第五話
烈風魔王テオ・バルテルミーといえば、レテノアの魔族のトップに立つ男である。烈風という二つ名は激しい風そのものである彼の魔術の特性からつけられたもので、そよ風に過ぎないロズとは全く格が違っている。魔族の肉体に老いが現れるのは歳を重ね寿命が近づいてきた証だが、だからといってテオが弱ったかといえばそんなことは全くない。彼に匹敵する魔術師は彼の息子であるクロヴィスくらいのもので、間違いなく魔王と呼ばれるに相応しい人物であった。
ロズが狩って届けさせた害獣の首が台座に乗せられてテオのすぐ傍に置かれている。いっそグロテスクとすら思えるような怪物の首だが、テオは随分と機嫌がよさそうだった。
「いや、百体目か。魔術品にするべきか、飾っておくのがいいのか……これを何に使ったものかな」
「いらねーならくれよ。牙とか目玉とか俺には使い道あるから」
「さてどうしようか。これは私も興味があるのだよ。ここまでロズが頑張るとは思っていなかったものでね」
まだ幼いがすっかり一人前の戦士だ、と魔王が微笑む。オーウェンが「姫様は若くとも充分にお強いお方でございます」と言った。何故かオーウェンは自分のことのように胸を張っていたが、ロズ自身は魔術品あっての強さであると自覚しているためあまりこだわるところではなかった。
「俺っつーか武器が強いんだけどな。何にせよジジイが勝手に決めた相手と結婚とか死んでも嫌だし、やれることはやるだろ」
「そこまで言うかね」
「姫様にも思うところがあるのでございましょう」
「そこまで嫌われるような相手を探してくるつもりはないのだがね」
テオが納得いかないという顔をしているが、ロズはそんな彼よりももっと納得いかないと思っているので、そんな不服げな表情に応えることはしなかった。呆れたような溜息が聞こえたような気もするが、それも聞かなかったことにした。
(若い人間の権力者と結婚して、死に別れたらまた別の相手と再婚って計画が透けて見える気がするんだぜ……)
テオの言う相手というのが実際に良縁ではないということはまずないだろう。魔王と縁のある娘を嫁がせる相手として厄介な相手を選ぶはずがないし、ロズにも思い当たる者がいないわけではないのだが、たとえその縁が客観的に見て魔族のためになるものでロズ自身にとってもよいものだったとしても、無理なものは無理、できないことはできないのである。ロズの予想どおりに人間との結婚だとすれば、長命であろうと思われるロズが何度でも結婚を繰り返す可能性も充分にあり、そのような精神的にダメージを負い続ける人生は全力で拒否するところだ。
「さて、お客様が来ていると聞いたのだが。さあさあ、皆掛けなさい。茶でも飲みながらゆっくり話そうじゃないか。ちょうど林檎のタルトがある」
テオの一声で、傍に控えていた使用人がすぐに紅茶と菓子を用意する。タルト生地に薄く切った煮林檎が敷き詰められている様はまるで花のようであり、甘い香りが食欲をそそる。オーウェンは「吾輩は紅茶が苦手なのでミルクなどいただけますかな」と注文をつけていた。
「ジジイ、一応大事な話ってやつなんだ。人払いをしてほしいんだが」
「ふむ、良いだろう」
ロズの不躾な態度にも慣れているといった様子で、テオは頷く。そして彼が指示すれば、使用人たちはすぐに部屋から出ていった。最早この部屋には部屋の主であるテオと、訪ねてきたロズたちしかいない。護衛の一人もつけずにいられるのは、テオが魔術で充分自衛できるからで、護衛など必要としていないからだ。そもそも魔族とは戦士としての素質が世間の評価に直結する種族であり、護衛が必要なのは未熟な者だけである。
希望どおりに余計な耳がなくなったので、ロズは言った。
「どーも。イース、もう顔見せて大丈夫だぜ」
ロズに促されて、後ろにいたイースイルは顔を隠すように被っていたフードを取った。
「おや、これはこれは……本当に珍しいお客様だ。失礼ながら、あなたは既に亡くなったものと聞いていたのだが……」
「お久しぶりです、烈風魔王。こうしてお会いするのはシャルロッテ姫の婚礼の時以来でしょうか」
「あの頃の殿下は幼かったが、随分と立派になられた。死んだと聞いた時は残念に思いましたが、こうして生きていようとは……どういうわけか、お聞かせ願えるかな?」
テオの言葉を受けて、イースイルはこれまでの経緯を語る。成人の儀式の折に殺されかかり、隣国ミュウスタットで身を潜めていたこと。レテノアに不穏を感じて、かつて王子だったものとして、国のために何かできないかと戻ってきたこと――。
「運好くロズ殿に救われ、私はこうして生きたまま此処に来ることができた。あなたに引き合わせてもらえたこともまた幸運なのでしょう」
王子として育てられたからには、帝王学の一環として剣術も習っているはずだが、それが実戦で通用するものかと言われると、せいぜい自衛ができればいいというところで、供もなく王子としての立場もないに等しい状況の彼がここまで生き延びたのは奇跡的なことだ。彼の言うとおり幸運で、手を差し伸べるものがいなければ此処に来ることはまずなかっただろう。
「ふむ。レテノアに危機が迫っているというが、具体的には何を指しているのかな」
「ああ、それ、俺も聞きたかったんだよ。つーか、あんたずっと国の外にいたのに、レテノアの内情とかどれくらいわかるもんなんだ?」
「確かにわからない部分はあります。ですが、外から出なければ見えぬものもあるのです。少なくとも私は、それを危機だと認識しました」
イースイルは一呼吸おいて、決意したような顔で告げた。
「レテノアが戦場にされるかもしれないのです」
◆◆◆
イースイルが身を寄せていたのは、ミュウスタット帝国の騎士ルクラス・ガイストという男の屋敷だった。彼は瀕死のイースイルを介抱し、そのまま二年間匿ったという。
「ルクラス・ガイストってあの仮面騎士か。新聞で何回か見たぜ」
「皇帝の懐刀という噂の彼か」
レテノアの隣国、ミュウスタットは人間の国だ。人間たちの国がいくつもの小国に分かれていたところを統一したといえば聞こえはいい――が、侵略戦争によって覇権を拡大した国ともいえる。魔術はないが技術はあり、力がある。今も周辺の小国を飲み込もうと様々な策を巡らせているという。
現状レテノアと敵対していないのは偏に争うより友好的にしているほうが利が大きいからだ。魔王を抱えているということは強力な兵器を持っていることと同義であり、妖精がいるということは兵士が傷を恐れる必要がないということだ。ミュウスタットはそんなレテノアと正面からぶつかることを避けたのだ。
ルクラス・ガイストは何かと噂に上る男だ。数々の戦争で活躍し、異例の出世を果たした男。幾度も戦果を挙げ、一介の兵士から騎士の称号を賜り、現在では帝国騎士団を率いる団長に伸し上がったという。常に仮面を被っており素顔がわからないというのが猶更謎を呼ぶというのか、その実態は歴戦の老兵だとも若き天才剣士だとも言われており、果ては何人ものルクラスがいて仮面の下は入れ替わっているなどという荒唐無稽な話まである。
わけのわからない与太話が付き纏う男でも、実力者であることには変わりない。戦えば殺されるかもしれないが、逆に言えば相手は人間なのだから、戦いさえしなければ向こうのほうが先に死ぬ。魔族の戦士として考えるなら、敵に回したくない相手の一人、というところか。
「ガイストの息子ですか……」
オーウェンが呟く。知っている、という口ぶりだった。
「オッさん知り合いか?」
「四十年ほど前、フーチェ村の傍に新しい通商路を作るために、ミュウスタットと共同で害獣退治をしたことがございます。その際、あちらの部隊を率いていたのがヨルク・ガイストという人間でした。ルクラスというのは彼の息子でしょう?」
懐かしむようなオーウェンの言葉にイースイルは肯定の意で頷いた。
「ええ、その彼で間違いありません。ルクラス自身から色々と話を聞きましたから……」
「ほほう」
「なんかえらく仲良くしてたみてえだな」
「彼はとても良くしてくれました。私がレテノアの王子と知って、利用するつもりもあったのでしょう」
イースイルは言った。言ったが、その言葉の割には親しみの感情が滲み出ているようで、どうやら彼はルクラスに対して良い印象を持っているらしかった。命を救われ二年も間匿われたというのだから、ロズもその気持ちが全くわからないではない。何しろ二年だ。心を許すには充分すぎる時間である。
(マジでいいやつなのか、上手いこと手懐けられただけか……さてどっちかね)
直接会って話したわけでもない男のことなどわからない。オーウェンの昔馴染みの息子なら、ある程度は信用できそうな気もするが、たとえ親子でも別人である。戦士としてはルクラスは恐れるべき相手で、人間味のある噂を聞くわけではないから判断がつかず、ロズは黙ってイースイルの話を聞く。
「ルクラスのもとで過ごした二年で私が知ったのはミュウスタットの内情でした。現在のミュウスタットは諸外国との関係について意見が割れているのです――東進派と西進派、というかたちで」
「……では、レテノアを攻めようとしている者がいる、ということかな」
テオが口を開いた。ミュウスタットはレテノアの東に位置する。彼らが西進するということは、即ちレテノアに向かって動くということに他ならない。
「彼らはメーフェ半島を欲しがっているのです」
イースイル曰く、東進派はこれまでどおりレテノアとは波風を立てないようにしながら、東側の小国を取り込んでミュウスタットの国力を盤石としたいと考える派閥であるという。どちらかといえば保守的な面が強いが、東方への支配を強めることで大国の基盤を揺るぎないものとしたい――そんなところか。一方で西進派はレテノアから地続きになっているメーフェ半島を手中に収めることを望んでいる。
「メーフェ半島さえ押さえれば、南方の新大陸に手を伸ばすことができます。容易くはないが、東の小国よりもずっと広大で豊かな大地がそこにある。西進派の有力者はレテノアの貴族たちに掛け合い、この国を侵攻ルートとして使うつもりのようです。ミュウスタットの技術で未開発地域を開拓することを条件に挙げているらしい」
イースイルの憂いはそこにあるようだ。レテノアが道を開ければ、ミュウスタット側についたということになる。その時メーフェからの攻撃を受けるのは隣り合わせのレテノアであり、ミュウスタットはその後になる。レテノアの大地だけが傷つけられるのだ。
「そしてメーフェを獲った後は疲弊したレテノアを挟撃するのだね」
テオが紅茶を啜りながら言った。何でもない世間話のようにさらりとした言葉で、しかしはっきりと言い切った。そうなるに違いないと確信している者の言葉だ。オーウェンが横で頷いている。
イースイルは言葉を詰まらせた。
「それは……」
「私ならそうする、という話だがね」
「……いえ、私も考えたくなかっただけで、西進派が力を持てば実際にそうなるでしょう。南方を攻めるなら後顧の憂いは絶ちたいものだ。メーフェさえ押さえてしまえばレテノアを攻めない理由もなくなります」
レテノアには魔王がいて、魔族の軍隊があるとはいえ、戦力が分断されては本来の力を発揮しきれなくなるのは道理だ。その隙を突いて一度崩してしまえばあとは脆い。ミュウスタットがメーフェを手中に収めたら、恐らくは手がつけられなくなる。さらにミュウスタット側がレテノアを開拓するとしたら、そこに作られた道は、レテノアの都市を潰すのに最適なものとなるに違いない。
何にせよ、いわゆる西進派という派閥の動きは止めなければならないことだけは確かだった。彼らの思いどおりにさせてしまったら、レテノアの大地は傷つき、民が苦しむことになるのは容易に予想がつく。
ロズは何か引っかかりを覚えた。新技術による開拓はレテノアの道を明け渡すのに充分な見返りではない。両国の間に通商が行われていることを思えば交通事情がよくなることは歓迎すべきことだが、後に不安の種を残すものだ。そんなことは少し考えればわかることで、いくら現在のレテノアが他国の技術を取り入れることに積極的になってきているとはいえ、それだけのために道を開けるはずがないのだ――普通は。だが、実際にはミュウスタットには西進派がいて、レテノアの貴族に交渉を持ちかけようとしている。
――まるで、西進が可能なことだと確信しているかのようだ。
「ちょっと待て、待ってくれ……まさかレテノアの誰かが手引きしてるのか」
嫌な想像をした。ロズの声が少しだけ震える。魔界は妖精の政治に大きく口を出さないが、それは妖精が魔界を必要とし、充分に手厚く扱っているからだ。だからこそ魔族は妖精を守る兵士となり戦う。そのバランスが崩れるようなら――もしも危険を運び込むものがあるのなら、それを放っておくことはできない。
「それを止めるために、一刻も早くネビューリオを王にしなければならないのです」
そう語るイースイルの灰の瞳は、それこそが希望であると信じ、それ以外を考える余裕のない色をしていた。