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権力の解体

「大新官という。位をなくします」


 ヴィルヘルムのベルシュ語を聞いた現役大神官は、まるで彼のベルシュ語に決定的な間違いがあるとでもいいたげな顔をしていた。

 意味が分からない。否、ベルシュ語の意味は理解しているはずなのに、トーケルとスティーグはヴィルヘルムが言った言葉を受け入れられないようだった。

「大神官を……なくす?」

 諦めの悪いトーケルは、恐る恐ると言ったように言葉を紡いだ。アスタはそれをヴィルヘルムに伝えようとして、彼自身に遮られた。

「はい。王政を廃止する以上、共同政府がこれからの政治を担うことになります。そして我らは神の本来の教えである旧聖書に従って国を治めるということを決定したのです」

「我ら?」

 スティーグが即座に問い返せば、ヴィルヘルムはいっそう多くの仮面や皮をかぶって答えた。

「両首相であるハンネスさんとフィリップさん両名とですよ」

 彼の笑顔は”爽やか”だったが、やはり人というよりは狸だ。

 しかしアスタはそんなヴィルヘルムの反応を気にしている余裕はあまりなかった。トーケルとスティーグがあからさまに負の感情を押え切れていないからだ。

 彼らはまさか、自分たちの権限一切が消失しようとしているとは思いもしなかったのだろう。

「しかし……民を導く大神官は必要で――」

「――いいえ。信仰の上では我らは平等であるべきです。そして、それは日々の心のよりどころであればよく、各々が直接神に祈ることが大切であるはずです。我々は旧聖書をきちんと翻訳し、民に教育するつもりでもいます」

 ヴィルヘルムがあっさりとベルシュ語で話すことをあきらめたために、アスタは急いでそれをトーケルにわかるようにビア語に直した。すると、トーケルはその言葉がまるでアスタから発せられたものであるかのようにアスタをにらんできた。アスタに向かってそんな鬼のような形相を向けるくらいならば、ベルシュ語をぜひとも勉強して、自分の言葉で反論してほしいところである。

「両王家は連合――いえ、ビア=ラクテア政府に対する権力の委譲を認めるとともに、神殿権力解体に関しても肯定的な意見を示しておられます」

 アスタはそれを訳しながら、その内容について考えてみた。

 王家が神殿解体に同意するのはあたりまえである。王家の力が強かった時代では、神殿は彼らにとって目の上のたんこぶであったはずだ。それに、旧ビア王国と旧ラクテア王国の戦争の原因は、往々にして神殿にあった。彼らは互いの宗派を認めず罵り合い、それを王家が利用した形で戦争は起こったのだ。もちろんそれがすべてではないのだが、国内に二つの宗派があることがよくないのはもちろん、どうせ宗教を統一するというのならば、そもそもまったく違うシステムに変えてしまういいチャンスである。

 新政府に権力を集中させることで、国は上から一つになり、あとは徐々に末端へと浸透させればよいという考えなのだろう。もちろんかなり荒療治ではあるが、今の国の状態ではとても有効的な策である。

 そしてそうした国造りを邪魔するであろう神殿権力を完全に解体したいというのは、誰がみてもわかるようなものだ。

「そんなことが許されると思っておるのか?」

 ビア語で語気を強めながら言ったトーケルの言葉を訳そうとアスタが口を開くと、ヴィルヘルムはにっこりと笑った。そして当たり前ながら流暢なラクテア語でアスタにあえて問い返してきた。

「そんなことが許されると思っているのか? とおっしゃってますか? 許すという単語が聞こえてきたもので」

「ずいぶんな推察力ですね。私はいらないのでは?」

「あなたはすぐにそうやって逃げようとなさいますね。今この場にあなたは必要ですよ」

「……いいでしょう。それで、彼の質問にお答えにならないんですか?」

「ああ、そうでした」

 狸が皮を脱ぐのはアスタと二人だけのときらしい。一応は体面を保つためなのか、彼は爽やかで胡散臭い笑みを絶やすこともなければ、アスタに対して気持ちの悪い敬語を使うこともやめはしなかった。

 そして彼はそのまま少しだけ顔の向きを変えると、二人に向き直って笑顔でこう言い切った。


「あなた方、二人に、許される必要はありません。神が、許します」

 

 これはアスタの通訳は必要なかった。ベルシュ語であったし、二人が確実にその言葉を理解したというのは見ていて明らかだったからだ。

 トーケルはもはや耳まで真っ赤にしていて、怒りを抑えきれないといった様子だった。それに彼はプライドが高いので、自分よりもずいぶん若いラクテア人にやり込められていること自体が気に食わないのだろう。

 一方、スティーグはというと顔を真っ青にして、小さく震えていた。その震えが怒りからなのかはわからないが、どちらかというと、彼は自分が信じていたものが完全に突き崩されて立ち直れないでいるように見えた。もしかするとヴィルヘルムはラクテア人であるので、同じラクテア人であるスティーグの味方をするという幻想を抱いていたのかもしれない。

「これは議会によって決定されていますし、両王家も認めています。ビア=ラクテアの新しい国教はあくまでもソラル教であり、聖書は今でいうところの旧聖書に則ります。神殿はあくまでも祈りをささげる場としてのみ機能し、すべての神殿は政府が管理します。現行の聖職者には仕事を斡旋しますが、ほとんど教師として働いてもらうことになるでしょう。まあ、もともと神の教えを説いていたところを、ベルシュ語の読み書きの授業を受け持ってもらうことになるだけなので、仕事しては対して変わりはないはずです」

 二人が言葉を詰まらせている間に、さらに彼はラクテア語でまくしたてた。彼が不規則にベルシュ語とラクテア語を使うせいで、アスタはそのたびにはっと我に返って自分の仕事をしなければならなかった。

 そして仕事を終えると、アスタは少し考えて、ぽつりとベルシュ語でつぶやいた。


「……悪くない案だわ。これで教授の懸念していた教師不足はかなり改善されるもの」

 

 神に対するありがたみを全く感じていないアスタにとっては、大神官がどうなろうが知ったことではない。ただ、現行の聖職者を教師として使用するという政府の政策に関しては大賛成であった。もちろん、そんなことをしたくないとつっぱね者もいるはずだが、聖職者といいつつ、ほとんどが俗物であるので、生活には代えられないだろう。教師が安定して増えるまでは、話せないにせよベルシュ語の読み書きができる聖職者というのはとても重宝されるはずだ。もちろん教師として仕事を任せるには教育が必要だろうが、もともと読み書きの素養がある者に教えるのと、ゼロからスタートするのでは難易度がかなり違う。

「お前! 神官をなんだと思っておる!」

 どうやらそのつぶやきは二人の神官に聞かれてしまったらしい。トーケルが二人を代表するかのように先に声を上げた。

「そうですね……ソラルの教えを広める者でしょう? ですが旧聖書を皆が読めるようになれば、その役目は必要ありませんし、ソラルは平等をうたう宗教ですよ。統治者の存在を認めれど、信者の間での階級制度(ヒエラルキー)は認めていない。とするならば、神官も信者なのですから、平等であるべきで、今までのほうが歪んだ体制だったとは思われませんか? それに大神官の地位に固執するのは、ソラルの教えに反するようにも思いますね。ソラルは自らの幸せを追及することを認めていますが、人の上に立つことよりも、常に誰かの隣に立つ人であれとおっしゃっていたはずです」

「ぐ……」

 宗教にさしたる執着がなかったとしても、宗教史はかなり勉強している。そもそも現存するベルシュ語で最も体系化されていたのは、どうしても聖書が中心であり、ベルシュ語を学ぶものとしては、深くソラル教についても学ぶ必要があった。

 そういう意味では、こういった討論をアスタ相手にするのは無謀だといえるだろう。アスタは言語能力においては遥かに二人を凌駕しているし、宗教に関する知識もそこらへんの神官よりは多いのだから。

「首都エストレーラには三日間滞在する予定です。その最終日に、お二人にはこの決定を民に伝えていただきたいのですよ。お二人がそうおっしゃれば、民はみな動揺なく受け入れるでしょうし、むしろその英断をほめたたえるでしょう」

 非常に上手な手である。ここで二人がおとなしく従えば、二人の尊厳は守られるし、彼らは望んで教鞭をふるうということになる。もしかすればそこではそれなりの地位を与えるつもりなのかもしれない。彼らに条件を飲ませる以外の道を閉ざし、ただ決定事項として伝えている。そして彼らが反抗する機会を与えないように、この動く列車という閉鎖空間で事態を動かしたのだ。

「通訳を」

「あ、はい」

 その手口に感心していると、すっかり仕事を忘れてしまっていた。そしてビア語に直してトーケルに伝えると、彼はむすっとした表情のまま立ち上がった。

「部屋に戻らせていただく」

「わ、私も戻ります」

 その様子を見ていたスティーグも立ち上がった。ヴィルヘルムはそれには特に意を唱えず、どうぞと言わんばかりに手を通路のほうへと差し出した。

 そうして去っていく二人の後姿を見送ると、アスタは大きくため息をついた。そして不意に、さきほどヴィルヘルムと気まずい別れ方をしたことを思い出す。

「私もこれで」

 そういってさりげなく席を立とうとすると、腕をがっしりとつかまれた。そしてバカみたいな狸の皮は脱ぎ捨てて、真剣な表情でこちらをまっすぐ見据えてくる。

「さっきはどうして、あんな反応をしたんだ? 俺の言葉の何が気に障った?」

 その表情の中に、少しだけでも気楽な好奇心の色が見えたなら、アスタは簡単にその腕を振り払うことができただろう。しかし彼の中にあるのは、純粋な疑問と、自分の行動に対する後悔だけだった。

「私が名前を名乗らないのは、出自にこだわらないこと以上に意味がある……ただそれだけです」

 それは、嘘ではなかった。たとえ名前を名乗ったとしても、セルマ・エクダルと結びつくはずもないが、アッペルグレーンを名乗りたくないのは、あの研究者の娘という風に見られたくないというのは本心だ。

 それが彼の望む答えにはなっていないことは承知していたが、これ以上のことをラクテア人であるヴィルヘルムに言うわけにはいかないのだ。

「君は……セルマ・エクダルの関係者なのか?」

 彼の直球な質問に、アスタの心臓は大きくはねた。関係者どころか娘だといったら、目の前の男はどんな顔をするだろうか。

 このままただごまかしても、彼は納得しないだろうということが、アスタにはよくわかっていた。彼が腕をつかむ力は全く緩んでいない。

「セルマ・エクダルは死んだんです」

 それならば、とアスタは彼を動揺させることにした。自分で考えさせればいい。もし彼が、アスタの知らない真実を見つけてくれたならば、儲けものではないか。

「……いいえ、殺されたのよ、ラクテア軍にね」

 まっすぐとこちらを見ていた目が大きく見開かれた。それと同時に驚きで彼はアスタの腕を放す。その一瞬の隙をついてアスタは立ち上がった。そして振り返ることなくその車両を後にした。


 列車旅は油断できない。


 アスタはこの列車に乗ってから何度目かわからないため息をついたのだった。




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