臆病風には吹かれない1
「船が帰ってきたぞー!」
白い帆を掲げた大きな商船が悠々と港へ入ってくる。レテノアにはない、新しい乗り物や道具が沢山積まれているのだろうそれの姿を見つけて、エーク・ゼルズ少年は目を輝かせて桟橋へ駆け寄った。
優美な商船には、故バルテルミー公妃ロザリンデの名が刻まれている。船員たちが積荷を下ろす中、フリルがあしらわれた豪奢なコートを着た男が混ざって彼らを指揮している。エークは彼の姿を見つけて大きく手を振った。
「パパ!」
コートの男は、息子の姿を見つけると大きく腕を広げた。エークがめいっぱい助走をつけて飛び込むと、その勢いで二人ともよろめいた。
「おおっと、ははは、何か月ぶりになるかなあ! 随分と、逞しくなったもんだ」
「まだたった二か月と一週間しか経ってないよパパ。たかが二か月で何も変わらないよ」
「もう二か月だぞ。二か月もあれば色々ある。パパの土産話も沢山あるぞ?」
何から話そうかなあ、と楽しそうな笑顔を見せて、男は息子を抱きあげた。
潮の匂いに満ちた港に、太陽の光が差していた。積荷の木箱には、ゼルズ商会の焼き印がある。
◆◆◆
レテノア魔界において最大の貿易港を持つのがベルク領である。先代のベルク公爵ソリエス・バルテルミーが城壁を築いて港を作ったのだ。彼は経済の巡りを重視していたのか商人たちを保護するような政策をとり、彼の娘ロズ・バルテルミーが後を継いだ今もベルクは交易の都市として栄えている。
ゼルズ商会はベルクでは一番の貿易商である。レテノアの古来の魔術品ばかりでなく、外国の新しい科学技術が生活に取り入れられるようになったのは、ゼルズの船が各地からさまざまなものを輸入してきたからだが、それに対してソリエスやロズが強く興味を示したことが大きい。領主が大々的にそれを推奨すれば、領民もそれに倣うのである。
エーク・ゼルズはそんなゼルズ商会会長の一人息子であり、いわゆるところの御曹司である。歴史ある魔族の家系の生まれということもあり、エークにはヤギのような角がある。人とかけ離れた怪物のような変質は魔族として才能があることそのものであり誇らしいことだが、普段ベルクの街で最新のマウンテンバイクを乗り回す本人にその自覚はまるでない。ただ、世界中を飛び回ってほとんど帰らない父が帰ったときには何かと色々買い与えてくれるため、よその家より金があることだけはわかっている。
父が帰ってから一週間、もうしばらくはベルクで過ごす予定らしい。しばらくはうちが賑やかだと思いながら、父が持ち帰った土産の最新式一眼レフカメラを友達に自慢したり、母が作りすぎたレモンパイを近所に配りまわって帰ってきたその日、エークは家の前に黒いバイクが停めてあるのに気が付いた。
見覚えのあるバイクだった――というより、艶やかな黒いカウルのバイクは一台しか見たことがない。バイクを持っている人は稀にいるけれど、大抵は燃料となるガソリンの確保が難しいため、まだまだ流通量は多くないのだ。エークはこのバイクの持ち主を知っている。
果たして予想のとおりに、エークが応接間のドアを開けるとその人はいた。
「マダム・ヴィオレ! こんちは!」
「こら、エーク、失礼だぞ」
父に咎められるが、その人はからりと笑った。
「俺は気にしないよ。ようエーク、元気そうだな」
革のジャケットを着た、すらりとした肢体の若い女。髪は短めに整えられているが、さらりとした黒髪で、瞳は翡翠のように周囲の光を取り込んで煌めいている。口調こそ荒っぽいが、その姿は美しい。
マダム・ヴィオレ――それが彼女を指す呼び名だ。果たしてそれが本名かどうかすら謎だが、ゼルズ商会にとっては大事な上客であることは確かだ。新しいものが好きな彼女は、ゼルズ商会が海外から輸入してくるあれこれを真っ先に買ってくれる。魔術品を作るのが得意な魔女で、それを活かしてベルクを拠点に冒険者をしているらしい――というのがエークの知っているマダム・ヴィオレである。何でも彼女の親もエークの父の客だったという話だから相当に深い付き合いだ。
しかしエークは彼女の顔を見て違和感を覚えた。左目を眼帯で隠しているのだ。
「マダム・ヴィオレ、その目、怪我したの?」
そう話しかけると彼女はエークに向かってにいと笑った。どこかあくどい彼女の笑みは、されどいつだって親しみを感じさせた。
「ちょいとドジを踏んだのさ。まあ冒険者なんてやってるとそういうこともある」
「ふうん……でもその眼帯イカしてるね」
「おうもっと褒めろ」
エークが傍へ寄ると、彼女はエークの柔らかな髪をくしゃりと撫でた。
「相変わらず立派な角持ちだ。すっげえ撫でにくい。ちゃんと魔術の勉強してるか〜?」
「魔術式難しいから覚えたくない。何の役に立つの」
「何だってできるさ。風で船を進めたり、重いものを簡単に持ち上げたり、結構便利なもんだぞ。お前なら頑張れば一流の魔術師にだってなれるはずだ。まあ、魔力もちのお前なら勉強しなくたってある程度自然と理解できるようになるだろうけど」
一流の魔術師――そう言われると悪い気はしない。マダム・ヴィオレがエークに嘘を吹き込んで得をすることもないのだから、恐らくは本当のことなのだ。魔術で他の誰もできないことができるようになったなら、それはきっと素晴らしいことだ。今のエークにできることといったら、せいぜい蝋燭に火を点す程度のことだが。
「エーク、父さんたちは今ちょっと大事な話をしているんだ」
「え、何それ僕はハブかよ」
「ゼルズ、別に俺は構わんぜ。どこまで話したんだったか、そうだ、害獣の話か」
マダム・ヴィオレの援護を得て、エークは堂々と話に混ざることにして部屋のソファに座った。父が溜息をつくのも気にしない。遠慮しないのは子供の特権である。
「何、害獣出たの? 僕聞いてないよ」
「……お前はもっと新聞とかを読まないとな。海に害獣が出て、そのせいで船が出せないんだよ。外国からの船も入ってこられない」
「船が動かんのは困るな。ベルクの経済が滞る――つーか俺の頼んだ車も届かねーってことだろ。やばいな。対応は難しいのか?」
「これまでは数は多くともそれほど強いものは出なかったのですが、予想を超えた怪物でして……」
「腕の立つ用心棒を集めるのが間に合わないってか」
マダム・ヴィオレは難しい顔をした。どうにも深刻な事態のようだ――エークには具体的にどうというところまでは想像できなかったが、とにかく、まずいことが起きているのは間違いない。
「大変ご迷惑をおかけします」
「いや――こればっかりはしょうがねえ。だが早いとこ対処しないとな」
「マダム・ヴィオレ……?」
エークが彼女を見上げると、真剣な目つきでありながら、口許が少し釣り上がっているようだった――笑っている。美しい顔をして、彼女は笑っている。
「その害獣退治、俺がやる」
「あ、あなたの御手を煩わせるほどのことでは」
「いーや、俺がやるよゼルズ。足りねえもんは今あるもので補うもんだ。害獣の仕留め方なら俺はよく知ってる――こういうのは、俺の義務ってやつじゃないか」
冒険者であるマダム・ヴィオレに害獣退治を頼むのに、父は何故そう焦ったような様子なのだろう。いくら上客といえど、彼女の生業ではないか。不可解に感じるエークだったが、害獣退治を引き受けると言ったマダム・ヴィオレの顔つきは、間違いなく冒険者らしいと思った。
◆◆◆
害獣退治の準備のために、マダム・ヴィオレは魔術品を用意すると言って、あれこれと市場を見て回っていた。船が止まっている影響で、普段と比べるとあまり賑わってはいないが、それでも山で採れるものくらいはある。
エークはそれにくっついてきた。ゼルズ商会のために手伝ってもらうのだからと、荷物持ち要員として父に送り出されたのだが、この美しい冒険者に対する興味も確かにあった。
一緒に歩くだけで、自然と視線を集める。マダム・ヴィオレは妖精の血を引くとの噂があるが、それに違わぬ美しさがあると、子供のエークですら思う。ただ、それがテレビで見るような妖精の王族たちのような淑やかさがあるかといわれれば、全くそんなことはないのだが。どうにもこの美人の魔女は目つきはきついし、歩き方さえがさつである。
「エスコートの練習になるだろ?」
彼女はそう言って笑った。確かに練習にはなるが、恐らく周りからはエークがエスコートしているようには見えないのだろう。せいぜい舎弟が連れまわされているという程度に違いない。そもそもマダム・ヴィオレに大人しさも何もないので、エスコートという言葉がまず彼女に似合っていないのだから。
「ねーえーマダム・ヴィオレ。こんなの何に使うのさー」
大量に買いこんだ薬草やくすんだ色をした石は、魔術市場に出回っているものだ。魔術のために必要な道具には違いないはずだが、見た目にはがらくた同然である。
「俺の武器を調整するのに使えるのさ。魔術品ってのは細かい作業が多くなるが、作ってると楽しいもんだぜ」
「へえ。それって僕でもできる?」
「魔術のことがもっとわかるようになれば簡単だぜ」
「うへあ」
「エーク坊やは魔術の何がわからないんだ」
マダム・ヴィオレに問いかけられて、エークは返事に詰まった。何がわからないと言われて、どこがわからないと答えられるほど、そもそも理解していない。
そのことが伝わったのか、マダム・ヴィオレは「オーケー、答えなくていい」と打ち切った。
色々な店を回って、最後に何かの粉末を買って、マダム・ヴィオレの買い物は終了した。行く先々で、マダム・ヴィオレを丁重に扱う店の主人たちを見て、改めて彼女が影響力を持つ存在なのだとわかった。彼女が集めたのは見れば見るほど謎の道具たちだが、彼女はこれを魔術品に作り替える。
「マダム・ヴィオレって冒険者なんだよね」
「――ああ、そうだな。それがどうした?」
「冒険者って戦うばっかりなイメージあるけど、マダム・ヴィオレは武器とか自分で作っちゃうんだね」
「作るって言っても、元からあるものを使いやすいようにカスタマイズしてるだけだがな。ま、そういうのは冒険者っていうか、そもそもの魔女の仕事って感じかね」
「ふうん。儲かる?」
「まあまあそれなりにな。いい仕事にありつければな」
それなりに、という彼女だが、そういうわりには金の使い方が豪快なようにも思える。一冒険者というには羽振りがよすぎるし、魔女ということを考えても父や他の商人たちの彼女に対する態度は、他の魔術師たちに対するそれとは違っているような気がしている。
「……冒険者って政治のこととか気にしてるの?」
「うん?」
「パパといつも難しい話してるし……政治とか経済とか、冒険者にも関係ある話なの?」
「――そう、だな。関係なくもないぜ。経済ってのは金の動きだ。金が動かなきゃ俺だって食いっぱぐれる。こういう問題はさっさと解決するに限る」
彼女の言い分は、筋が通っているように聞こえる。だが、どうにも――そう、ただの冒険者にしては、視野が違っているようではないか。日々の生活より、もっと先のことまで考えているかのような。
この違和感は、一体何なのだろう。その答えを、エークはまだ知らない。




