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ラーメン編『麺を作ろう! 終わった誰かの物語』‐13





 ――ん。

 ぼんやりと視界が戻る。

 腕を枕にして寝ていたようだ。

 身体を起こす。部屋の窓から入る光は赤く、すでに夕方になっているようだ。

 突っ伏していた机の端に、どんぶりが載っている。

 ――あ。

 そうだ。僕は、泣いていて、それで――それで、泣き疲れて、眠ってしまったのか。

 まるで子供だ。

 と、ばさりと床に落ちたものに気付いた。

 布だ。


「これは……ブランケット?」


 どうやら机に伏して寝る僕の肩にかけられていたようだ。

 こんなことをする人がいるとすれば、それはひとりだけ。

 ――彌生。

 侍女しかいない。

 は、と息を吐く。

 あの侍女は職務に熱心なだけだ。暁之宮という闇に浸りすぎたがために、あまりにも冷徹に職務をこなすから、わかりづらいけれど。

 父の命令を守りつつ、僕という暁之宮の令嬢を守護する。

 不器用なようで、一周回ってむしろ器用だろう。

 仕事と感情をきっちりと分けきることができるタイプ。

 ――と思いましたけれど、本当に分けられるなら百合尊いとか言いませんわよね。

 じゃあなんだろう。頭がおかしいとかそういう感じのアレだろうか。

 というか、むしろこの世界、常識人がいないような気がする……僕以外。


「――お嬢様」


 声がかかった。

 厨房の入口のほう――そちらを見ずに、僕は応じた。


「なんですの?」

「お客様がおいでです。応接室にてお待ちいただいておりますが、どうしましょうか。お嬢様も気分が優れないご様子ですし、お帰り願いましょうか」


 僕は目元をぐしぐしと服の袖で拭って――あまり令嬢らしくない仕草だけれど、今ぐらいは大目に見てほしい――聞いた。


「誰ですの? お客というのは」

「エドガー・鬼島様です。正直、私は会わせたくありませんが、いちおう婚約者ですし……どうしますか?」

「あら、彌生。貴女、エドガーのこと嫌いでしたの?」

「嫌いというほどでは……しかし、なんの前触れもなく婦女子の家を訪ねてくるような輩に好感を持てというほうが無理でしょう」

「確かに」


 ふふ、と笑って僕は立ち上がった。


「今日はもう、誰にも会いたくありませんの。ですから、エドガー様にもそうお伝え願います」

「かしこまりました。では、そのように――」


 と、彌生がキッと後ろを振り返って睨み付けた。

 ゆらり、とひとりの男が通路から姿を現し、気軽そうに片手を上げた。


「学校休んだ割には元気そうだじゃないか、リリィ」

「――エドガー様、いくら婚約者といえど他家の屋敷を勝手にうろつき、あまつさえ婦女子の姿を勝手に見るのはいかがなものかと思いますが」

「ああ、すまない、彌生さん。まあ許してくれ。僕はちょっと、リリィにどうしても言わなきゃいけないことがあっただけだから」


 苦笑して、エドガーはこちらに向き直った。


「なあ、リリィ。――お前、どうしてここにいるんだ?」

「……どうして、とは? ここはわたくしの家ですもの、ここにいるのは当り前ですわ」

「そうじゃない。どうしてセントラル君を追いかけないのか、と聞いているんだ」

「……」


 どうして知っているんだろう。亜里沙がとらわれたことを。

 いや、どうして知っているかなんてどうでもいい。


「そうするしかないから、ですの。……エドガー様、わたくし、気分がよろしくありませんの。休ませていただいてもいいかしら」

「ずっと泣いてたんだろう? セントラル君がいなくて」

「……エドガー様」

「真っ赤な目で睨まれても怖くないよ。なあ、リリィ。どうして追いかけない? 追いかけたくないのか? ん?」

「……追いかけたくないわけありませんわよ。でも、無理ですの。わたくしにはできませんの。彌生にさえ勝てないわたくしが――一体なにをできるというのです」


 エドガーの顔から視線を外して、床を見つめる。

 ――わたくしには亜里沙を救えませんの。

 彌生がいる限り、この屋敷から出ることさえできない。よしんば彌生を倒せたとしても、奈良まで行く足がない。奈良まで行けても、待ち受けているのは父、玲王・暁之宮だ。

 無理だ。

 万策尽きている。

 けれど、エドガーはやはり快活に笑った。


「そうか。追いかけたいんだな? 引き裂かれてから自分の気持ちに気付いた百合っていうのも悪くないな。そうでしょう、彌生さん」

「……? エドガー様、私にそれを聞いてどうしようというのです。確かに尊いものですが……」


 彌生は首を傾げて問い返した。


「でもさ、彌生さん。僕は――この引き裂かれた百合が、再びひとつになったところを見てみたいと思う。やっぱり物語っていうのはハッピーエンドじゃないといけないと、そう思う。だからさ、どうだろう」

「……どう、とは?」

「いや、なに。彌生さんが悲恋好きだとしても、僕はそれはそれでひとつの尊い百合の形だと思うから、いいんだがな。ようするに、ただの宣言だよ。僕はハッピーエンド厨だ。それ以外は認めないし、そうならないなら無理やりにでも変えてやるって」


 ――まさか。

 僕は彼がなにをしようとしているのかに思い至って、慌てて駆け寄ろうとしたけれど、エドガーは手のひらをこちらに向けて僕を制した。


「行けよ、リリィ。ここは僕が受け持とう。心配するな。ちゃんと時間は稼ぐ。表に自動車があるから、それを使え」

「いえ、でも、貴方が敵う相手じゃありませんのよ!?」

「そうだな。まず勝てない。けれど、勝つ手段があるなら別だ。――安心しろよ、リリィ。僕、こう見えても大物狩りが得意なんだ」

「でも――」

「いいから」


 エドガーは力強く笑って見せた。


「ヒロインを救う役はお前に譲るさ。その代わり、最高にハッピーなスタッフクレジットに僕の名前を刻んでくれ」

「……貴方……!」


 すでにエドガーの視線は僕ではなく彌生に向いている。彌生は目を閉じて、無表情で黙り込んでいた。エドガーと僕の会話が終わるまで待つつもりのようだ。

 ――でも、わたくしには……それを為す力がありませんのよ? 奈良まで行っても、亜里沙を救う力がありませんのよ?

 だから、僕は迷った。

 行くべきか。

 行かざるべきか。

 この期に及んで、まだ迷った。


「リリィ。お前は悪役だろ? だったら、潔く諦めるような醜態は見せるな。醜くあがき続ける美しさを見せてみろ」

「ですけれど……」

「欲しいものは手に入れる。それが悪役令嬢だろ?」


 ――悪役令嬢。

 それは、でも。

 僕が勝手に強いられていると思い込んでいたロールプレイに過ぎないものだ。

 僕の足は動かない。

 動かない――。


「ああもう、じれったいな。いいから行け! お前、好きなんだろ? セントラル君のことが! だったら、行けよ! 行かなきゃ一生後悔するとか、そんな適当なことは言えないけどさ。行っても、どうせお前は後悔するんだろうさ。でも、お前――」


 エドガーはそこで言葉を止めて、しばし考え込み、


「あー……ええと、ちょっと待ってくれな。いま考えるから」


 さらに考え込み、ややあって、冷や汗を垂らしながら言った。


「行かなきゃ一生後悔するぞ!」

「特にほかの良い言い回しを思いつきませんでしたのね……!」


 でも、一生後悔するのは――当り前だ。

 僕の前世。

 終わった誰かの一生は、後悔の連続だった。料理のこと。仕事のこと。親との関係のこと。

 全部が全部、誰かにとっては後悔だった。

 けれど。

 誰だってそうだろう。

 僕だってそうだ。

 たかが15年しか生きていない僕だってそうなんだから、終わった誰かはみんな、後悔しながら生きている。

 ――どうせ後悔するんですの。

 だったら、いっそ吹っ切れて――もっといっぱい後悔を背負っていこう。

 行っても行かなくても後悔を背負うことになるっていうのなら、自分から背負いに行こう。

 どこまでも天邪鬼に。

 ――悪役ですものね。

 だから。


「ええ。では、お言葉に甘えて――わたくし、行かせていただきますわね」

「ああ、行って来い」

「はい。ありがとうございます、エドガー様。それと、彌生――」


 侍女は閉じていたまぶたを開いて、はい、と応じた。


「わたくし、所用で少々出ますわね。そちら、お客様の対応をお願いいたしますわ」

「……はあ。お嬢様はいつまでもお転婆で困りますね、本当に。――いいでしょう、この彌生、お客様を丁重におもてなしいたしましょう。ですが、お嬢様。私はこれでも仕事ができる侍女です。――すぐに連れ戻して差し上げましょう」

「では――そうですわね。なんと言いましょうか」


 ふむ、と少しだけ考えて、僕は言う。


「ちょっとヒロイン救いに行ってくる」





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