プロローグ‐3
入試一位の天才キャラの新入生挨拶なども、全て右から左にスルーしてしまうほど注意力が散漫していたけれど、なんとか放課後まで乗り切ることができた。
貰った藁半紙に書かれた自分の明日からのスケジュールや講義教室などを陰鬱な気持ちで眺めながら、校門へと歩いていく。
と、
「――リリィ」
突然、声をかけられた。振り返ると、長身痩躯のイケメン婚約者――エドガーが立っていた。
「エドガー様。どうなさいましたの?」
「……セントラル嬢のことだ。婚約者としてひとつだけ言わせてくれ」
妙に真剣な顔で詰め寄ってくるものだから、こちらも姿勢を正す。
「なんですの?」
「――同性との関係は浮気とは受け取らないから安心していちゃいちゃしていいぞ」
「一度でいいから医者にいってくださらないかしら。頭の」
今のひとつのやりとりだけで、疲労が十倍になった気分だ。なんだこいつ。
「それと、これはついでだが。――君のお父様には気を付けたほうがいい」
と、ついでのほうでなにやら意味深なことを言って、彼は踵を返した。
「今の、どういうことですの?」
「今はまだ、なんとも言えない。けれど、警戒はしておいてくれ。最近どうにも……きな臭い。では、俺は生徒会の仕事があるからこれで」
急ぎ足で去っていくエドガーを淑女らしく――今日初めてレディらしいことをしているかもしれない――静かに頭を下げて見送って、改めて校門に着く。
朱塗りの豪奢な馬車が、校門前に鎮座していた。木と紙――障子で造られた似非和風の馬車は、このゲームの特異な世界観をよく表している。
その脇に立っていた侍女の彌生が、僕に向かってゆるりと頭を下げた。
「お迎えに上がりました、お嬢様」
「ありがとう、彌生」
「それと、あちらの方が――」
手を示す先にいるのは、道路の端で猫と戯れている刈り上げた赤毛の蛮族チック少女だ。
つまり、亜理紗・セントラルである。
「――お待ちでした」
「いいや、待っていないよ、侍女君。私はここでこの猫君と再会し、さらに親睦を深めることさえできたわけだからね。いや、有意義な時間の使い方だった」
猫を地面に放つと、その猫は甘えた鳴き声で亜理紗・セントラルの足に身体をすりすりしてから、校門を通って校舎の方へ走って行った。
可愛い猫だ。野良とは思えないほど亜理紗・セントラルに懐いていたが、猫も恩を感じたりするということだろうか。
「……猫が好きなんですの?」
「好きだとも。優しくすると懐いてくれて、乱暴に扱うと機敏に去っていく聡さなど、大好きだ」
「変なところを好みますのね、貴女。――とりあえず、乗りなさいな」
「ドライブデートのお誘い、感謝する」
「変なこと言わないでくださいます?」
軽口のようにそんなやりとりをしていると、横に立つ彌生がすっと手を上げた。
「馬車の中に3人は手狭でしょうし、私は馬車の中ではなく外の御者台に控えておりますね」
「……そうしていただけるかしら、彌生。いえ、変なことをするわけではないのだけれど、こちらの女性とは少しお話がありますの」
「了承いたしました。わかっておりますとも、変なことなどしないと」
言って、彌生はポケットから耳栓を取り出し、
「――ええ、わかっておりますとも。この彌生、ちゃんとわかっておりますので耳栓装備で多少馬車が揺れても気にしない方向でいきます」
慈母のような顔でそう言った。
「なにもしないと言っているでしょう……!」
「まあまあ、侍女君もせっかく耳を塞いでくれると言っているのだから」
そう言われて、渋々馬車に乗り込む。大きな馬車ではあるけれど、それでも内部は2人掛けの座席が2つ向かい合っているだけの狭いものだ。
御者台側に設置された小窓を二回ノックして、発車を促し、そこにつけられた小さなカーテンを引く。――閉める一瞬、御者と彌生が二人して親指立てていい笑顔だったのは見なかったことにする。
膝を突き合わせて座る――という表現が、よく似合う。それくらいの近さで、僕と亜理紗・セントラルは対峙した。
――挨拶など、ことここに至っては無粋ですわね。
こちらも相手も転生者ならば、互いに『私は誰です』なんて情報は不要だろう。
いきなり本題に入らせてもらう。
「じゃ、始めましょうか。お話を」