食堂車にて
「さて、通訳よろしく頼むぞ、御嬢さん」
「我々はさっぱり相手の言葉が分からないものでな」
顔合わせもかねて、食堂車に集ったビア=ラクテアの有力者たち。初めの挨拶だけして、あとは隅でのんびりと夕食を食べようとしていたアスタの隣に座ったのは、ヴィルヘルムもとい爽やか狸だった。
アスタと二人だけの時は人間に戻る――化けているのかもしれない――が、他の人間がいるときはやはり狸は狸でいなければならないようだった。
そして、今、アスタの向かい側に座った二人は、自己紹介されずとも軍部の人間だとわかる見た目だった。髪はさっぱりと切られているし、がたいがいい。
ここにいる人間はどちらかといえば体を動かさないデスクワークの人間が多いから、軍部の人間というのは目立つのだ。この話し合いの場にいるということは、新兵のように毎日訓練していたりはしないだろう。しかし彼らの体は衰えてはおらず、それは逆に、ビア=ラクテアが今まで戦争していた事実を突きつける。
「先ほども紹介があったように、アスタと申します」
「どこの家の者かな?」
向かって右側の男がビア語で問いかけてきた。
「……ハールスです」
嘘をつくのは心苦しかったが、そういうことにすると言ったのはアスタ自身だ。それにしてもこの列車に乗っている人間は、そこを聞かずにはいられないのだろうか。
「あの言語学教授の?」
「ええ。それでお二人のお名前をお聞かせ願えますか?」
無駄だと分かってはいたが、とりあえずベルシュ語でそう返事を返す。
すると、まるで二人は兄弟かと疑うほど見事にそろってに首をかしげた。
「お名前を」
アスタがまずビア語で言えば、片方の軍人が大きく頷いて言った。
「元ビア王国軍総帥並びに、現ビア=ラクテア連合国軍大将アルホフだ」
長い肩書は横においておき、アスタはアルホフという名前だけを頭に入れる。すると、どうやら名前を名乗ったということは、もう片方の軍人にも理解できていたらしい。
「元ラクテア王国軍元帥並びに、現ビア=ラクテア連合国軍大将ディンケルだ」
奇しくもほとんど同じ肩書きを名乗ったディンケルは、ラクテア語でそう言った。
「軍大将が二人?」
「連合国軍では、二人の大将の上に一人の元帥がいる。元帥は新首都エストレーラから乗車される予定だ」
「つまり元帥がトップということですね?」
「ああ」
「ちなみに今の元帥は?」
その質問は完全な形を取ってはいなかったが、彼はすぐに意図を理解してくれたようだ。
「ラクテア人だ」
「……そう」
どことなく嫌な予感がした。母を裏切った彼は、その功績によって軍部で地位を得た可能性がある。
そんな考えが頭をよぎったが、しかしだからといって、連合国軍のトップまで上り詰めていることはないだろうと自分の考えを打ち消した。
「何の話だ?」
「何を話している?」
アルホフとディンケルは同じことを異なる言語で聞いた。
そのタイミングがあまりにもそろっていて、アスタは思わず笑って答えた。
「軍の仕組みが分からないことがありまして」
まずはビア語で、そしてラクテア語でそういうと、二人はまたそろって大きく頷いた。
もともと二つの国であったとしても、同じ立場にいると考えも似通ってくるのだろうか。それとも、たまたま二人が似ているだけなのだろうか。
「さて、本題だが」
アルホフが話し始めようとしたとき、給仕の女性が食事を運んできた。かすかにコーンの甘い匂いがするスープは、かすかに白い湯気をたてている。
「食べながら話そう」
アルホフはそういうと、まっさきにスプーンを手に持った。今飲んでおかなければ食べ損ねると思ったアスタもまた、さっとスプーンをとり、スープを口に運ぶ。
スープの自然な甘みが口の中に広がり、それを飲み込めばその温かさが体に沁みていく。
「まず、軍の編成ですが、大枠は以前話した通りでよいでしょう。しかし、軍学校に関してはまだ話し合いの余地がありますな」
突如話始めたディンケルの言葉を、初めはただうなずいて聞いてしまっていた。何せ目の前のスープが非常に美味だったからである。
しかし隣の狸にいぶかしげな視線を向けられてようやく自分の仕事を思い出し、慌ててビア語に直す。
「同感です。まず、今までと違い、学校で言葉を教えなければならないでしょう。そうなると、必然的に何かの時間を削らなければならなくなる」
アスタはそれをラクテア語に直す。そうしながらも、アルホフが言葉の問題について考えていることを意外に思った。
「いやしかし、言葉は軍学校に上がる前の初等教育で終わっているのでは?」
「むこう十年ほどは軍学校でも教える必要があると思いますな。なにせ我らもしばし学んだが、さして身になっていないのですから」
「指揮系統もベルシュ語となると……まあ確かに、そういう用語は初等教育では足りないでしょうから必要かもしれません」
通訳しながらもその内容を聞いていると、色々な疑問が浮かび上がってくる。軍の公用語はベルシュ語ということなのだろうが、軍のトップがこれでは、有事の際に指令がうまく伝わらない可能性がある。
地方軍はそれでいいとしても、エストレーラに配属される軍はせめてベルシュ語で意思疎通をとってほしいものだ。
「アスタはどう思いますか?」
ふいにベルシュ語で話しかけられて、アスタは横を向いた。前の二人は意味が分からないながらも、発言したヴィルヘルムの方を見ていた。
「現在、軍にどれだけベルシュ語を話せる人間がいるのかの調査が必要ですね。話せるというのは、もちろん仕事で使えるという意味です。自己紹介程度ならできる人間がたくさんいるでしょう。そして、しばらくの間は軍学校だけではなく、軍の新兵にベルシュ語を教える人間も必要だと思います。そもそも軍というのはいくつかの隊に別れるのだと思いますが、その小隊をビア人で統一したりラクテア人で統一したする気なのでしょうか? そうでないならば、ベルシュ語が堪能、あるいは両方の国の言葉が堪能なものが一人は小隊に必要になります。いったいいくつの隊があるのか私は知りませんが、現状でベルシュ語を話せる人数は小隊の数より少ないでしょう。つまり、軍において最も優先すべきは言語教育だと思いますが、いかがですか?」
あえてベルシュ語でまくしたてると、ヴィルヘルムは少し考えるそぶりを見せた後、口を開いた。
「ディンケル大将閣下。軍の編成はどうされるのですか? ビア人とラクテア人を完全に分けるおつもりですか?」
「ふむ。地方軍に関しては、しばらくは完全に分けることになる。ただ、エストレーラの……そうだな”中央軍”に関しては、そうも言ってられんだろう。混合にしなければならんな」
一人だけ話に置いていかれているアルホフに通訳すると、彼は思いきり眉をひそめた。
「ふむ……確かに隊員同士が意志疎通を取れぬのは困るな。元帥閣下はベルシュ語を話せるし、当面は混合軍の最低条件にベルシュ語を加えねばなるまい」
「元帥閣下はベルシュ語が堪能なのですか?」
自分が通訳だと言うことを半ば忘れて問い返すと、アルホフは頷いた。
「堪能だよ。だからこそ、我々は自分の上に彼が立つことを認めたのだからな。流石に公用語を話せぬものが頂点に立つのは指揮系統に乱れが出る」
「なるほど……」
「とにかく軍学校で語学教育は設けねばならんし、新兵にも教育させる必要が出てくる。それに出世に関わると知れば、それなりにベルシュ語を勉強するだろうからな」
アルホフはそういうと、首をくいっと横にふって見せた。つまり通訳せよということだろう。アスタはそれにうなずいてラクテア語に直すと、ディンケルよりも先にヴィルヘルムがベルシュ語で言った。
「それを言うならば、お二方にももう少し、ベルシュ語を話す努力を、していただきたいものです」
「すまない」
「悪いな」
通訳が必要かと思いきや、二人はそろってベルシュ語で謝罪の言葉を口にした。発音はかなりたどたどしいが理解はできるレベルだ。
「お二人とも、ベルシュ語をお話しになるのですね? それなら私は不要ではありませんか?」
「いやいや、いる。難しい」
「そうそう。ベルシュ語、難しい」
もう少し努力しろ。そう言ってやりたくなったが、軍の二大権力者に喧嘩を売るのは得策ではない。この列車に乗っている人の中ではかなりまともな人種ではあるが、怒らせる必要はないだろう。
「スープが冷めちゃった」
ベルシュ語で小さくつぶやいてため息をつくと、アルホフとディンケルはどうやら言葉の意味を理解できたらしく、少し慌てたような表情になって言った。
「よし、食べる……違う、食べろ?」
アルホフが片言のベルシュ語で言えば、ディンケルも続いて言う。
「食べない、食べさい、食べください……」
「食べてください」
「それだ!」
二人の幼子のようなレベルの会話を聞きながら、アスタはスープを飲んだ。味はさして変わらないが、温度が違うため何か物足りない。
しかし、アスタを気遣うようにじっとこちらを見つめている二人の前で不満を漏らせるはずもなく、アスタは一度だけヴィルヘルムの方を見て言った。
「会議は食後じゃだめですか?」
「仕事だ。我慢しろ」
ぼそりとあえてラクテア語でそういうところが憎たらしい。
アスタはとりあえず、全てはこの狸のせいだと思うことにした。