プロローグ‐1
自分のことを悪役という型にはめて置いたのは、いつのことだったか。
この世界が生前、地球でやっていたゲームだということは生まれたときから知っていたし、自分の名前がヒロインを迫害する嫌な女と同じものであることも、どういうことか理解していた。
だから、僕は悪役であろうと思った。
リリィ・暁之宮は悪役として生まれ、悪役を演じ、舞台を降りる。
それが正しい悪役令嬢の在り方だと――僕は幼心に思った。
この世界はゲームで、演じるべき舞台であると、そんな風に考えてしまったのだ。
幸いにして、演じるのは不得意ではなかったから――案外すんなりと世界は回ってしまった。
オープニングはすぐそこだ。もうすぐゲームが始まって、リリィ・暁之宮としての僕は依然変わらず悪役を演じ続けるだろう。
魔術学院への入学式の日。僕はヒロインと出会う。彼女を迫害するキャラクターとして、高圧的に、高慢に、傲慢に、演じようじゃないか。
イメージトレーニングは十分。
だったら、あとは実演するだけ。
の、はずだった。
☆
国立魔術学院の正門前に豪奢な馬車で乗り付ける。もちろん日傘は侍女に持たせて、僕は革の鞄ひとつ持っているだけ。
小袖と袴、革靴を併せた制服はおろしたての新品で、金髪縦ロールだって朝から2時間もかけた力作だ。
――準備は十分ですわね。
イケる。いやどこにイケるのかは知らないが、これなら万全にヒロインに対して印象付けが可能だろう。
僕はこれから、淫乱ピンクとか言われている女に好印象ならぬ悪印象を、抱かせなければならないわけだ。
周囲の他の新入生たちは馬車の家紋を見て、華美な僕自身を見て、慌てて頭を低くして逃げるように去っていく。
――良い感じですわね。
僕はきちんと演じることができているのだ――と、そんなことに安堵を覚える。
そんな中、こちらに向かって校舎のほうから駆けてくる書生風の男がいた。
――エドガー・鬼島。金髪碧眼の王子様系華族。
二年生なのにいきなり生徒会長をやっている華族のイケメンで、僕の許嫁という設定だ。
「――リリィ! 馬車は邪魔になるから使うなとあれほど……!」
「あら、エドガー様。ごきげんよう」
「呑気か! いいから、さっさと馬車を退けさせるんだ」
「あら、あら……。そうですわね、放課後まで待たせるつもりでしたけれど、エドガー様がそう仰るのなら、そういたしましょう」
言って、馬車の御者に手を振る。
――ここですわ。この後、馬車に轢かれかけた猫をヒロインが飛び込みで救うのを、わたくしがイヤミーな感じで「当家の馬車に汚れがうんたら」みたいな文言でねちねち攻撃すれば、目の前のイケメンは自然と助けに入ってくれるはずですの。
完璧だ。
だから、
「おい、キミ! 危ないぞ!」
という御者の叫び声は、当然想定内。
「これは失敬した」
というハスキーな声も、当然――想定外。ちょっと待って今の誰ですの?
慌てて馬車のほうを見れば、馬車は完全に停止している。――否。停止させられている。
車輪に、地面から生えた太い蔦が絡みつき、強引にその動きを止めているのだ。
「猫が轢かれそうだったものでね」
女が、ゆうゆうと歩いてきて身を竦ませた猫を拾い上げ、背中を撫でてあやす。
――この展開は知りませんわよ!?
さらに言えば、
――あの女、ヒロインですわよね……?
顔立ちは、ゲームで見たデザインと同じ。
けれど、それ以外がまるで違う。
セミロングで小動物的な跳ね方の桃色の髪は、短く切りそろえられている。右サイドは刈り上げられ、左サイドからは複雑に編まれた長い髪が一房、垂れている。
細く弱々しいはずの肢体は、しなやかに鍛え上げられ絞られた体育会系。
白雪のような柔肌は、日に焼けた褐色になっていた。
さらに、顎下あたりから喉を通って袴の中まで、ねじくれたトライバル的な魔紋が刺青状に彫り込まれている。ひょっとすると全身に彫り込まれているのかもしれない。
未開の地の女シャーマンを袴に詰め込んだような外見。一言で言い表すならば――異質感。誰だお前。
しかし、ハスキーな声は、よくよく聴いてみればヒロインのボイスの面影がある。あと巨乳だ。そこだけはゲーム通り。うらやま死ね。
「って、いや誰ですの貴女……!?」
おかしい。
僕の知っている展開では、この後、ヒロインを助けたエドガーが「君の可憐な美しさの中にある、猫を救いたいと思うような強く優しい芯がうんたら」みたいなことを言うはずなのだが、もう無理だろうコレ。
だってヒロイン、見た目は完全にイケメンシャーマン♀だし。
そのシャーマンはくるりと踵を回してこちらを向いて、優雅に一礼した。
「暁之宮伯爵家のお嬢様には大変失礼を。すぐに蔦は払いますのでご心配なく。――そして、自己紹介が遅れたね。私は亜理紗……」
ヒロインのデフォルトネームだ。
――ということは、認めたくありませんけれど、この女……やっぱり主人公ですのね……!
彼女は猫を放ち、ゆっくりと喋りながら近づいてきて、僕の前に跪き、右手を取った。騎士の礼だ。ちょっと待って、なんで騎士の礼?
「……亜理紗・セントラルと申す者だ。見ての通り、しがない森林術師で新入生。そして、」
自分の右手の甲に、湿っていて、柔らかく、熱いものが一瞬押し付けられた。
それがなんなのか、理解するのに一秒を要した。
「――なっ」
周囲、騒然とするみんなを遠く感じながら、頬に熱が上がっているのを自覚する。
いけない。
僕の外側を構成する役柄が、一瞬剥がれ落ちたのを感じる。
演技を続けられない――。
「貴女を求めて、この学院にやってきた」
亜理紗・セントラルは見るものすべてを魅了するようなイケメンスマイルで、こう続けた。
「――一緒にラーメンを作りませんか?」
……。
…………。
「……はぁ?」
あまりお嬢様らしくない声が出たと、自分でもあとで反省した。