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姪御×王子  作者: 味醂味林檎
第一章 そよ風の魔女
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第七話

 城の客室は魔王の見栄もあって基本的に質の良い調度品で埋め尽くされている。絨毯やベッドを覆う天蓋は葡萄酒のように深い紅と黒を基調としたもので、上品と見るか派手と見るかは際どいが、埃っぽいということはなく、きちんと手入れされているらしい。とにかくそれなりに金と手がかかっていることは確かだった。

「うう……本当に情けない……」

「気を張ってると疲れるもんだぜ。とりあえずゆっくり休んどけ。必要があれば使用人を呼べばいいし、俺は隣の部屋で寝ることになってる。何かあったらすぐ言え。夕食のときには呼ぶが、調子が戻らないようなら部屋に運ばせるようにする」

「ありがとうございます……」

 項垂れるイースイルに軽く笑って、ロズは彼を置いて部屋を出た。彼には休息が必要だ。

 これから魔王の部屋に戻るのも中途半端な感じがして、ロズはそのままふらふらと書庫に向かって歩いていく。特に今すぐにやることもないが、この城で時間を潰せるようなものがあるかといえば、せいぜい読書好きな魔王親子の書庫から何か本をかっぱらってくるくらいしかないのだった。

 軍事要塞である魔王城はどこも窓が少なく、分厚い石の壁は冷たく閉塞感があった。石壁による守りに加えて、魔術的な結界が作用しており、外敵を寄せ付けないための城だった。尤もこの城が吸った血は魔族のものだけである――魔王の交代には戦いが付き物だからだ。魔王を継ぐのは優れた魔族であり、優れた魔族とは魔術で戦闘ができるような魔術師のことを言う。

 クロヴィスが次の魔王になると言われているのは予言もあるが、レテノアに他にクロヴィスに対抗しようとする魔族があまりいないのだ。予言に逆らって同朋と傷つけ合うより、平穏な生を望むもののほうが多かった。それ以前に、レテノアには優れた魔族を輩出する家系が少ない。

 かつての魔族たちが妖精と手を組んだのはそれが理由の一つである。今よりも領土の奪い合いが激しかった頃、魔界は限られた戦力を最大限に活用するために魔法医療に頼った。妖精にとっても魔族の戦力を取り込むことは重要な鍵だった。時代が進んだ今、それは正しい生存戦略であったといえる。他の何にも蹂躙されることなく、レテノアという一つの国として長い歴史を築くことができた。

 妖精と魔族の混血も増えた。それが悪いことというわけではないが、純血ではなくなることを厭う旧家は少なくない。特に代を重ねて優秀な者を輩出するようになった家系は、それまで受け継いできた一族の力を半減させるようなことはしたがらない――ロズが良い例だ。魔力だけはあるくせに、魔術師としても妖精としても人並みで、よく言っても器用貧乏だ。基本的に一般市民として平穏に暮らすものたちは魔族も妖精もそれほど力を持たないので混血を嫌わないが、有力なものたちとなれば話は変わる。

「ロズ。来ていたのね」

 書庫に向かう途中で抑揚のない声で名前を呼ばれて立ち止まる。

「シャルロッテ殿。今日は部屋でお休みになられていると聞いていたが……」

「お昼寝はもうやめましてよ」

 そこにいたのは人形のような女だった。

 真珠のように滑らかな肌、青く澄んだ瞳はカワセミの羽の色に似ている。表情は乏しいが妖精らしく整った花のかんばせだ。山吹色のドレスに隠れてわかりにくいが、程よく引き締まった体つきに余計な肉は何もなく、いっそ作り物染みている。結いあげた金の髪は月明かりのように輝き、神秘的ですらある――彼女の、シャルロッテの美しさはそういうものだ。妖精とは美しい生き物であり、そんな妖精の国であるレテノアで美人は決して珍しくないはずだが、それにしても思わず引き込まれるような美貌である。

「お客様が来ていると小耳にはさんだのだけど、まだお会いしていないのです。ご挨拶くらいしたいのだけど、ロズは何か知らない?」

「あー……俺が連れてきたんだ。今は旅の疲れが出たっぽくて寝てる。あまり表沙汰にはしない方針だが、客は妖精の王子なんだ」

 周囲に他に人がいないのを確認してからシャルロッテに耳打ちする。口が軽すぎるような使用人は魔王城には雇われてはいないだろうが、万が一のことも考えなければならない。秘密を打ち明けられるのはイースイルの味方になりそうな者が優先されるのだ。

「そう……殿下は生きていらしたの。また一波乱きそうだけれど……喜ばしいこと」

 ほとんど表情を動かすことなくシャルロッテが呟く。小さく息をつき安堵しているのがどうにか読み取れる程度で、彼女の感情はわかりにくかった。

「ロズは元気そうね。あなたも遠出していたのではなくて」

「体力だけはあるもんで。今は暇してますよ」

「ではこれからわたくしの部屋にいらして。あなたに渡したいものがあるのです」




◆◆◆




 本来ならクロヴィスが妖精から嫁を貰うことはないはずだったが、クロヴィスは彼女にすっかり惚れこみ、彼女が妖精貴族のフェルマ公爵と縁故であることもあって、妖精との関係を深めるためという建前のもと結婚に至った。妖精側としてはテオの死後も魔界との繋がりを保つためのちょうどいい供物でもあったのだろう、比較的すんなりと彼女の身柄が差し出された。

 魔界側としてはこの結婚は賛否両論であった。シャルロッテの祖先には魔族の血が入っており、彼女も全く実用性がない程度ではあるが、一応は魔術を使える。それに加えて弓術を嗜み、魔族と同じように勇ましく戦うこともできる――そういった彼女の気質によって、魔界側の反対意見をどうにか抑え込むことができたという。その頃ロズはまだ幼かったこともあり、大人の政治の話題に首を突っ込むことはできなかったため、そういう揉め事の思い出は後になって聞いた話でしかない。

 果たしてシャルロッテがクロヴィスをどう思っているのかは、あまり顔に出さない彼女のことなのでロズには推しはかることは難しいが、結婚が決まったときも特に抵抗することはなかったらしい。ロズが様子を窺う限りでも、揉める様子も不満を口にすることもないので夫婦仲に問題はないのだろう。七十歳ほど歳の差があるが、それくらいは魔族や妖精にとっては大きな差でもない。

 さて、彼女にとって魔界において同胞と呼べるのは同じ混血であるロズだけである。ロズだけが混血児というわけではないが、貴族階級にあって混血となると数は少なく、身内と呼べるほどの相手となるとロズしかいない。ロズにとってもシャルロッテは数少ない仲間とも呼べる相手であり、相応に交流がある。言うなれば姉のようなものだ。

 このようにシャルロッテの部屋を訪れることも初めてではない――嫌だというわけではないが、人妻の部屋に上がり込むと考えるとロズは罪悪感を覚える。まるで間男のような気分がする。実際にはロズの体は女で、当然そんな気を起こすわけもなく、シャルロッテは妹分を妹分として可愛がっているだけなのだが、この辺りはロズの中身がいけない。生まれ直す前は男だったのだと思い出してしまった。そういう気持ちがときどき表に出てくるのは仕方のない話である。

 さて、シャルロッテの部屋はテオやクロヴィスが装飾に拘るのと比べると、彼女の好みは実用性に偏っているのか、機能美を追及したシンプルな家具ばかりが並んでいる。狩猟用の半弓はこの部屋で唯一目立つインテリアだが、それも彼女の愛用する武器であって、飾るためのコレクションとはまた違うものだった。数多くの危険な害獣を屠ってきた弓だ。ドレッサーには化粧道具一式があるけれど、そのすぐ傍に肌の手入れと同じかそれ以上に大切だと言わんばかりに弓を手入れするためのクロスが堂々と鎮座していて、そこに彼女にとって無用なものは一切なかった。何もないのではなく、必要なものだけがあるのだ。

「あなたに渡したいというのはこれのこと」

 シャルロッテがドレッサーの引き出しの奥から何か取りだして持ってくる――小瓶だ。その中身は、どろりとした赤黒い液体に満ちている。

「わたくしの血よ」

「見りゃわかりますけど、え、なんでまた」

 妖精の魔法医療。妖精は自らの痛みで他人の痛みを癒す。流れる血から、零れる涙から、死していく体から、他人を癒す魔法が生まれる。それは決して自らを労わらず、常に他の誰かのための献身である。妖精であれば誰であっても持ち合わせる性質であり、妖精の血を引くロズも同様である。具体的にどういう仕組みでそんな現象が起こるのかロズは理解しきれていないが、妖精とはそういうものだ。

 こうして自らの血を薬として精製し保存するというのは、妖精では一般的な文化である。それを贈り物として扱うこともまた当然のように行われている。血の薬はいざというときのための保険であり、大切な誰かへの献身の証でもある――シャルロッテがロズにこれを渡すというのは、それだけ大事にされている何よりの証明であった。

「気休めにしかならないとは思うけれど、持っていてほしいの。何だか今年は危ない目に遭いそうな予感がします」

「俺はそんなに危なっかしいかな」

「わたくしはあなたの予言が気にかかりましてよ」

 シャルロッテが言った。ロズは一瞬息を止めたが、やがて大袈裟に肩を竦めて笑った。

「こんなもん貰ったと知れたらクロヴィスに嫉妬されそうだ」

「わたくしのクロヴィスはそんなに狭量な男かしら」

「気前はいいが、勝手にされるのは嫌がる。愛しい嫁さんが勝手に他のやつに愛を分けていると知ったら」

「ではあの人には内緒にしておきましょう」

 女同士の秘密ね、とシャルロッテが囁いた。儚げな笑顔に見えるが、実に強かな女らしさが滲み出ている。

(魔族の嫁になるだけはあるよなア……)

 外見と中身が一致しない不思議な魅力がある女性だ。クロヴィスが惚れこむのも頷ける、とロズは一人納得した。




◆◆◆




 結局その日の夕食がどうなったのかというと、イースイルがテーブルにつくことはなかった。食事の時間だと告げにいったロズが見つけたのはぐっすりと眠っているイースイルの姿で、それを無理に起こすことはしなかった。様子を見て夜食を運ぶよう使用人に指図したが、もしかしたら朝まで起きないかもしれない――それくらい深い眠りについていた。

 イースイルの話に関しては、クロヴィスと記憶を共有するために魔術を使った。魔族の魔術はこういうときに便利だ。言葉で伝えるよりも、魔力を使って脳を繋げて、実際の記憶そのものを受け渡すことによって正確に情報が伝達できる。集中しなければ魔力の糸が途切れてしまうが、魔術はどれもこれもそんなものだ。

 イースイルについて全て伝えた後、クロヴィスは人差し指で顎のあたりを少し触りながら、溜息をつくように言った。

「ははあ、何だか凄く厄介というか、ややこしいというか、面倒くさいね」

「皆までいうんじゃねえよ……」

「大変な役目ですが、わたくしに手伝えることがあったら遠慮なく言いなさい。わたくしからも妖精に働きかけられるよう取り計らいましてよ」

 シャルロッテの慰めだけがロズの癒しだ。彼女はフェルマ公爵の従妹であり、魔界で暮らしている者の中では最も妖精の政治の事情に通じている。ロズがイースイルを手伝ううえで、この上ない味方だ。

「ありがとう。でも、あまり派手なことをするのもな……どうしても必要なときにはお願いする」

「ええ、そうしなさい」

 とても頼りがいのある言葉だったが、どうにも感情が籠っていないように聞こえてロズは苦笑した。シャルロッテの気遣いがわかりにくいのはこうした彼女の気質によるところが大きいのは明白である。

「イースイル殿下のお言葉を疑うわけじゃないけど、魔界としても外国の情報収集についてはもう少し本腰入れたほうがよさそうかな」

 客観的な視点がもっと欲しい、とクロヴィスは言った。テオも「ミュウスタットは元々無視できる存在ではない」とクロヴィスに同調する。

「外敵から国を守るために魔族がいる。周りのことを全く調べてないわけじゃないけど、今僕が手をつけてる分だけじゃ足りない気がする」

「でしたら、吾輩にお任せください。人間社会にも魔物はおります。我らの息のかかったものが人の世に混ざりこんでも、他の魔物と見分けられるような目を持つ人間などおりますまい」

「確かにそれなら目立たないな……?」

 魔族や妖精は耳が尖っている。加えて魔族は力の強いものほど角や翼が生えて正体があからさまであるし、妖精は背中に羽の痣が浮かぶ。ミュウスタットは人間の国だ。そこへ潜むには目立つ特徴がありすぎる。しかし魔物ならどこの国でも同じ魔物だ。そう簡単に判別できはしないに違いなかった。

「ロズ姫様は何も心配せず、イース殿の傍に」

「お、おう……それじゃあ頼む……」

 イースイルが聞いていないところで、魔族としての行動が勝手に決まっていく。明日向かうベルク城に必要な事項を伝えるためだとクロヴィスが勝手に使い魔を作り上げて飛ばしているのを見て、ロズはほんの少したじろいだ。

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