ラーメン編『麺を作ろう! 終わった誰かの物語』‐3
さて、ところ変わって千代田である。
立派な石造りの三階建てのビルディング。華族御用達の卸売商が一棟まるまる使っているのだから、そのビジネスはさぞかし儲かるんだろうな、とか考えてしまう。
「ほら、行きますわよ、亜理紗」
「うう……恥ずかしいよ、リリィ君」
「大丈夫ですわよ。恥ずかしいと思うから恥ずかしいんですの」
「じゃあなんて思えばいいというんだい?」
「……『きもちいい』とか?」
「それだけは絶対に嫌だ……!」
と、嫌がる亜理紗・セントラル(メイド服バージョン)を連れて、建物の中に入る。
受付のお姉さんに用件を伝えると、すぐに禿頭でメガネの男がどたどたと上階から降りてきた。
「いやいやいやいやこれはこれは暁之宮のお嬢様! 大っ変、申し訳ございませんっ!」
そして、いきなり土下座した。
亜理紗が「ああ、またか……」みたいな目で僕を見てくるのを無視して、僕は慌ててその男性に「どうなされましたの?」と駆け寄った。
「お越しいただいたところ、大変申し訳ございませんがっ! 例のモノですが、いや、これがわたくしども総力を挙げて探し回ったのですが、なかなか見つからず……! どうか、どうか罰するならばわたくしだけで、会社はなにとぞご容赦を……!」
――ああ、お父様の関係ですのね。
玲王・暁之宮が、どうやらなにかを発注して、しかし、それがどうにも手に入らないようだ。
「どうやら、どこぞの炭焼きが持っていたという話は聞いたのですが、その炭焼きも死んでしまっておりまして……。もうしばらく、もうしばらくお時間いただけましたら、どうにか糸口くらいは掴んでまいりますから……!」
「ああ、いえ。わたくし、お父様の命で来たわけではありませんの。私用で、少し手に入れたいものがございまして……」
「……ほあ? そ、それはそれは大変失礼をいたしましたっ! 御見苦しいところをお見せしてしまいましたな、は、はは……」
全身汗だくでぐっしょり濡れた男は、安堵したように大きく息を吐いて、立ち上がった。
――どうせまた、なにか無理難題を押し付けたんでしょうね。
父のことだから、半ば脅しのように交渉したに違いない。
「で、お探しのものはなんですかな? 当店、布はあっても服はございませんので、ご婦人に気に入っていただけるものはそうありませんが……」
「小麦を探しておりますの。パン用のものを」
「……そんなものでよいので?」
「ええ。最近、料理に凝っておりまして。淑女の嗜みというでしょう?」
「……はあ、まあ、それならば……おおい、誰か!」
パンパンと手を叩いて、男は従業員を呼んだ。なにか指示を出して、従業員はさっと地下への階段を降りて行った。
「すぐにとって来させましょう。そうだ、此度はこちらからのサービスという形で――」
「あら、それはいけませんわ。そうでしょう? だって、商品には相応の対価を支払わなければなりませんもの。ね?」
「そ……そうですか、いや、そうおっしゃるなら。はは……」
男は気まずそうに顔を背けたり、しきりに汗を拭ったりしてそわそわと落ち着かない様子だった。
――と。突然、彼は僕の後ろの一点を凝視し始めた。その視線の先に居るのは、
「あの、わたくしのメイドがなにか?」
「あ、ああ、いえ……。なにもございませんとも……。――しかし、まさか。いや……」
「? まあ、いいですけれど……」
褐色シャーマン系のメイドがいたら、そりゃあビビるとは思うけれど、そこまでしどろもどろになることはないだろう。
亜理紗も亜理紗で、なにか考え込むように顎に手を当てている。美人は絵になるなあ、と思っていると、従業員が小麦粉の袋を抱えて帰ってきた。
代金を支払い、小麦粉の袋を馬車に積んでもらう。
「……あとは帰るだけですわね。どうですの、亜理紗。その格好、少しは慣れましたの? ヴィクトリアンメイドスタイル……褐色の肌にも合うとは英国もなかなかやりますわよね」
「……ん? ああ、そうだね。英国はけっこうやる。英国だからね、うん」
「あら、ずいぶんな生返事ですわね、この駄メイドは」
「少し、考え事があってね。……うん、気のせいだといいんだけれど」
亜理紗はそう言って、また考え込み始めた。
結局、馬車の中でも亜理紗はずっとそうやって考え込んでいたので、僕はぼうっとそれを眺めているだけだった。
――綺麗ですわね。やはり。唇とか柔らかそうで……。
って、いや、僕はなにを考えているんだ。
ふう、と息を吐いて、目を瞑る。
この相手は、あくまでも協力関係にあるだけ。しばらく行動を共にする仲間でしかない。
15年分に匹敵する利を得ることができたなら、捨てるだけの存在だ。
意識を切り替えていこう。
目を開ける。やはり、亜理紗は考え事をしているようだった。
僕のことなど見ようともせずに。
そのことに、なぜか苛立ちを感じながら――いや、対面に座っている僕を見ようとしないのだから、その無礼さにイライラするのは当たり前で、それ以外の感情なんて微塵もないんだけれど――僕らは一言も喋らずに、馬車に揺られていた。