エピローグ2
魔界においても、やることは沢山あった。烈風魔王の死後、息子であるクロヴィスが魔王の座につき、ようやく落ち着きを見せてきてはいるものの、未だ魔界も問題をいくつか抱えたままになっている。元々魔王の座を狙っていた者が反抗の様子を見せれば鎮圧しなければならなかったし、クロヴィスがマリウスの記憶を抱えたことでミュウスタットとの外交においては必然的に重要な存在として立ち会わなければならないようになった。ゲリア事変では多くの同胞が国のため、魔界のために血を流し、その後始末もある。パレイゼが王となったことで、その親族であるシャルロッテを魔界に迎えている手前、妖精との関係もより親密で慎重なものにしていかなければならなかった。
忙しいのはクロヴィスだけではない。ロズもまた、イースイルをきっかけにゲリア事変に深く関わることとなったため、妖精側から事情聴取されることとなったり、ミュウスタット人のルクラス・ガイストとの協定もあって何かとあちこちに呼ばれたりと、なかなか自由がきかないのだった。ベルク領主としての領地経営の面でも指図することが多く、騒がしくも賑やかな日々を過ごしている。
この日もロズはイースイルに手伝わせながら、ベルク城の執務室で書類と睨み合いをしていた。そこへメイドのミミが訪れて、ロズに新聞を手渡した。見出しには号外とある。
「何でもミルディア王女が行方不明になったんですって」
「は?」
「護送中に雷が落ちて馬車が事故を起こしたそうで……そこに乗っていたはずのミルディア王女の姿がないんだとか。現在捜索の真っ最中だそうですの」
「あの日はひどい嵐でしたが、ミルディアは生きているのでしょうか」
「さあな。たとえ生きてたとしても、あんな面倒くさい事件はもうごめんだぜ――なんか真面目に対策考えたほうがいいんだろうか。どう思うイース?」
「ミルディアの生死はともかく、治安維持に努めるのは大切なことです。ベルクの場合で言うのなら、此処は港町で、外国からの人の出入りも激しい。人の流れがあるのは活気づいて良いことですが、それを損なわない程度には、悪いものが入りこまないよう気を配らないといけませんね」
「だよなあ」
「そういったことは現場の警備をしている魔族たちに聞くのが良いのではありませんか。こちらから一方的にあれをやれこれをやれと言うよりは、ノウハウがある彼らの顔を立てて、意見を尊重しながら上手く転がさなくては」
「……イースイル様、あなた本当に王子でしたのね。今凄く上に立つ者として教育されたというようなことを仰いましたの」
「褒め言葉として受け取っていいのかな……?」
ミミは「お好きなようにどうぞ」と言って退室した。困惑するイースイルに対して、ロズは苦笑しながら言った。
「許してやってくれよ、あいつあれであんたのこと身内と思ってるんだぜ」
「身内ですか……」
「俺の夫だと思ってるって話だ。別に嫌ってるわけでもないんだが、たぶん接し方に悩んでいるとみた。イースのことは全く教えてなかったわけじゃないが、出会った頃と今じゃあんたの立場も変わったからな」
元々は、少なくともベルク城においてはイースイルはロズの招いた旅人という素性の怪しい存在だった。それが今では王子ということを堂々と名乗れる状況となったのだ。彼自身は王位継承権を放棄しているが、王族の出身であることに変わりはない。
本当な貴い血筋であるということはミミにも知らせてはいたが、それが実感を伴うようになったのはゲリア事変が終わってからなのだろう。ミミは姉妹のように育ったロズの恋人であり、しかし妖精の王子でもあったイースイルとの距離を測りかねているのである。
「生意気なメイドがいると嫌か?」
「まさか。ロズさんを大事に思う仲間だ」
ロズの傍にいるうえでは好敵手のようでもあったが、その点についてはイースイルは沈黙を貫いた。代わりにロズの左側から彼女に寄り添って、「あなたには支えになるものが必要だ」と囁いた。
ロズの左目はイースイルの涙によって傷を塞がれたが、視力が戻ることはなかった。それはロズ自身が自らの魔力で無理矢理傷を塞いでいたことや、涙を受けるまでに時間が経過していたことも原因で、妖精の涙でも完全には修復されなかったのだ。
今のロズは醜い傷跡となった左目を隠すように、黒い眼帯をつけている。妖精の血を引く美しい顔に眼帯があるのは、少しばかり厳つい印象を与えた。普段から黒い革のジャケットなんかを着ているから、違和感があるかと言われればそこまでではないけれど。
「ほんとに予言どおりになったな。剣を取って、剣によって世界の半分を失う」
ラドルフと対峙して、ロズは剣を取った。そしてラドルフの剣に斬られることになり、視界に映る世界は半分になった。全くもって予言のとおりだ。
見える世界が変わったことは、ロズの生活にもそれなりに影響している。たった半分が見えないだけで感覚は随分違った。時折ものの距離感を上手く掴めなかったり、気配を察知しにくかったりするのだ。この状態に慣れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだった。
「やることいっぱいあるってのに、目のことなんかで躓いてられねえんだけどな」
ベルク領の経営は勿論のこと、クロヴィスを手伝って魔界全体のことにも気を配らなければならない。さらにミュウスタットとの同盟については、ロズもルクラスという繋がりを持っている以上それなりに話が聞こえてくる。個人的な文通においてはルクラスは楽しくやっているようだが、彼のほうもマリウスのことで後始末に追われているのは違いない話だった。ロズも上手く立ち回らなければならないと思うと気が重い。
「そういやオッさんに作ってやるって約束した魔術品もそろそろちゃんと手をつけねーとなあ……あんまり遅くなるとイロつけてやらなきゃ機嫌悪くするし」
「やることが沢山だ。私に手伝えることがあれば何でも言ってくださいね」
「おう、ぜひとも手を貸してもらう」
一人で全て背負うなんて無理、とロズは手を振った。平凡だった前世のことを思えば、今の貴族という立場そのものが意味が分からないほど重責なのだ。それでも、手助けしてくれる仲間がいるからこそ、なんとかやっている。
イースイルはロズの傍にいる。当初の約束どおり、恋人として、全てが落ち着いたら結婚する予定である。ただしその意味は、最初の頃とは違って、本当に恋愛らしいものに変わった。イースイルが何も持っていないとはいっても王族である。これから先の未来に妖精の王族との縁ができるだとか、魔界を守っていくために有益であるとか、そういった側面がなくなったわけではないが――全く心のない不健全な契約ではなくなったので良かったのだろうか。
思えば不思議な縁だった。たまたま害獣狩りに行った先で命を救った男が行方不明の王子だった。それも、ロズと同じように前世の記憶などというわけのわからないものを抱えて生きていた。偶然にしてはできすぎたあの出会いは、正しく運命そのものだったのだろう。真っ当に王子をしていた頃に持っていたものを全て無くしても、イースイルは戦争を避けたいと国のために戻ってきて、何もないながらにロズや魔界に訴えかけて、動かした。彼にあったものなど、せいぜいが妖精の王子として生まれた証の羽の痣、それからしぶとさくらいのものだ。そして、彼が何も持っていなかったからこそ、ロズは彼と結ばれることができる。妖精が純血の妖精を王に選ぶ風習をもつ以上、魔族と妖精の混血であるロズがイースイルにこれほど近づくことは、ありえなかったはずなのだから。
それから――あとは、予言をしてやったのだ。
ロズは彼を気に入って、彼が成人の儀式で予言を受けることができなかったのを知ったから、折角だからとそうした。伝統的なレテノアの魔術によって、ロズはイースイルの未来を覗き見た。彼は王になることはない。事実こうして王城に戻らず、ロズの傍にいる。そしてもう一つ、彼は願いを叶えるのだと知った。
ある意味で、その予言はロズを動かすのに一役買ったかもしれなかった。全ての望みが叶うわけではないということも知っていたが、彼が叶える望みがそう悪いものではないと漠然と信じていた。きっと良いほうに向かうと思えたからこそ、いっそうイースイルのために何も迷わずに行動できたのかもしれない。
奇妙な感慨深さからイースイルを眺めると、彼はその視線が気になったのか「どうかしました……?」と首を傾げた。
「あんたの望みはちゃんと叶ってんのかなあと思ってな」
イースイルは最初、ネビューリオを王にしたいと言っていた。だが現実はどうだ。ネビューリオは自分は王にはならないと言って、結婚したパレイゼを王に据えた。つまりイースイルの最初の望みは叶わなかったことになる。必ず一つは叶えられる彼の望みは、少なくとも最初のそれではなかったのだ。あるいは、ロズの予言が間違っていたか。
ロズの問いかけにイースイルはきょとんとした顔をした。予言のことを、今になってやっと思い出したというような顔だった。彼は少し考えるような仕草をして、それから「たぶん、きっと叶います」と綺麗に微笑んだ。
他にロズの知らない彼の望みがあるということか。ぱっとすぐに思い当たらず、ロズは想像を巡らせた。その間もイースイルは機嫌が良さそうな――幸せそうな笑みを向けてくるものだから、どうにもむず痒い。
「……イース?」
根負けして答えを促すと、イースイルはいよいよおかしそうに、堪えきれないといった様子でからりと笑った。
「な、なんだよ」
「私の本当の望みは、あなたと過ごすことだから」
叶えてくれるでしょう、と穏やかなテノールの声が言った。問いかけるようでいて、しかしロズが是と答えることを確信しているような言い方だった。それを妖精らしい美貌を存分に発揮したような、とろけるような顔で言うのだ――敵わない。ロズはイースイルに体重を預けるように寄りかかり、彼を見上げて目を細める。
「逃げたくなっても逃がさねえ」
「ロズさんの傍が私のいる場所です」
「言ったな」
これから先の何百年になるかわからない人生を共に過ごす。結婚は墓場とは言ったものだが、イースイルと入る墓なら悪いものでもなさそうだ。そして一度墓穴に落ちるなら、一人だけ這い上がらせてやるような優しさは、ロズは持ち合わせていない。一度捕まえたら最後、共に命が果てるまでだ。
イースイルがロズを労わるように、彼女の髪を手で梳き、黒髪がさらりと流れる。忙しいことは忙しいが、それにしても凪いだ気分だった。とりあえずは、危機は去ったのだ。それならば、全てなるようになるものだ。
「ちょっと休憩しよう――外の空気吸ってくる」
「それでは私も一緒に。ロズさんの御手を拝借」
「流石にそれは気障だぜ」
口ではそう言ったものの、ロズは素直にイースイルに手を預けた。
庭へ出ると、風は強くはなかったがひんやりと冷たかった。吐く息は白くなり、冬の気配がする。そう遠くないうちに雪が降るかもしれない。バイクにスノータイヤを履かせないと、とロズは自分の黒い愛車を思い浮かべた。ゲリアへ持っていったはいいが、結局活躍させてやることができなかったあのバイクに乗ってどこかへ行きたい。時間ができたら、イースイルと一緒に出掛けよう――どこでもいい、どこか遠くへ。遠くへ行けば、その分長く二人で過ごせるというものだ。
空気は冷えていたが、握った手は温かかった。互いに生きている熱を感じながら歩き出す。ただの散歩で、当てもなく。されど真っ直ぐ、迷いなく。
晴れ渡る冬の空は、雲一つない済んだ青だった。
Q.TSである必要あったか?
A.書きたかったから
姪御×王子、これにてひとまず完結でございます。長かったような思いのほか早かったような。
TS転生トリップという時点でひたすら人を選びそうな題材かつ競争の激しいジャンルで何故書いたかとそんなものは書きたかったからの一言に尽きるわけですが、これを書いている最中随分と執筆速度が上がったものだとよくわからない感慨深さがあります。元々一か月一更新を目標にしてたんですよ。どんだけ書いてんだよっていう。
この物語を書くにあたって、実は色々計算しながら書いていた部分が沢山あります。予言とか魔法とか、そういうファンタジーっぽい要素についてです。予言についてはわりとうまくやれたんじゃないかと思うのですがどうでしょうか。回避できない運命って浪漫がありません?
姪御×王子について補足いたしますと、拙作折れろ! 俺の死亡フラグと世界観を共有しております。また、ほぼ同じ時代でもあります。別の国なのでまるで違う世界観のようにも見えますが、実はちらほらと関連するワードがあるので、気が向いた方は探してみてくださったらとても嬉しい。
一応は完結ではありますが、今後引き続き外伝をお送りする予定であります。人気のあるキャラは贔屓していくスタイルなので、何かしら反応があれば反映されるかもしれないしされないかもしれません。
ご感想いつでもお待ちしております。
誤字脱字等ありましたらご一報ください。