ラーメン編『麺を作ろう! 終わった誰かの物語』‐5
新宿に住む清国人に中華麺の作り方を聞いたら、この方法を教えてもらったというだけの話だったりする。
沸騰させた水にこの二種類の粉を入れて、しっかりと撹拌して溶かした湯で麺を打つと中華麺になるのだそうだ。
「科学的に鹹水を再現したもの、という言い方になりますわね」
「ほう。それはそれは……なんというか、調理は科学とはいうけれど、もやっとするね。大正時代で総天然素材の料理を作っているはずが、いきなり化学調味料が出てきたような……」
「気持ちはわからなくもありませんけれど、わたくしたち、大昔から塩化ナトリウムを調味料として使用していますもの。今さらですわ」
おそらく、発想が逆なのだ。
発想というか、思考の順番。行動の順番。
今まで使っていた食材や調味料が、全て化学式で表せる物質の構造物でしかなかったと、それだけの話で、よくよく考えてみれば塩化ナトリウムなんて呼び方ができる前から塩は塩なのだ。
それに大正時代は文明開化以降の時代で、もう20年足らずで戦闘機がぶんぶん飛び回る第二次世界大戦が始まる――この世界では喧嘩する国がないから始まらないけれど――頃合いだし、さらに少し時代を伸ばせば核兵器なんていう一種の科学の頂点が出現する。
上下水道だって敷設が進み、電灯を扱う業者だっている。
「大正時代は、暮らすには困らないほど発展している時代ですの。ネットもテレビもありませんから、物足りなく感じるかもしれませんけれど」
「……そうだね。確かに、少々退屈だった」
「……退屈『だった』?」
「キミといると飽きない」
亜理紗は笑って言った。
――それはこちらのセリフですわ。
亜理紗といると飽きない。
「それじゃあ、作っていきましょうか」
僕と亜理紗は腕まくりをして、調理にとりかかった。
と、そこで亜理紗がひとつ、質問を投げてよこした。
「そういえば、リリィ君。どうしてキミは、その清国人とやらに中華麺を作らせなかったんだい? そのほうが手っ取り早いし、出費も金だけで済むだろう?」
「――あ」
そういえばそうだ。
なぜ思いつかなかったのだろう。
純粋にど忘れしていたのか、あるいは――気付きたくなかったのか。
――わたくし自身が、作ることにこだわろうとしている?
麺を作るのは難しい。作り方自体はシンプルだけれど、それゆえに純粋な技術と経験が味の差を作る。
製麺はもはや職人の技術なのだ。一朝一夕で身に着くものではない。
ましてや、豚骨白湯スープのような『僕たち転生者しか正解の味を知らないもの』ではなく、麺は『大正時代でもたぶん手に入るもの』である。
「……リリィ君?」
怪訝そうに顔を覗き込んでくる亜理紗に、なにか言葉を言おうと口を開くも、特になにも出てこず、閉じた。
――わたくし、どうしたんでしょうか。
調子が悪い。精神の調子が、すこぶる不安定だ。
そして、往々にして悪いことというのは重なるものである。
「やあ。邪魔するよ、おふたりさん」
厨房の入り口。
かかった暖簾をくぐって、その男は現れた。
「なんだか楽しそうなことをやっているじゃないか。――どうだい、リリィ。お父さんも混ぜてくれないかい?」
玲王・暁之宮はそんなことを笑って言いながら、しかし眼光は鋭くこちらを見据えている。
作り物の笑いだと、一瞬で看破できてしまうほど。顔に張り付いた笑顔、という表現がよく似合う。
――仕事モードですの!
だとすれば、玲王はここにビジネスの話をしに来たことになる。
つ、と背中に冷や汗が流れる。
悪い予感しか、しなかった。




