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美しき訪問者

 案内された部屋は思っていたよりも広かった。寝台列車とはこういうものなのかと感心して眺めていると、後ろからこれは一等車だと念押しされた。

「何せこの列車は、あのオルヴァー・アッペルグレーンが魔石利用を実現した第一号車だ」

「……厳密には違うけど」

 オルヴァー・アッペルグレーンとは、魔石の精製方法を確立し、それを実用化した研究者である。彼は魔石の平和的利用を望み、明かりや交通機関の動力としての開発を目指していた。確かにこの列車は、彼が公式に列車を作った第一号である。

 ただし、これはあくまでも公式での話だ。

「え?」

「いえ」

 うっかりとアスタが知らないはずの事実を漏らしてしまいそうになり、アスタは慌てて話題を変えた。

「思っていたより快適そうです」

 ベッドを兼ねているソファはほどよい硬さで、置いてあるクッションは柔らかい。落ち着いた色味で統一された家具は、上品な印象を残すものの、不思議と圧迫感はなかった。 この一室見るだけで、こういった家具を選んだのがどういう人物なのか透けて見えてきそうだった。

「君は、将来は通訳になるのか?」

 その質問は飽きるほど聞かれた。確かに三ヶ国語話せるが、それを生かさなければならないのだろうか。できることがあっても、それがあまり気が進まなかったら、その道を放棄する自由は自分にあるのではないか。

「通訳がいらなくなる国にするのではないのですか?」

 少し投げやりに返答すると、痛いところをつかれたとばかりにヴィルヘルムは罰の悪い顔をする。

「その通りだ。ただ、それは三世代計画で進めている。この時代なら、通訳は重宝されるだろう?」

「……そうですね。能力の適正はあるでしょうね」

 そんなことはアスタも分かっていた。しかし適正があるものを仕事にしたいと思える人は幸せではないだろうか。向いていなくともやりたいという夢を持つ人はいるし、向いていてもやりたくないという人もいる。

 それに、通訳という仕事には向いていても、その仕事の求める人物像にはまったく合致しない。

 アスタは連合国になった両国の橋渡しをしたいだなんて大層な願いは抱いていないし、ハーフだからといって、ラクテア人に対する偏見がないかといえば、そんなこともない。

 知っているからこそ、割り切れない部分もあるのだ。

 そんな風に苦い顔をしたアスタを見て、彼は不思議そうにこちらを見る。

「通訳に向いていない要素があると?」

「私は中立の立場ではないんです。私はビア人ですから。たとえ母がラクテアで生まれていて、私の中にその血が流れようとも」

「今、君はビア=ラクテア人だ」

 何を言いたいか理解しているだろうに、彼はあえてそんな返答をして、アスタを苛立たせた。

「そのとおりですね! その国籍が私ほど似合う人はいないのですから」

 彼女の返答から、その苛立ちを感じ取ったのだろう。ヴィルヘルムは何故かため息をついてから質問を変えた。

「では、他にしたいことが?」

 これには首を横に振らざるを得なかった。そもそもなにかしたいことがあるのなら、アスタは迷わずそれに向かって努力するだろう。

「母が、あなたは自分の好きなことをしなさいと言うんです。自分が出来なかった分、そうしてほしいんでしょうね」

 それが母の願いだった。できることに流されず、自分の意志を持って働いて欲しいと。

 母は様々な局面で流されて生きてきた。彼女の人生の転換期に置いて、一度だってその道を自ら選んだことはない人なのだ。

 母の能力も、時代も、環境も……全てが母の敵だったのだから。

「でも何をしたいか分からない?」

「そうですね……。これから一生続けていく仕事を今決めるなんて、私の手には余る課題です」

「いつかは決めなければいけないだろう?」

「そのいつかが迫っているから困っているんですよ。やりたいことはいくつかあります。でも、それが本当にずっと続けていけるほどの情熱を持っているものなのか分からないんです」

「この仕事を受けたのは何故だ?」

「ハールス教授に行ってこいと言われたので。自主性の欠片もないでしょう?」

 ふと、どうして自分はこんなに苛立っているのだろうかと疑問に思った。彼がラクテア人だから? いや、さすがにそんなことが理由ではないと思う。思いたい。

 ならば何故だろうか。

 それはもしかすると、彼の質問は、いつも自分が自分に問い続けている物だからではないだろうか。考えて考えて、答えがでない問を改めて聞きなおされていることにいらだちを感じているのではないだろうか。

「考えても見えてこないんです。学校だって、自分が得意だから言語を専攻してるだけ。目標はなんとなく降ってきていたんです。今までは」

「最初はそんなものじゃないのか? それに、これから先、その気になれば道を変更することだってできる」

「知ってます。今決めた道が、一生続く保証もないし、そうすべきという義務があるわけでもない。でも、遠回りしたくないと思うのはいけないことですか? できることなら、私は最初から納得できる道を選びたい」

 アスタはようやくここで自分が話しすぎてしまったことに気が付いた。こんなことを彼に言っても仕方がないことだ。なぜなら、彼はアスタの悩みを理解できるはずがない。

 ”共同”政府に入るくらいだ。彼は高い理想と確固とした目標をもともと持っていたに違いない。


「すみません」


 何か適当に理由をつけてヴィルヘルムを追い出そうとした時だった。開け放していた扉をノックされた。それと同時に声をかけてきたのは若い男だ。おそらく歳はアスタと同じぐらいだろう。

 見事なシルバーブロンドの髪が目をひき、次にその印象的な透き通るような空色の瞳と目があった。

「通訳の方ですよね? イクセルと申します」

 その煌びやかな見た目通り、動作もひどく優雅な男だ。そして、彼は綺麗なベルシュ語を操っている。この完璧な男を目の前にすると気後れしてしまう。どうしたものかと視線を泳がせると、男の後ろにいた、これまた神々しい女性と目があった。

「初めまして。スティナと申します」

 彼女は美しく、その動作が可憐で上品であるから、スティナという名前がよく似合う。

 ビアでは、第二王女であるスティナ殿下にあやかってこの名前をつける人が多かったのだ。

 もう十人以上のスティナに出会ってきたが、彼女がもっとも美しい。何せこの列車に乗るくらいだ、彼女も何か地位のある人間に違いない。そして彼女もまたベルシュ語を話した。

「お名前を伺っても?」

 鈴の鳴るような声である。高く澄んでいて、よく通る。

「アスタです」

 名乗ってから、彼女たちは家名を名乗っていないことに気づいた。先ほどの男たちと違って、血筋にこだわらないのだろう。

 あるいは、彼女たちもまた名前を名乗りたくない事情があるということも考えられる。

「アスタさん。素敵なお名前ですね」

 この素敵な笑顔で微笑みかけてくる女性は、たとえアスタの名前がmerde(くそ)であっても、褒めてくれただろう。

「ありがとうございます。お二人はベルシュ語を話されるのですね」

「ええ。”政府”の教育担当なもので。この列車において、私たちはベルシュ語しか話しません」

 おそらく意識的にふるまっていることなのだろうが、スティナは全くもってビア人かラクテア人かを予測させない。強いて言うならば名前はビアで人気の名前だが、ラクテアでもさして珍しい名前ではない。スティナが生まれたときには、両国は同盟関係にあったはずなので、隣国の王女と名前がかぶって嫌がる親はいなかったはずだ。

「政府……共同でも連合でもなく」

 そして、彼女はまた言葉の選び方が秀逸だった。ビア人のように共同政府というのでもなく、ラクテア人のように連合政府というのでもなく、ベルシュ語でただ”政府”と言って見せた。

「政府が混在する現状では、確かにそれぞれの国の言語では共同や連合、そんな修飾詞を付けた方が便利だと思います。ですが、ベルシュ語を使う限りは”政府”と言うべきだと思っています」

 アスタのつぶやきを拾ったスティナは、相変わらず穏やかな笑みを絶やさずに言った。

「ベルシュ語を母国語と言える世代の時には、政府が一つになるからでしょうか?」

「ええ。それが”政府”の悲願であり、使命であるので」

 彼女はここで初めて笑みを消し、真剣な表情をしてこちらをまっすぐに見据えてきた。ただそうして透き通るようなきれいな瞳に見つめられただけだというのに、アスタの背筋に言いも知れぬ何かが走った。彼女が背負っている使命感がそうさせるのだろうか。美しいがか弱くはない。強い芯があり、人を惹きつけ、時には従わせる何かが彼女にはある。

「私”たち”の理想を実現させるために、この列車”旅”は必要不可欠なんですよ」」

 今まで黙っていたイクセルが一歩前に出てきてそう言った。アスタは彼の左手の薬指に光る指輪を見つけ、さらにスティナのそれも見つけてしまった。

「お二人は公私ともにパートナーなのですか?」

 反射的に問いかけてから、アスタはしまったと思った。二人が家名を名乗らなかったのはそういう理由なのではないかと思い当たったからだ。

 案の定、スティナとイクセルはひどく驚いた顔をしていた。そして互いに顔を見合わせて、しばしの間見つめ合った。

「あの、すみません。出過ぎた質問でした――」

「――いいえ。イクセル、言葉の使い方には気を付けないと」

 スティナはそういって何故かくすくすと笑いだした。その笑いがうつったのか、イクセルまで笑い出した。

 ベルシュ語の応酬を外から眺めていたヴィルヘルムも、これには驚いたようだった。眉をひそめてかすかに首をかしげている。

 イクセルはひとしきり笑うと、すっとアスタの耳元に口を寄せた。そして彼は美しい”ビア語”でアスタに囁いた。

「アスタさんには特別にお教えしますが、私たちは婚約しているのです。それに、彼女はビア王国で最も有名な、あの”スティナ”ですよ」

 あまりの衝撃な告白に、アスタはおもいきり身を引いて、イクセルとスティナを交互に見比べた。確かにアスタは彼女にスティナという名前がよく似合うと思っていた。思ってはいたが、まさかそれが本物の王女様だと誰が思うだろうか。そしてイクセルが彼女の婚約者であるならば、彼はラクテアの第二王子だ。

 こんな大事なことを、あっさり学生にばらさないでほしいものだ。しかも、イクセルがわざわざ耳元で囁いたということは、ヴィルヘルムすらも知らないのだろうか。

 そうおもって彼の方を見ると、何故か彼もこちらを見つめていた。

 そして彼が何か言おうと口を開きかけた時、隣からイクセルが口を挟んだ。

「秘密ですよ。ヴィルは知っていますが」 

「え? じゃあどうして囁いたんですか?」

「どこから聞かれてるか分かりませんからね」

「私にも教えてくださらなくてけっこうでしたよ!」

 反射的にそう言い返すと、イクセルとスティナは何故かまた笑い始めてしまった。

 アスタにとってはまったく笑いごとではない。

 

 列車旅は落ち着かない。


 笑いつづける王子と王女を見つめながら、アスタは小さく首を横に振ったのだった。


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