臆病風には吹かれない2
マダム・ヴィオレ――ベルクの市井ではそう呼ばれているけれど、その正体は若きベルク公爵ロズ・バルテルミーである。公爵という地位をあからさまにすると民が委縮するからと、冒険者ヴィオレとして時折市井の様子を窺っているのだが、昔からベルクで暮らしている者はそのろくに隠されていない正体など簡単に見破ってしまう。そう――彼らはロズのことをわかっていて、あえてヴィオレとして接しているのだ。そういう体で接するからこそ、より近しいところで民とやり取りができる。尤も、正体が知られているからこそ、どこへいってもマダムと呼ばれ一応それなりに丁重にもてなされるのだが。気にせずともいいものをとロズは思うのだが、そういうわけにもいかないらしい。血筋や地位というのは面倒なものである。とりあえずは嫌われてはいないようなのでよしとするべきか。
その点では、エーク・ゼルズは可愛らしいものだ。彼はまだロズの正体に気が付いていないのだ――薄々何かあると感づいてはいるようだが、まだ真相には辿り着いていない。
彼の手伝いもあって買い物はスムーズに終わった。あとの準備は流石に手伝わせられない――エークは将来が楽しみな魔族だが、馴染みのない魔術に関わらせて怪我をさせでもしたら大変だ。魔術の手ほどきなら別の機会にすべきだったし、詳しい魔術品の製法を見られて正体が知られるのも、もう少し先に延ばしておきたい気持ちがある。子供らしいエークが委縮することなく近寄ってきてくれるのは結構心地良いのだ。
適当なところでエークを帰し、自らもバイクに荷物を積んで城へ戻る。ロズを出迎えたのは何やら庭の土いじりをしている男――先日結婚したばかりの夫、イースイルだった。
「おかえりなさい、ロズ」
「おう、ただいまイース。何やってんだあんた」
「庭師のヨハンがよく手入れしているのでしょうが、花が随分綺麗に咲いていましたから。ゲリアとは土が違うのかもと思って」
「ああ――あいつはバルテルミー・ブルー・ローズのために気を遣ってるんだよな。色の良い花が咲くようにって肥料とか土の配合とか気にしてるらしいからあいつに聞いたらどうだ。何だ、畑でも考えてるのか」
「具体的にはまだ。上手くいきそうなら大々的にベルクの農業に応用できないかなあとは思いますが」
「そりゃ要研究だな。ベルクは港町だし潮風が強い。土以外にも考えることが多そうだぜ。ここだって結界が張ってあるからな」
「ふむ」
イースイルが考えるような仕草をする。その姿すら絵になるような妖精らしい美男ぶりに、ロズは密かに嘆息した。
彼も彼で色々と事情を抱える男だが、妖精族の高貴な生まれのわりには妙に性根が逞しいので気は合う。貴族の中では浮いたところのあるロズにとっては相性がいいというか、一生を共に過ごすにはぴったりの相手であることには間違いない。政務においてもロズの気の回らないところまでフォローを入れてくれる彼は、名実ともにロズのパートナーである。
それはともかくとして、ロズにもやるべきことがある。いつまでもこの場で夫を見ているわけにもいかないので、一声かけておく。
「今からちょいと工房に籠るぜ」
「魔術品制作? この前もオースリー伯爵に何か作っていましたよね」
「水の上を歩ける靴と燃えないグローブ、あと飛べるマントセットにしてやったらわりと反応良かった。まあそれはともかく、今度は害獣殺しにちょうどいいのを用意しないといけない」
害獣狩りは戦士である魔界貴族の義務でもある。いくら素性を隠しているというポーズをとっても、害獣狩りで名を馳せたそよ風の魔女であるロズがそれから逃げるわけにはいかない。
海の害獣を殺すには、いつもの銃弾では少々不足する。水を貫くことはできるが、暴れる怪物を抑え込むにはもう一工夫必要だ。航海に慣れた者たちでも対処しきれないような害獣となると、周到に準備しなければ。
「根を詰めすぎないようにしてくださいね」
「ん」
イースイルに労われて、ロズは肩を竦めつつ、自室へと籠った。妖精混じりであるロズは、魔術品の制作を極めることで魔界貴族としての立場を守っている。この部屋はそのための工房だ。最近は魔術品の素材になるものを整理するために新しく棚を作ったが、これがなかなかものを片付けておくのに便利だ。
さて、魔術品制作というのは、完全に一から作ることもあるが、元からある道具を改造したものも魔術品と呼ぶ。魔術の系統としては錬金術の応用になる。ロズの場合、前世の経験を記憶していることもあって、道具の構造に理解があるので手を加えやすい――それが魔術品の職人への道を開いたわけだが、ともかく、科学の知識と魔術の知識の両方に理解のあるロズはまさに魔術品制作における天才なのである。妖精交じりであるがゆえに、魔王を輩出するほどの血筋に生まれながら魔族としては並の力しか出せないが、魔術品を作って自らの能力を増幅すれば一流の魔術師そのものとなれるのだ。知恵と工夫こそ、魔女の腕の見せ所である。
「相手は害獣、それも海の相手か。陸の生き物じゃねえってことはちょいと俺たちのほうが不利かね」
ロズの魔術が籠った風の弾丸は、撃ち出される際に弾に仕込まれた魔術式と封じ込められた魔力によって周囲を切り裂く風を生み出しながら敵を追尾する兵器である。地上においてはそれで事足りるが、海の中の相手となれば、弾を撃ったときに充分な破壊力が発揮できない可能性がある。たとえ光が屈折する水中のものを狙っても追尾するから外しはしないが、海水の抵抗で弱まってしまえば、いくら魔術品といえど怪物を破壊できない。
だからといって、水の抵抗をものともしないような貫通力を持つ弾丸を使うのにも難はある。元々破壊力のある、つまり反動の大きくなるような弾を使っているのを、さらに強化しようとするとまともに撃てない。少なくとも愛用のリボルバーには限界というものがある。ライフルを使えばいい話かもしれないが、それはそれでロズの好みではないので却下だ。
「――とすれば……銃弾っていうか、網がいるかな」
捕まえて押さえつけるには、魔力の糸を編んだ網があればいい。着弾したら広がる網だ。それで動きを抑えられる。そういう道具があれば話は楽だろう。
だったら、とロズは棚の引き出しを開けて、シルクスパイダーの蜘蛛糸の束を取りだした。蜘蛛の糸とはいっても、その手触りは絹糸のように滑らかだ。前世の地球にも蜘蛛糸シルクの技術は研究されていたが、この世界では当たり前のように自然界に存在している。魔力が馴染みやすい特殊な糸だ。
今日買いこんできた素材の中から緑色をした石を掴んで魔力を籠めると、それはどろりと液状になってロズの手の中から零れる。その石の液を蜘蛛糸に絡めながら、さらに魔力を注ぐ。やがて糸に絡みついた液が馴染むと、それを魔術式を刻みつけた鉄鍋に入れてコンロで火にかける。文明の利器というのは本当に便利で、魔術の工程もこれで充分だ。暫くすると注いだ魔力によって勝手に編み上がっていくのだから魔術というのは面白い。
網を制作する片手間に、買いこんできたハーブを調合して毒を作る。魔女に毒は付き物だ。魔術品制作においては初歩の初歩だが、魔力を人為的に注ぐことで成分が変質するハーブはいくつかある。そういったものを混ぜ合わせて、巨体の害獣相手にも通用するような神経毒を作り上げる。暴れる相手で一撃で殺せる自信がない相手なら、こういうものを用意しておくのが一番良い。扱いには注意が必要だが、どうせ今回の害獣退治では他の誰かに触らせるつもりはない。
武器は銃だけでは威力が心もとない。買ってきた様々な色の石たちは手を加えれば充分使える爆弾に変わる――それで対策は問題ないだろう。
時間はかかる。だが、そのひと手間でロズは完成された魔女になれる。
作業に集中し始めると、最早時間のことなど忘れて没頭してしまう。途中、メイドのミミが入ってきて紅茶を置いていったが、きりのいいところまでと思いながら続けていたら、気がついたころには温かかった紅茶はすっかり冷めてしまっていた。
折角淹れてもらって悪いことをしたと思いつつ、冷えた紅茶を呷る。そのときようやく空腹を自覚して、ロズは城の料理人に軽食を頼んで部屋に戻った。今晩のうちに全て終わらせてしまいたい。害獣退治を早くするためには、準備も早く整えなければならない。道具も計画も念入りにしてこそ戦えるのだから。
◆◆◆
エーク・ゼルズはその晩、マダム・ヴィオレとの対話を思いだして、試しに魔術をやってみようという気分になっていた。
魔術を使うには魔力を吐きだすようなイメージが必要だという。エークもそれは容易くできる。単純なイメージなら何の支障もない――蝋燭に点す火を作るくらいのことは朝飯前というものだ。
魔力の豊かな魔族ほど、人らしい姿からかけ離れていくという。エークに角があるように、魔王と呼ばれるような人には羽が生えていたり、優秀な魔族の戦士は尻尾があったり腕が異形であったりする。それを巧妙に隠して一般人を装っている者もいるけれども、エークのようにいっそ重たいくらいの角を持っているような場合は隠しようもない。
エーク自身はそれを何とも思わないが、父はそれで苦労をした経験があるらしい。外国では人間しか暮らしていないような土地もあって、魔族を見慣れない連中は異質な姿をしているものを恐れるのだという。だからビジネスの相手はよく見極めろといわれるのだが、そんなことはエークにとってはまだまだ未来の話で一切実感も何もない。
外見では不利となっても、魔術が使えればそれだけで航海においては役に立つ――そういうことはマダム・ヴィオレが色々説明してくれたが、将来的にどうなるにせよ、魔術を使えて損はないのだろう。戦うことに使えるほどの人は優れた魔術師でも滅多にいないというが、マダム・ヴィオレの魔女として堂々としている姿を見ると、どうにも憧れる。元々やる気があるほうではなかったが、試しに、そういうものに手を出すのには良いかもしれない――そう思ったのだ。
魔力を吐きだすように息を吐くと、溜息が熱を持って形を成す。純粋な魔力そのものが集まり、凝縮されて、小さな鼠となって鳴いた。それはすぐに霧散して消えてしまったが、恐らくこれを極めると使い魔として使えるようになるのだろう。だいぶ前に本で読んだ覚えがある。
「でもめっちゃ疲れるぞこれ!」
魔術はやっぱり面倒くさい、とエークが思わず叫ぶと「静かになさい、今何時だと思ってるの」と母から叱責を受けた。確かに夜に騒ぎすぎるのはあまりよろしくない。
「……マダム・ヴィオレは魔術品を使うって言ってたけど」
彼女の魔術を間近で見たことはまだない。彼女が作ったという魔術品は見たことがあるが、具体的な魔術式までは知らない。
「マダム・ヴィオレの魔術を見たら、僕も何かわかるかな……?」
父が依頼した害獣退治で、彼女は彼女の魔術を使うはずだ。それを間近で見られたら、エークの魔術のヒントになるかもしれない。
危険な仕事になるに違いないから、エークは真正面から頼み込んでも連れていってもらえない可能性が高い。だが、折角の機会をみすみす逃したくはない。
どうにかしてついていく方法はないものか、とエークは思案して、ひとつ思いついた――勝手についていけばいいではないか、と。
どうせ許されないのなら、許しを得ようと考えるのは無駄だ。ばれなければどうということはないのだから、荷物に紛れて自分も乗船してしまおう。そうすれば、近いところでマダム・ヴィオレの魔術を覗ける。
エークは自らの“素敵な思いつき”のため、準備をすることに決めた。思い立ったが吉日である。




