ラーメン編『スープを作ろう! 畜生街道激闘伝』‐19
ゲンコツ。
豚にはそう呼ばれる骨がある。
見た目が握りこぶしに似ているから、そう呼ばれているそうだ。
「きちんとした名前で呼ぶなら大腿骨ですわね。太もものところですわ」
「なるほど。ところで、四足歩行の動物でもやっぱり太ももって後ろ脚の付け根から伸びる部分になるのかね? 前脚と後ろ脚が同じ構造だとはもちろん思わないが、それにしたってこう、二の腕というには釈然としないものがあるよね」
「ざっくり言うと、わたくし達が目で見て「あーあれは足だな」って思える部分は全部豚足ですの」
「ざっくり言った……!」
というか、ざっくり言わざるを得ないのだ。
僕はしっかりとタスキを締めて、骨をひとつ拾った。
「これがゲンコツですわ。人間でいうと、大腿骨は人体で最も太い骨とされていますけれど、豚の大腿骨は……どう思います?」
「……なんか、短くないかい? 豚の巨体を支えるほどの太ももなんだから、もっとこう、ぐわーっと太いのかと思ったが」
「ぐわーっていう擬音はよくわかりませんけれど。……そうですわね、ちょっと豚のシルエットを想像してみてくださいな」
亜理紗は、んー、とか言いながら目を瞑った。想像しているようだ。少しかわいい。少しだけね。少しだけ。
「ハイじゃあ豚の太ももってどこでしょうか? 正解者には5ポイントですわよ」
「……ん? あれ、どこだ?」
「まあ、そうなりますわよね。これ、ほかのさまざまな生物にも言えることですけれど、豚の足の接地面って正確にいえば爪と指の部分ですのよ。そこから、大腿骨よりも長い中足骨――人間なら足の甲とかに浮いて見える骨ですわね――が伸びて、膝があって、ようやくスネに繋がりますの」
「え、じゃあ豚って常時つま先立ちってことになるのかい」
「バレリーナよりは楽だと思いますわよ? そういう構造ですし、四足あるから負担も軽減されているでしょうし」
自重はバレリーナの非じゃないだろうけれど。
「まあ、ともかく、この握りこぶしに似たシルエットの骨を似ていくところから始めましょうか」
大鍋に水を張る。大正時代にはすでに近代的水道設備がけっこう広まっているので、わざわざ水魔法の使い手を呼んだり水売りから水を買ったりしなくても良い。真鍮製のきぃきぃ鳴る蛇口をひねるだけである。
「亜理紗、わたくしは火を準備しますので、貴女はゲンコツと鶏ガラを洗ってくださいな」
「洗う?」
「血や肉片を落としますの。そうしないと、めちゃくちゃ獣臭いスープになりますわよ」
「ああ、なるほど……。承知した。すぐ取り掛かろう」
「お願いしますわねー」
さて、こちらはこちらで火だ。
リリィ・暁之宮は炎熱系魔法の使い手で、当然火を起こすことなど朝飯前どころか寝ていてもできるくらいのことだけれど、そうは言っても料理用の火だ。
長く、温度を調節できるような火を作らねばならない。
かまどに大鍋を設置して、下にあいた薪用の穴に、薪を詰め込んでいく。空気の循環などは特に考えない。
――妙に気構えるより、薪に移った炎を炎熱魔法で操作していく方が簡単ですものね。
一通り詰め込んだら、僕は右手を薪に押し当てて、心臓から流れるMPを炎のように燃やすイメージで、
「燃えろ……!」
放った。
力は想像通りに流れて、薪は淡く炎を灯している。
「リリィ君、洗い終わったよ、と……。どうしたんだい? ぼうっとして」
「ねえ、亜理紗」
「……なんだい?」
「綺麗ですわよね、炎って……。温かいですし。世界が炎に包まれればきっとみんな幸せですわよね……」
「うっとりした顔で怖いことを言い始めたね……!?」
なにやら慄いているけれど、僕と違って亜理紗はクレイジー気味なので、おそらく見当違いなことを考えているんだろう。
勘違いは早めに訂正しておくに限る。
「亜理紗。違いますわよ、貴女が考えているようなものとは違います」
「あ、ああ……。そうだろうね、うん。世界が温かい光に包まれるとか、そういう意味で言ったんだね?」
「ええ。――世界が温かい炎に包まれて燃え上がればみんな幸せです」
「ははは、燃え上がっちゃ駄目だろう……! みんな死んでしまう」
「大丈夫ですわよ、金属バットで殴るわけじゃありませんもの。燃えたくらいじゃ死にませんの」
「いや死ぬからね? 死なないのはキミみたいな炎属性だけじゃないかな……」
理解は得られなかった。まあ仕方がない。クレイジー気味だし。
「うん、そうだね、私も結構そっち寄りな言動をしているときはあるけれど、リリィ君も相当寄ってると思うよ……?」
「あら、失敬ですわね。わたくし、常に正常な言動で生きていますのよ? これ以上失礼なことを言うなら頭から油をかけた上でタバコを吸わせますけれど」
「正常な言動とは」
そんなもの、僕にもよくわからない。
亜理紗から骨を受け取って、膝を使ってばきりと割ってから鍋に投げ込む。
「あれ? ここにネギとか生姜とか一緒に入れて煮込んだりしないのかね?」
「それはあとですわね。まずは骨だけ茹でてアク取りですの。そのあと、固まった血合いを丁寧に取りますのよ」
僕は燃える薪に右手を突き入れて、MPを注ぎ込み、ごうごうと燃え上がった炎が大鍋を伝うほど火力を上げた。
「とりあえず、ずっと強火で短時間煮てがっつりアクを出しますわ。この茹で汁は一回捨てますけれど、まずは――亜理紗。ひとつ、お願いが」
「なんだい?」
「これ、たぶんえげつないくらい匂いが出ますので、消臭効果のある草とか出せるならお願いいたしますわ。これからも使うことになると思いますし、多めに」
「承知した」
大鍋の中からぼこぼこと湯が沸く音がした。




