になる。呪詛をかけてきた相手に対して、僕に降りかかる災いを返す――と、まあそんな感じでね」
暗黒物質による呪詛状態は、厳密にいえば彌生から受けたものではない。けれど、戦闘中に暗黒物質の呪詛を祓うと、なぜか戦闘している相手に呪詛返し状態になる――システムの穴だ。
「長いこと説明したけれど、ようするに、だ。彌生さん。僕を傷つけたり無力化しようとすると、もれなく貴女自身にそれが降りかかる。そして、いいかい? 僕のレベルじゃ反転までは治せない――」
反転状態。HPへのダメージが回復になり、回復がダメージになるという状態異常だ。妖の多くは妖力を使った攻撃でこの特殊な状態異常をすり抜けてくる。
体当たりしかしてこないメタル一反木綿とは相性が良く、低レベルでの――低レベルだからこその単騎撃破も十分可能なのである。
「わかるか? 彌生さんはもう、どうあがいてもこうなった僕を超えることはできないんだ。攻撃はすべて自分に返り、僕は攻撃されるたびに癒される。もっとも、僕のほうから貴女を無力化する手段もないから、膠着するだけだけれど」
「……最初から時間稼ぎしか考えていなかったということですか。大物狩りとか偉そうなことを言っていた割に」
「申し訳程度の挑発だよ。突っかかってきてくれれば、それだけで僕の勝ちだったから」
「ずるがしこい人ですね、エドガー様は」
「いやいや、それは違うとも」
エドガーは笑った。
「だってこのコンボ考えたの、僕じゃなくて攻略ウィキに書いたやつだし」