白い本2
パレイゼが三十路の誕生日を迎えた頃、ゲリアは色々と騒がしかった。感染力が強い細菌が原因の疫病が国内にひどく流行したことで、国中が解決のために大慌てすることになったのだ。いくら他人を癒す力をもつ妖精族たちが暮らす国といえど、治せる範囲にも限度というものがある。魔力に応じただけの治療しかできないし、妖精の医療というのは血や涙を分ける献身であって、誰かを治すためには誰かが身を削らなければならない。今回はその献身の効果よりも、病原菌の強さが上回ったということだろう。
問題の解決に向けて、王城でも色々と議論があり、感染者を隔離するとか、移動手段に制限をつけるだとか、とにかく病が広がりにくくするために策を講じねばならなかった。一方で、王城に集まるような者たち――いわゆる貴族たちといったら、由緒正しい妖精の血筋で、人を癒すことに長けた者が多かった。各地の病院を慰問して回る貴族も少なくない。
国の顔とも言える立場にあるロラン妃やグレネ妃もまた、国民のために血をわけた。まさに“献血”したわけだが、騒ぎが歴史的なものになったのは、この献身によって血を失い抵抗力が弱まったためか、なんとその二人が病にかかって死んでしまったのである。無論、彼女らを救おうと国王や子供たちも治療に参加しようとしたが、その間もなく亡くなってしまったのだ。
フェルマ領でも病は流行したが、ここでは偶然が重なってあまりひどい状況にはならなかった。というのも、遺跡研究を趣味にしている魔王の息子、クロヴィス・バルテルミーが偶然フェルマ領の遺跡を訪れており、彼が古代の文献を修繕したおかげでこの疫病の特効薬の作り方を得たからだ。古い時代にも似たような病はあったようで、パレイゼが私財を投じて研究者たちに薬を再現させたことで一応の落ち着きを取り戻した。以降、その薬が全国に広まり、一年後ようやく疫病は終息へ向かう。
さて、それはともかくとしてこの頃から、イースイルが指す“妹”の意味が変わり始めたことに、パレイゼは気が付いていた。元々、イースイルは同じ母から生まれたネビューリオ王女も、グレネ妃の子であるミルディア王女のことも同じように妹として見ていたが、十歳を迎えた彼は明確にグレネ妃の子ミルディアを敵対視し始める。とはいってもあからさまに表に出していたわけではなく、パレイゼくらいしかそれをわかっていなかっただろう。むしろわかりやすいのはミルディアのほうであり、彼女は兄のことを家族とは見ていないようであった。尤も、パレイゼ自身はイースイルとの関わりが深く、その縁でロラン側に立つ存在となっていたため、あくまで推測にすぎないが。
王子たちに確執が生まれるのはともかく、国の中枢にいたロラン妃とグレネ妃が二人そろって亡くなったというのはなかなかに衝撃的なことであった。ただでさえ疫病によって国が揺らいでいるところにこれだ。政治の場でも動揺は大きい。
国王も妃を失ったことで、以前より覇気がない。このまま国王が求心力を失って民がばらばらになるようではまずい。隣国のミュウスタットは戦争によって力をつけてきているのだし、今はまだ大人しいが、隙を見せれば食われかねない。何か余計な問題が起こるようなことがあれば、いよいよレテノア王国そのものの危機である。
「パレイゼよ、そなたは何か考えはあるか」
既に国王からは寵臣として扱われていたパレイゼは、そう意見を問われて一つ案を提示した。
「魔界との繋がりを強くすべきでしょう」
「魔界だと? これ以上どう近寄るというのだ。先祖の代から彼らとは協定を結び、協力関係にある」
「確かに今までも協力はしています。しかしそれも対外的な話が主でありました。それも、烈風魔王テオが受け入れているというだけのことで、彼の死後までは保障されておりません。今回の疫病では、妖精は自分たちのことで手一杯でしたが、魔族たちは丈夫な体を持つためあまり病に苦しむことはなかった様子。国内の事件においても、今後とも互いに上手く手を貸し合えるようにしておかなければなりません」
「お前の言うことは一理あるが、しかしどうするというのだ。何か良い手でも?」
「幸いにも、これまでの協力関係から、魔族は妖精に対して悪感情は持っていません。妖精と魔族の暮らす区域はわかれているとはいえ、民間では妖精と魔族が同じ街に暮らし、手を取り合っている。以前には妖精の貴族が魔族に嫁いだ例もございます」
「ふむ」
「烈風魔王は既に老いの兆しが現れているとのこと。そのご子息であられるクロヴィス殿が次の魔王として有力な候補と聞きます」
「だが、強い魔族ほど純血の魔族を求めるだろう。我々妖精が純血の妖精を求めるのと同じこと。だからこそ純血の妖精では駄目だ。混血でなければならぬ。妖精の貴族の中に混血のものなどいただろうか」
「私が知る限りでは一人」
一人――パレイゼの知る未婚の娘というのはつまり、彼の従妹であるシャルロッテのことである。パレイゼとはそう歳も離れていないが、彼女は母方の先祖に魔族がいる。そのため妖精の貴族として育ちながら、体も丈夫で、狩りを好み、魔術の素養も持っている。
妖精の貴族社会では浮いた娘だ。だが、政略結婚をさせるとなれば、彼女以上に適した存在は他にない。
「上手くいくと思うか?」
「上手く手配してみせましょう」
何より、パレイゼは上手くいかないはずがないと思っている。というのも、先日訪れたクロヴィスは、既にシャルロッテと会っているのだ。
細身の優男に見せかけて、クロヴィスは確かに魔王の息子らしく、素晴らしい魔術の腕を持ち、長く生きただけの知識と知恵、そして強かさを持つ男だった。その彼がシャルロッテを一目見て、その妖精特有の美貌に惚れ込み、リード家に彼女を嫁にくれないかと打診してきたことを知っている。彼の目は一度やると言ったらやる、そういう色をしている。たとえ他の魔族たちにどれだけ反対されようとも、クロヴィスはチャンスをものにできると踏んだならやり遂げるだろう。そういう男ならば、シャルロッテも不幸にはなるまい。彼女も自分の生まれた立場をよくわかっている娘だから、実質的にリード家の権限を握っているパレイゼが言えば、これだけの条件を前に拒絶するということもない。既に計算は始まっているのである。
――だが、今ここで、全てを語ることもない。
嘘は一つもついていない。ただ、明かさない秘密を持っているだけのことだ。そして全てはパレイゼの思惑どおり、そう遠くないうちにクロヴィスとシャルロッテの結婚式が執り行われ、妖精と魔族の結びつきはいっそう強まることとなる。この時イースイルはロズと出会い、初めて気安い友人のように同年代の相手と話すという体験することになるのだが、彼らの交流はこれっきりで十年間近く絶たれるうえ、パレイゼは生徒の成長過程を全て知っているわけではないので割愛する。
◆◆◆
「パレイゼ、きいて! きょう、おにいさまにラジオを作ってもらったのです!」
きらきらと目を輝かせて、やや舌足らずな口調でネビューリオ王女が見せてきたのは、小さな箱に取っ手がついたものだった。パレイゼが先日、宿題として王子に材料と設計図を渡した手回し発電の簡単なラジオである。少々箱の留め具のネジが曲がっているようだが、ひとまず完成させたらしい。王子とはいっても何でもできるほうが後々生きるのが楽なはずだ、というのはパレイゼの持論である。
最近、レテノアでは――というよりは、パレイゼの周りでは科学が普及しつつある。彼自身がそれを推奨しているからだ。妖精はこれまで魔族たちが作る魔術品を技術として頼っていたが、それだけでは足りない。今や科学は魔術と区別がつかなくなりつつあるほど発達しており、それを活用しない手はない。フェルマ領にはラジオ局もあり、このラジオでも電波を拾える。小さなスピーカーから最近のニュースが流れている。
「よかったですね」と微笑みかけて――そのつもりだが上手くいっているかはわからない――ネビューリオと目を合わせると、幼い彼女はにこにこと愛らしい笑顔を振りまいて、「おにいさまはなんでもできるんですよ!」と自分のことのように胸を張った。控えめに言っても可愛らしい。
最近、パレイゼは彼女の教育係も務めることに決まった。国王は特にこの末娘が可愛くて仕方がないらしく、長男であるイースイルを相手にするのとはまた違う愛を注いでいたが、教育方針は変わらないようだ。パレイゼが呼ばれることとなるのは、これまで国王やイースイルに尽くしてきた実績から信頼を勝ち得たということで、光栄な話には違いないし、断る理由もなく、パレイゼはこの兄妹と親しい付き合いをしている。尤も妹のほうについては、教師というより世話係に近い気もするが、それはそれでつまらないわけでもないので概ね現状には満足している。
「ネビューリオ様は本当にイースイル様のことが好きなのですね」
「自慢のおにいさまだもん! でも、わたくし、おにいさまだけが好きなわけではないのよ」
おとうさまや、おねえさまのことも――と小さな指を折って数えようとする彼女は、子供らしく愛らしかった。兄と姉の間に確執があることを、彼女はまだわかっていない。その純粋さで、彼女は世界を見ている。その子供らしさはパレイゼには少々眩しい。白い本の叡智に助けられているけれど、それは同時にパレイゼをただの子供でなくしてしまったから、彼女のように純粋なだけでいられた期間はひどく短かった。
王女のロラン妃の面影を残す顔は、いつかは成長し大人になればますますロラン妃に似た美貌となるのだろう。妖精とはえてして美しいものだが、ネビューリオのそれは最早別格だった。いつかの未来には彼女も純粋なだけではなくなるのかもしれないが、一生人の後ろ暗い汚れなど知らないままでいてほしいとも思うのは、パレイゼのエゴというものだろう。
「好きなものが沢山あるのは良いことです」
「そうですよね、そのほうが楽しいし。そうだわ、わたくし、パレイゼのことも好きよ」
「おや、ありがとうございます」
「あなたってやさしくて、ものしりでステキだから他の人とは違います」
子供の言うこととはいっても、真正面から好意を突きつけられるとどうにも照れくさい。返事に窮していると、不意に背中を軽くたたかれてびくりとしてしまう。振り返ると、いつの間に傍へ来ていたのか、イースイル王子がそこにいた。
いつもと変わらぬ、歳のわりに理知的な目をした――そのようにパレイゼが育てた王子が、何とも言い難い微妙な笑みを浮かべている。妙な気まずさにパレイゼは口の中に溜まる唾を飲み込む。イースイルはその微妙な笑みを崩さぬまま、しみじみと言った。
「パレイゼならリオと結婚することになっても反対しないぞ」
「一体何を仰っているのですか」
白い本の魔力によって過去の記憶を得たパレイゼも、未来のことまでは知らない。このときはまさか、本当にネビューリオと結婚することになろうとはこれっぽっちも想像していない。そのうえそれがさらにパレイゼに与えられた予言を果たすことに繋がるということも、当時のパレイゼは知らなかったし、思いつきもしなかった。
「それより、どうなされたのです。イースイル殿下は今剣術の稽古のお時間では?」
パレイゼはイースイルの教育係だが、そこに剣術は含まれない。パレイゼが教えるのは歴史や政治といった座学である。剣術の知識がないわけではなく、パレイゼを賢者へと押し上げた白い本の歴代の持ち主には高名な戦士もいたが、過去の叡智があるからといって体がついていくわけではない――そういうことである。人には向き不向きがあり、パレイゼは自分もできないものを教えられない。
イースイルに剣術を教えているのはコルネイユという男で、王国騎士団を取りまとめている剣術の達人である。妖精らしからぬ逞しさで、彼は魔族交じりであるとの噂だが、真偽の程は不明だしパレイゼも興味がないところである。実力があるか否か、それだけが重要な話だ。
イースイルは僅かに首を傾けて、ああ――と息をついた。あからさまに疲労困憊といった様子だ。
「……今は休憩だ。休憩のときくらい、稽古場にいたくない」
「コルネイユが苦手なのですか?」
「いや、コルネイユのことは嫌いじゃないよ。堅苦しい男だが、そのぶんきちんと教えてくれるいい先生だし。問題は観客だ」
「かんきゃく?」
ネビューリオが首を傾げて、イースイルはどこか疲れたような笑みを浮かべながら、妹の頭を撫でる。「王国騎士団の連中がいちいち様子を見にくるんだ」とイースイルは溜息をついた。
「私は確かに剣士としては未熟だけど、だからこそ護身程度のことはきちんとやりたいと思ってる。でも気が付けば誰かが何を言うでもなくじろじろ見てくるんだ。まるで見張られているみたいで居心地が悪い」
「……なるほど、それは気を張りますね。それにしても騎士団の連中がですか……きっと殿下のことを気にしているのでしょう。あなたのことを敬愛する騎士たちは多い」
王族の高貴な血筋のみならず、イースイルには慕われる理由――というか、原因となったことが一つある。先日、イースイルが騎士団の稽古を見学した際、騎士たちの動きを見て、その中でも手練れと思われる者の地位を聞いた。そこで返ってきた答えが、その騎士は一団員に過ぎず、特に重要な役割も持っていないというものだった。一部隊の隊長を務める者は年功序列で決められるだけと聞いたイースイルは「適材適所という言葉があるのに、なぜそうしないのか」と言った。その後、彼は父王にも同じように実力が適切に評価されるべきと言ったようで、それがきっかけで騎士団の中で評価制度の見直しがされ、実力者が評価されやすく体制が変わることに決まったのだ。
「私はただ実力のある者がちゃんと報われなければおかしいと言っているだけで、そんなことでつきまとわれても困る。休憩のときまで柱の影から見つめてくるんだぞ。あれでは見学じゃなくて見張りと一緒だ」
「彼らもあなたを守るのが仕事ですから。ですが時と場合は考えるよう言ってもいいかもしれませんね」
「まったくだ。あんなに熱心に見てくるなら、一緒に稽古でもしたほうが実になるだろうと思うんだけどな」
「殿下の隣に立つには緊張してしまうのでしょう。意気地なしといえばそれまでですが、彼らも未熟な部分があるということです。殿下が鍛え直して差し上げるというのはいかがでしょうか」
「そうできるほど私は強くはないよ。今はまだ」
イースイルは苦笑して、「もう休憩も終わる」と言って戻っていった。その背中を見つめながら、ネビューリオは「おにいさまは大変なのね」と呟いた。王子という立場は注目を浴びなければならない。それは妹であるネビューリオもやがては身に染みて感じることになるだろうが、もうすでにその未来を悟っているのかもしれなかった。




