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襲撃

 四日目と五日目はアスタは特にすることがなかった。というのも、四日目から六日目の朝までは新首都エストレーラに列車は止まったままで、政府の皆様はエストレーラで演説したり、会食したりと列車からは離れた仕事をしていたからだ。

 それにエストレーラはもともとの区分はラクテアである。国境付近なので二つの言語が混ざったような独特の方言が使われているのだが、圧倒的にラクテア語を元にした方言を話す人間の方が多い。そのため、四日目の演説では、建前上はヴィルヘルムによってベルシュ語の演説があり、そのあとハンネスによってラクテア語で演説、それから申し訳程度にビアの首相フィリップが演説した。しかしこの地方独特の方言はかなりベルシュ語に近いようで、ヴィルヘルムの演説も八割ほどは理解できているようだった。そのためか、その後同じことを繰り返すハンネスとフィリップの演説は、人々の集中力が落ちいているような気がした。

 しかし彼らにとって人々がどうあるかはあまり大したことではないらしく、二人とも同じ内容の演説を違う言語で堂々と繰り返した。

 アスタはその演説の場には必要ないだろうと言って、列車の中にこもっていた。そのため、客の集中力うんぬんの話は、演説の聞こえない列車の中から人々を観察した見解に過ぎない。しかし、その読みは外れていない自信がアスタにはあった。

 そして普段ならばこういう場で話す機会をあたえられるはずの大神官二人は、ただ偽物の笑みを浮かべて演説を聞くだけに徹していた。徹していたというよりは、そうするしかなかったのだろう。

 ヴィルヘルムは神殿権力の解体を徐々に知らしめていくつもりのようだ。その証拠に、軍の元帥や、教育庁代表としてのスティナやイクセルの演説はあったというのに、大神官からの演説だけがないのだ。つまりこれから作り上げていく新国家には、神殿は不要だという暗黙の主張なのだろう。

 この場を取り仕切るのは共同政府を代表しているヴィルヘルムなのだから、彼の意向がそのままこの場に反映されるのも当然の流れである。

「そういえば……あの人、何者?」

 今さら思いついたことだが、ヴィルヘルムは政府でどういった立場なのだろうか。最もベルシュ語のできる政府の人間であることは間違いないだろうが、幹部でなければ演説するのはまずいだろう。しかし誰もそのことを疑問に思う様子がない。

 演説を一から十まで聞いていれば、自己紹介なり、司会の紹介なりがあったのだろうが、ビアの旧王都での演説も、この新首都エストレーラでの演説も聞いていないアスタには分かりようがなかった。

 そういうわけでアスタは四日目五日目は穏やかに何をするでもなくすごした。もちろんその間に持ち込んでいた論文を書き上げたり、教育庁に入って辞書編纂に携わる未来について考察してみたりはしていたが。






 そして五日目の夜。エストレーラでの連合国成立の祝賀会があるとのことで、列車に乗っている全員が参加しなければならないと言われ、しぶしぶアスタは参加を承諾した。

 服はそれなりのものを持っていたのだが、スティナにダメだしされた挙句、彼女の衣装を一式借りることになってしまった。

 美しい人が着れば、その人物をより一層美しく引き立てるが、それなりの人物が着ても、それなりにしかならない。アスタは懸命にそう主張したが、スティナのお抱えの侍女によってあっというまに身ぐるみをはがれ、長いつややかな黒髪を編み上げられた。アスタの毛質は母よりなので、スティナのようなふわふわとした毛とちがい、つるつるとして滑りやすい。そのためか侍女は多少の苦労を強いられたようだった。

 それでも綺麗な形にして、アスタをそれなり以上に見られるようにしたのは流石というべきだろうか。

「綺麗ね」

「スティナ様がそれをおっしゃるなんて、嫌味になりますよ」

 相変わらず天使のように美しいスティナは、着飾っても何しても当然のように美しい。しかしその彼女はアスタの言葉を聞くと、器用に片方だけの眉を上げた。

「あら、そんなことないわ。あなたは美人よ。もっと自信を持って」

 スティナはそういうと、アスタを連れて列車から降りた。

 会場はどこなのかと思っていると、なんと大胆にも駅で祝賀会をするようだ。

 アスタたちがのっている列車を一度動かして一番端のホームに寄せ完全に閉鎖する。そのうえで、全てのホームに列車を付けて、両方の扉を全て開け放し、中に食事や飲み物を置く形を取った。

 全部で四つの列車がホームに止まっていて、その三つと間にあるホームを全て会場へと様変わりさせたのである。

 このために今日の夕方の列車は全て運休したようだった。どうしてこんな形を取ったのかと尋ねれば、それは警備上の問題のようだ。駅から祝賀会を開けるような場所に移動するには、この集団は守られるべき人数が多すぎたのだ。

 たしかに駅の出入り口はたった三つしかなく、そこさえ押さえてしまえばある程度人の流れは調節ができる。祝賀会ということで、地元の名士と家族が参加しているらしく、駅に四百人はいたものの、王宮での夜会を考えれば、このくらいの規模ならばどうにでもなるだろう。

 下手に動いて道中を襲われるくらいならば、ここを動かない方が楽でよいという判断のようだ。

「こちらへどうぞ。お嬢様」

「ええ。ありがとう」

 会場に出ると、スティナをエスコートしたのはやはりイクセルだった。二人とも王族であることを隠してはいるようだが、二人からあふれんばかりの気品があまりにもきらきらしすぎて、周りにばれてしまうのではないかとアスタは思った。

「こちらへどうぞ、アスタさん」

「え?」

 名前を呼ばれて振り返ると、正装のヴィルヘルムと目があった。彼は自分でアスタのことを呼んでおきながら、何故かひどく驚いた表情でアスタを見つめている。

「……あの」

 どうぞと言われたが全く動く様子のないヴィルヘルムに声をかけると、彼はやっと思い立ったかのように手を差し出してきた。ヴィルヘルムにエスコートされるのは気が引けるが、見知らぬ人にエスコートされるのはもっと気が引ける。

 アスタは素直にその手を取ると、愛想笑いを浮かべてみた。

「……似合ってる」

「え?」

「なんでもない」

 ヴィルヘルムがぼそりと何事かを呟いたが、駅のホームの喧騒にまぎれて聞こえなかった。

 しかし彼は言いなおす気はないようで、アスタの手を取って歩き始めた。そしてアスタとともに挨拶周りを始める。そのたびに彼はアスタのことを通訳として紹介し、ハールスが目をかけているのだと吹聴した。親戚だと言う設定はどこにいったのかとアスタは思ったが、連合国成立の祝賀会という席で、アスタの素性についてあれこれいうような人間はいない。

 そのうちアスタもこの作業に慣れてきて、愛想笑いを浮かべてはひたすらにヴィルヘルムの話に合わせていたのだった。そのおかげで三つある列車を何度乗り降りしたか分からないほど動き回り、アスタはへとへとになりながらも、これは仕事だと自分に言い聞かせて足を動かす。

 こうしてもう挨拶をしていない人間はいないだろうという頃、ヴィルヘルムがふと立ち止まった。

「ブルーノ元帥」

「少しお話したいのですが」

 ブルーノは不自然なほどアスタを見ていなかった。それは彼にとってアスタの顔が”誰か”を思い出させるからだろう。それならばとアスタはじっとブルーノを見つめた。

「わかりました」

「できれば、彼女には席を外してもらえますか?」

 ここでようやくブルーノはアスタの方を見た。アスタはその視線を受けると、あえて挑戦的に笑って見せた。

「かしこまりました」

 ブルーノが小さく息をのむのが分かったが、アスタは気にしなかった。そしてヴィルヘルムが何かをいう暇も与えずに、アスタはその場を一人で離れる。

 駅のホームも、どの列車もたくさんの人でにぎわっていた。その喧騒は近くにあるのに、アスタにはどこか遠い。

 ブルーノがヴィルヘルムに何を確認したいか分かるつもりだ。あれだけ隣に並んでいたら、彼だけは知っていると思うのかもしれない。口止めしようと思った瞬間もあったが、結局何もしなかった。ヴィルヘルムがブルーノに何を語ろうが構わないとアスタは思ったのだ。セルマはビア人の国籍を違う名前で取得しているし、国籍上はセルマ・イクダルと言う人間は存在しない。この世界のどこにも。

 たとえアスタがどれだけ似ていようが、アスタはただ彼女に似た人間だ。魔力もそれなりにあるが、セルマほど突出しているわけではない。

 一人になりたかった。

 一人で待っていたら、ブルーノがやってくるかもしれない。真相を確かめるために。

 そう思ったら、この賑やかな場から無性に離れたくなって、アスタは視線を巡らせた。そして気づく。

 自分たちが乗ってきた列車は封鎖されているが、その向こう側の空間は、一本の紐で区切られているだけで、簡単に入ることができる。この祝賀会でわざわざ向こう側に行く人間は少ないだろう。

 アスタは不自然にならないように、料理を選ぶふりをしながら徐々に壁際に寄って行った。そしてさっと周りを見回すと、その紐を超えて列車の向こう側に早足で向かった。すると予想通りそこには誰もおらず、がらんとした空間が広がっていた。

「……静か、でもないか」

 壁で仕切られているわけではないので、列車の向こう側の喧騒はここまで伝わってくる。しかしこの広い空間をアスタだけが使っているというのは、不思議な優越感があった。公共の空間を一人占めする機会は滅多にない。

「何をしてる?」

 一人であるはずの空間に割って入ってきたのは、さきほどブルーノに預けてきたはずの人物。

「どうしてここに?」

「一人でふらふらと入っていくのが見えた」

「一人になりたかったので」

 アスタはそういうと、ゆっくりと列車に近づいた。そして閉められた扉に手をかける。当然のごとく持ち手は下がることなく、アスタを拒絶した。鍵がかかっている。

「入りたいのか?」

 ヴィルヘルムは、狸の皮も被っていないのに、何故か笑顔だった。無邪気で子供のような、そんな笑顔。彼は指で鍵をつまみアスタに向かって軽く振って見せた。

 その無邪気さにほだされたのか、アスタは自分でも不思議なほど素直に頷いて、扉の前からどいた。

「素直だな」

 ヴィルヘルムは驚いた様子を見せたものの、どこか楽しげに扉に近づいた。そして、鍵を差し込み、それを回して開けようとした瞬間だった。

「アスタ!」

 ヴィルヘルムは弾かれたように振り返って、鋭く名を呼んだ。アスタはその叫び声と同時に、自分たちを包み込む嫌な気配を感じて咄嗟に後ろに跳んだ。

「最悪」

 アスタがその場所から離れたと同時に、眩い閃光が走り、アスタのいた場所に雷が落ちた。鋭い衝撃が伝わり、ヴィルヘルムがいる列車の外階段がぐわんぐわんと揺れるのが分かる。

「風、ここに」

 アスタが短い術を行使すると、鋭い風がまっすぐに天井に向かっていった。その風が駅の天井にぶら下げられた灯を揺らす前に、不自然な形で押し戻され、まっすぐにアスタに返ってくる。

 アスタは思わず舌打ちをして、今度は横に跳ねた。

「大丈夫か?」

 いつのまにか近くに来ていたヴィルヘルムが声をかけてくる。

「神殿の術だわ。魔術を跳ね返す結界なんて最悪」

 敬語も忘れて、アスタはラクテア語でそういうと、次に跳んできた閃光をかわすために術を組んで簡単な壁を作る。

 壁と閃光はぶつかりあって爆ぜ、壁で防ぎきれなかった爆風がアスタを巻き込んだ。

「強い……」

 魔術構成には言語を要するが、相手の術は純粋なベルシュ語で構成されている。それはハールスが復元したものと似ているが、少し違う。その少しの差が、古い術を呼び起こす鍵なのだろう。

「トーケルとスティーグだな!」

 ヴィルヘルムが自分たちが来た方を見つめながら叫んだ。

 すると、ぐにゃりと空間が歪んだ。向こう側に見えていた景色が巻き込まれて混ざって収縮し、次に引き伸ばされた時には、二人の元大新官がそこに立っていたのだった。



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