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爽やかな狸

「――であるからにして、ここに連合国の平和のために尽力することを誓います」

 長い演説が終了し、出来たばかりの新しい駅には割れんばかりの拍手が響いた。

 演説はベルシュ語とビア語の両方で行われた。何せベルシュ語を完璧に操れるものなど一般市民にはほとんどいないのである。彼のベルシュ語での演説はなかったことになっているだろう。公用語になったとはいえども当面は地方語(つまりビア語とラクテア語)を併用していくしかない。

 演説していたのは、長身で黒髪を後ろに流した見目の良い男性だった。この男性に対しては、爽やかで誠実そうな印象を持つ人が多いだろう。現に、ビアの旧首都であるこの町の女性陣は心なしかうっとりと彼を見つめている。

 しかし、彼の演説の全てを理解できたアスタはそんな風に彼を評価することはできなかった。

 爽やかな狸。

 アスタは心の中でそう名前を付ける。

「しばらくの間、よろしくお願いします」

 演説台から降りたその爽やかな狸は、にっこりと笑って試すようにラクテア語で言った。

 彼が共同政府の人間であることは自明である。この場で演説するのは共同政府の人間でなければならないからだ。

 つまり彼は雇い主であるわけで、ハールスの代わりに女学生がやってきたらその能力を疑いたくもなるのだろう。

「はい。よろしくお願いします」

 あえてビア語で返し、しかし彼に何かを言わせる前に、ラクテア語に切り替えて言った。

「ついビア語が出てしまい申し訳ありません」

 そしてここで更にベルシュ語に切り替えた。

「よろしくお願いします」

 狸は少しだけ目を見張った後、再び完璧な笑みを浮かべて言った。

「こちらこそ」






 ビア=ラクテア記念急行。それは両国の旧首都とその真ん中にある新首都エストレーラの三つの駅にのみ停車する特別な列車である。その列車にはビア=ラクテア連合国の各地の要人が乗っており、三つの駅で連合国の成立をアピールするというのが目的である。そのために先ほどの狸がしていた演説や、両国のかつての幹部の紹介が行われる。

 しかしそれはあくまでも建前である。

 もしそれが本当であれば、要人が一緒に列車で十日間もかけて旅をする必要はない。それに先ほど演説していた爽やか狸のようなベルシュ語をある程度話せる人間がいるのならば、通訳も必要ないはずである。

 ところが現実として列車に要人を集めて旅をし、通訳を用意している。

 要するにこの旅の目的は、演説ではなく、列車の中で行われることにあるのだ。

 そしてそれは、両国の対立する利害を最終調整する、どろどろとしたきな臭い話であり、列車旅が終わるまでという期限付きで結果を出さねばならない案件なのだろう。政治家たちのうわべだけの会話はきっと疲れるに違いないし、権力者というものは得てして理不尽である。一見するとただの女学生に過ぎないアスタなど、自らの鬱憤をぶつけるにはいい相手だ。

 まってくもって面倒である。

 契約書は読んでからサインするべきだと、いい教訓になったともいえる。

 そしてサインしたからには、向こうから解雇を言い渡されない限り、きちんと仕事をすべきだろう。そうでなければ自らの信用が失われてしまうからだ。

「何を考えっておられますのでしょうか?」

 考え事に没頭していると足が止まっていたらしい。爽やかな狸は、それらしく学生相手にも馬鹿丁寧なベルシュ語を使って話しかけてきた。いちど胡散臭いと思ってしまうと、どんなに完璧な笑顔も魅力的には見えなくなるのだから不思議だ。

 微妙にぎこちないベルシュ語を正そうかとも考えたが、それは求められている仕事の範疇外だろう。無駄なところで促音が入っているのは、ラクテア語の発音に引きずられているからだ。

「あまりの大役に緊張しています」

 列車に乗り込んで通路で立ち止まると、後ろからついてきた狸にそう言った。

「緊張されっているようには思いませんが」

 また同じところで間違っている。しかしその間違いは許容範囲だ。比較的ゆっくり話しているが、意思疎通は問題なくとれるようであるし、アスタと同じ研究室の後輩よりは上手に話しているように思う。

「分厚い仮面をかぶっているんです」

 ビア語の言い回しをベルシュ語に直していうと、狸は少し眉を寄せた。それだけでアスタは彼が理解していないことを悟ったが、アスタはそれを無視してベルシュ語で話を続けた。

「まず、みなさんがどのくらいベルシュ語を話せるのか分かりませんし、何人の方が母国語しか解さないのかも分かりません。私は確かに三言語を操ることが出来ますが、ベルシュ語でできるのは日常会話ぐらいなものです。政治的な専門用語は、ベルシュ語として存在していない可能性もあります。これで緊張しないわけがありません」

 母やハールスと話すほどの速度でまくしたてると、狸は分かりやすく表情を曇らせた。そして彼は再び口を開きかけたアスタを、手を上げることによって止めた。

「何か機嫌を損ねるようなことでもしましたか?」

 狸は降参だとばかりにラクテア語でそう言った。

「いいえ。どうしてそんなことをお尋ねになるのですか?」

 アスタは彼の疑問はよく理解していたが、あえてそうすっとぼけて聞き返してみた。

 すると彼はしばらく考えて、ふと何かに気づいたようだった。すると見た目だけは無駄に爽やかな彼は、うっかりすると通りすがりの女性でさえ、魂をもっていかれそうな惚れ惚れとする笑顔で言った。

「始めに試すようなことをしたのは謝ります。もう少しゆっくり話していただけますか。ベルシュ語はまだ難しいので」

 こういう風に正解を出されてしまうと、余計に反発したくなる。しかしそこはぐっとこらえて、アスタは笑顔で言った。

「気が回らなくて申し訳ありません。以後、気を付けます」

「仮面をかぶるとは、どういう意味ですか?」

 謝罪だけして話を終わらせようと思ったら、質問されてしまった。

「ビア語の言い回しです。あなたのような人に対して使います」

 皮肉も込めてそういうと、彼は真剣に悩んでいるようだった。

 本来なら雇い主にこういう態度はよくないのだが、むしろ気に入られずに列車から放り出されたいと願うアスタは、あえてそのまま言葉を続けて言った。

「本性を隠す、そういう意味です」

 そこからの彼の表情の変化は劇的なものだった。

 笑みを保ち続けようとして、ふとその嘘くさい笑みを消した。そしてなんとも人間らしい、いぶかしげな表情をすると、何度か瞬きした後に言った 

「いつから気づいていた?」

 馬鹿みたいな敬語はかなぐり捨てて、ラクテア語で彼はそう言った。声色まで違うのだから本当におそろしい。狸、狸と呼んでいるが、顔立ちは美しいので、こういう人が凄んでいると余計に鋭利さが際立つのだ。

「ベルシュ語の演説の時から」

 アスタは見上げるようにして男の瞳を挑戦的に見つめた。彼は上からこちらを鋭い目つきで観察している。さきほどまでの爽やかさはどこにいったのかと問いたくなるくらいである。やはり狸は化けるのが得意なようだ。

「ベルシュ語の扱い方が下手だとは思わなかったのか?」

「思いませんでしたね。むしろ、上手だと感心したぐらいですよ」

 長身の男から視線を逸らし、列車の扉についている窓から外を見やる。まだ列車は動いていない。

「今なら間に合いますよ。私を解雇したいのなら」

 あえて余裕たっぷりにそういうと、男の顔を見ずに扉に向かって一歩踏み出した。

 すると後ろからするりと手が伸びてきて、アスタの右腕をがっちりとつかんだ。折れるほど握られている、ということもないのに、何故かまったく振りほどけない。

 アスタがしぶしぶ後ろを振り返ると、男が極上の笑みを浮かべていた。狸の皮をかぶっていないそれは、あまりにも目に毒で、アスタは思わず視線を反らしてしまった。

「思っていたより優秀で助かる」

 怒らせて放り出されると言う作戦は失敗したら。

 男は命令口調で言いながらも、どこか楽しげな雰囲気だ。

「さ、いくぞ」

 彼は半分引きずるようにして食堂車の方へと歩き出した。まるで少しでも手を離せば逃走すると思っているようである。その気持ちがあることを否定しないでもないが、さすがに仕事を無許可欠席(ボイコット)するのはよくないと思っている。雇い主が解雇してくれるのならばいいが、そうでないならば契約した以上、給金に見合った働きをすべきである。

 しかしこうやって引きずられていると言うことは、そんな常識もわきまえていないと思われているということだ。

「自分で歩きます!」

 強めに腕を振りながら主張すると、男は立ち止まって腕を離した。そして何故か廊下の端に寄る。

「御先にどうぞ」

 全く信頼されていない様子に苛立ちと悔しさがない交ぜになった。

「……ご高配を賜り、厚くお礼申しあげます」

 反抗心から、つい手紙でしか使わないような堅い表現をベルシュ語で言うと、男は心底嫌そうな顔をした。

「地味な嫌がらせは止めろ。解雇はしない」


 どうやらまだ、列車旅は終れないようだった。


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