敵に回してはならぬ2
城の庭園で、建物の影になっているところに隠れて、他に人の気配がないのを確認してから、ルクラスは身分違いの相手に恋をしていることを、色々と端折りながらだが語った。この場所ならベンチはあるが目立つことはあまりないし、人もわざわざ寄り付かない。
マルグレートはルクラスに恋を白状するよう強いたが、しかし、いざ打ち明けてみれば話の腰を折るようなこともせず、否定の言葉もなかった。結ばれない立場にある相手で、脈を感じてもいないと伝えれば「それでも想い続けるなんて、そんなに魅力的な方なんですね」と、馬鹿にするようでもなくただそう思ったというように言った。
――随分と話しやすい方だ。
ルクラスはアクラダと双子の兄弟として生まれ、しかし双子は忌み子であるというミュウスタットの風習によって死ななければならないはずだった。それを、故ヨルク・ガイストの養子として育てられ、アクラダに仕えるまでになった。出生に秘密がある以上、必然的に多くの人々に秘密を抱えながら生きているルクラスにとって、新鮮な体験であった。隣国のイースイルやロズは他国に生きる人だからこそ友人となったが、目の前にいるマルグレートはそうではない。まさか彼女に弱味を曝け出すことになるとは思ってもみなかったのに、それに嫌悪感を抱かずに話しているのが、ルクラス自身不思議なくらいだった。
「……本当は、壁は身分だけではないのです。相手はレテノアで暮らしていて、人間でもない」
「魔族? それとも妖精ですか」
「いえ、魔物です。猫の姿をしていて……」
「ね、猫……?」
「人の言葉を話すので意思疎通はできます。文通もしています」
「そう……驚いたけど、文化的な生活をしているお相手なのね。それならおかしな話でもないですね。恋というのは心でするのだもの」
マルグレートはひととおり話を聞いてから「あなたにも人間らしいところがあるんですね」と、今気が付いたというように目を細めた。
「……まるで私が人間ではないような言い方だ」
「だって、いつも仮面を被ってるし……私のところに聞こえてくるのはあなたがどれだけの人を殺したかって“活躍”ばかり。よくわからない人だったのに、随分とかわいい恋をしてるんだと思って。ちょっと変わっているけど」
「人の悩みになんという言い草ですか」
――今なんだかアクラダ陛下のような言い方をしてしまったかもしれない。
以前アクラダがやったのと同じように不服というポーズを取ってみせると、マルグレートのつぼに入ったのか、彼女はおかしそうに腹を抱えて大袈裟に笑った。
「ふふふ、やだ、ふふ……ごめんなさい、こんな風に笑ったらはしたないかしら」
「……今は私しかいませんから」
「ありがとう。あなたって意外と怖い人じゃないんですね」
ルクラスは秘密は多いが自分が怖いつもりは全くない。元々根がそれほど真面目だったり厳格だったりするつもりもなく、怖がられる理由がまるでわからなかった。自分はヨルクとは違うのだ。不服に思っているのを悟ったのか、マルグレートは「あなたは怖い人ですよ、世間的には」と言った。納得がいかないが、そういうものらしい。
「私はあなたのほうがよほど恐ろしい」
思ったときには口から滑りでていた。マルグレートは「心外です、そんな風に思ってたんですか」と唇を尖らせた。
「……マルグレート様は影響力のあるお人ですからね」
「アクラダさまの妻というだけのことですよ?」
「それだけで十分な理由だと思いますが」
何せ、皇帝の愛を射止めた娘である。実際には完全に恋愛結婚だったというわけでもなく、政略的な意味合いを強く含んだ婚姻ではあったが、それでもアクラダはマルグレートを気に入っている――そのことは彼の傍に仕えるルクラスはよく知っている。
マルグレートは若いけれど、教養のある娘である。数々の文学や音楽に触れ、芸術を愛している彼女は、良いものには報いがなければと言って、多くの芸術家たちを後援している。その中で彼女は好奇心旺盛に彼らと交流を深め、市井の様子を聞きだしており、深窓の令嬢でありながら情報通でもある。現状ではあまり政治に深入りはしていないけれど、世間のことをよく知っている彼女が国政に携わるようになるのはそう遠い話ではない。アクラダは妻の才に気が付いたら、それを放っておく人間ではない。
彼女自身のバイタリティも充分なものだがそれだけではない。彼女の実家であるカスキ・モンテスパン侯爵家といえばそれこそ帝都の名が幾度も変わるその前から続くといわれている旧家である。青き血が広げてきた人脈は広く、マルグレートが何か言えばそれだけで十分に影響があるものなのだ。だからこそ彼女はいつだって誰かから贈り物をされている――彼女に嫌われては、ミュウスタットで不利な立場になると誰もがわかっているのだ。たとえ彼女自身が何もしなくとも、モンテスパンの一族が黙っていない。
彼女が一言何か発言するだけでミュウスタットに変革が起こる。ルクラスとてその影響を避けることはできない。そういった意味では、たとえ力のないか弱い乙女であろうと、彼女は恐れるべき相手であった。
マルグレートは一つ考えるように唇に指をあてた。そして面白そうに言った。
「皇帝の懐刀と呼ばれたあなたに恐れられるのなら、私もそれなりにちゃんとしているように見える、ということですね。わざわざ無駄に重たいドレスを着ているだけのことはあったわ」
自分の影響力について、わかっていない顔ではなかった。そういうところがまた、ルクラスにとっては侮れないと感じる部分である。
「そう硬くならずともいいのに」
「しかし……」
「私からすれば、あなたがそこまで恐れる理由がわかりませんよ。アクラダさまのお気に入りの騎士、誰よりもアクラダさまに影響している人なのに」
「……私が?」
「そうです。アクラダさまから何度も聞いています。ルクラスは幼い頃からアクラダさまの命を助け、進む道を切り開いてきたんだって」
とっても楽しそうにお話しなさるから私もすっかりあなたの武勇伝を覚えてしまったくらいです――マルグレートが言うことを理解するのに、ルクラスは僅かに時間がかかった。アクラダからそれなりに重用されて、相応に扱われているとは思っていたが、それほど褒められていたとは予想の範囲外であった。覚えている限りでは、子供の頃にアクラダを暗殺者から守ってやったり、毒を盛られた盃を代わりに呑んでやったり、命令どおりに敵を殲滅してきたくらいのものだが――それくらいは彼の傍に仕える騎士ならば誰でもやっているようなことのはずだが、何がアクラダの琴線に触れたのか、今一つぴんとこないところがある。亡きヨルクが、父親としてはともかく皇帝に仕える軍人としては良き師だったこともあって武術には自信があるが、それも全く替えのきかないものでもないというのに。世の中には若く逞しい戦士が山といる。
だが、マルグレートが語るアクラダはそういうことを考えてはいないようだった。
「あの人、あなたの活躍を聞くと鳥かごの金糸雀にまで話しかけているんですよ。知らなかった?」
冗談っぽく笑っているが、アクラダの性格を考えると、その様子は容易に想像がついた。あの皇帝は案外茶目っ気がある。昔からそうだった。アクラダはルクラスの秘密を一つも知らないけれど、ルクラスはアクラダのことをずっと知っている。
「私はあなたが女じゃなくてよかったと思っています。あなたみたいなライバル、蹴落とすのが大変そうですから」
「……はあ」
マルグレートは花のつぼみのような唇で笑んでいた。幼さの抜けきっていないような、無邪気さを感じさせる笑顔だった。アクラダはこの毒気を感じさせない笑い方に惹かれているのだろうか――それにしては言っていることにはちらほらと毒が混ざっている気がしなくもないが。
「マルグレート様はあまり――その、人前で取り繕うことをしないのですね」
「ふふ、あなたに取り繕ってどうなるっていうんですか。楽しくもないし、疲れるだけで何も変わらないわ」
「確かに何も変わりませんね」
「でしょう。私、無意味なことはしないんですよ」
毒がないわけではないが、しかし、さっぱりとした会話は気分がよかった。マルグレートは嫌味を感じさせない。他の誰かが言うときついように感じられることを言ったとしても、愛嬌のある顔立ちがそれを打ち消してくれるのだ。皇妃として、多くの責任を背負う皇帝の隣に立つには、彼女のような人物がちょうどいいのかもしれなかった。
「あなたの恋のお話興味深いわ。でも、そんなに想っているに攫おうとは思わないんですね」
「……それは、難しいことですよ。何より彼女がそれを望んでいませんから――嫌われて悲しい顔をさせるよりは、幸せでいてほしいと思うのです」
ミミを攫ってロズを始めとしたレテノア魔界を敵に回したくはない、という思惑については黙ったままでいた。ミミはロズのお気に入りのメイドで、ロズはかの烈風魔王の姪であり、現魔王クロヴィスの従妹でもある。そんな相手に喧嘩を売るような真似は、ミュウスタットを思えばできるはずもない。そんな事情を知らないマルグレートは「それがあなたの愛し方なのね」と言った。
「確かに魔物なら……ミュウスタットに来たら苦労ばかりしそうです。周りは人間ばかりで、魔術もないし、奇異の目で見られるだけ。たとえ結ばれたところで、誰が夫婦の姿と見るでしょう」
「ええ――そうなるでしょうね」
「でも、それって本当は寂しいことだわ。この現代に、誰かと愛し合うことすらままならないなんて。確かに見た目は違うけど、同じ言葉を話して思いを共有できる存在なのに」
「……まだ、私の一方的な恋煩いですよ」
「あら、まだってことは、ただ諦めるわけでもないのですね」
「想うことすら許されないわけではありませんから」
マルグレートはそれを聞いて満足げな顔をした。何故そのような反応をされるのか、ルクラスにはてんでわからないが、マルグレートには満足のいく何かだったらしい。どう思っているのかさっぱりわからないところはアクラダと似ている。夫婦は似るものなのだろうか。歳は離れているけれど。
「今日はいい話を聞きました」
「黙っておいてくださいね」
「勿論。約束は守ります――私たちだけの内緒のお話、そうでしょ?」
「アクラダ陛下にも秘密ですよ」
「わかってます。私たちはばったり出会ってなんかないし、庭でお話もしていません」
ふふふ、と笑ってマルグレートはベンチから立ちあがった。一足早く城の中へ戻ろうとして、しかし一度立ち止まって振り返った。
「そういえば、ゆっくりお話していて気が付いたけど、あなたって、アクラダさまとお声が似ていますね」
ルクラスは、一瞬、時が止まったような気分がした。本当に彼女ときたら、ルクラスの暴かれたくない部分ばかり目ざとく見つけてくる。
「前に、アクラダさまが仰っていました。本当は生き別れの兄弟がいて、ずっと探しているけど、見つからないままだと。まさか、あなた――」
ルクラスは仮面を被ったまま、何でもない風を装って押し切ることに決めた。
「偶然ですよ」
「偶然かしら」
「偶然です」
「アクラダさまはあなたに兄弟を重ねているみたい」
「……偶然、歳が近いだけです」
「わかりました。そういうことにしておきます」
「どうも」
ルクラスが会釈をする。マルグレートは「お互いさまということにしましょう」と言った。
「お互い陛下の傍にいる者として立場は違えど同志のようなものです。仲良くしましょ」
「ええ、ぜひとも。今度サロンにでも招いていただけたら嬉しいですよ。文芸に興味があるもので」
「あら、それだったらきっと楽しくて有意義な時間を過ごせますよ。次はあなたもお呼びしますね」
楽しみです、と言ってマルグレートは去った。ルクラスは大きく息をついた。
そろそろ貰った手紙の返事を出さなければならないな、とふと思う。いつも手紙というのは大切に読んで、じっくりと返事を考えるから、大抵返すのが遅くなる。早く手をつけないと遅れる一方だ。
その日、城から家へ戻ると、ルクラスは早速便箋に手をつけた。いつものように挨拶から始まり、日常のことを何か書こうと、進まない筆で無理矢理書き進める。伝えたいことがありすぎて、何から書いても支離滅裂になってしまいそうなそれを、毎度ひどいものだと思いながら送るのだが、律儀に返事をしてくれるミミやロズは随分と筆まめなものである。
やるべきことは他にも多くあるのだが、個人的な手紙を書くというのは随分と息抜きらしい息抜きになった。その中でマルグレートとの対話を思い出し、ルクラスはミミへの手紙の結びに「きみを攫ってしまいたい」と書き足した。それから一度手紙を読み返して、最後の一文をインクで汚して消した。それを書くだけの自信、度量はルクラスにはなかった。
マルグレートが次に開くサロンでは、恋文の書き方を学ばなければならないな、とルクラスは汚れた手紙をくしゃくしゃに丸めながら思った。紙屑はゴミ箱へ。かさりと音を立てて、それは底へ落ちていった。
ルクラスは新しい便箋に、改めて日常を綴った。それから、結びの言葉には「きみを幸せにする誰かが現れるように」と書いて、封筒に想いを閉じ込めた。
外伝第一弾『敵に回してはならぬ』でした。
皇帝アクラダは妻や腹心が色々秘密を抱えていることを知らないという話。そして秘密を抱える者同士は、結構仲が良いのでした。男女の仲ではないですが、なんというか友人的な。恋バナ。
敵に回してはならないのは、ルクラスにとってアクラダやマルグレートであり、ルクラスの愛するミュウスタットにとってレテノアであり。ルクラスは恋心より、自分や国の利益を計算しちゃうことがままある。




