エピローグ1
事件が一つの終わりを迎えたからといって、それで全てのことが何もかも解決するというわけではない。
血の惨状となったゲリア城にネビューリオが戻り、地下牢に囚われた貴族たちが開放されても、すぐには機能が回復するということはなかった。何せ城は壁や窓が破壊され、床には血が染みついているという悲惨な状況である。そこで政治をやる貴族たちも弱っており、とてもではないが正常とは言えなかった。ゲリア城が政治の場として完全に元通りになるまでに、さらに一ヶ月の時を要する。
イースイルの生存については、ネビューリオがそれを知った以上隠しておけるものでもなくなった。姉との争いを経て心に影が差していたネビューリオだったが、いざ死んだと思っていた兄と対面するといよいよ耐えきれず、兄と同じ色をした灰色がかった青の瞳に涙を滲ませて抱き着いた。
「お兄様っ……お兄様と、またお話できるときが来るなんて。ずっと……ずっと待っていました……!」
「リオ……私も、ずっとリオの顔を見たかった」
そう言って、イースイルも妹の背に手を回した。その様子を誰かが記者に流したのか、兄妹の再会は感動的なものとして大々的に報じられることとなった。イースイルの生存はレテノアに新たな混乱を生むかと思われた――が、予言によって王位を継がず二年間は身を隠すように言われたのだと公表されたことで一応は終息した。本当のイースイルの予言はロズが見たように「生涯王となることはない。だが心から望むことは一つは必ず叶えられる」というものだが、それについてはロズとイースイルしか知らないことなので、わざわざ表に出す必要もなかった。世間に必要なものは納得させる演出であって、真実ではないのである。
では誰が王位を継ぐのか――という話になるが、王代理を務めるネビューリオは自分ではないと言ってパレイゼを指名した。
「リオ様を差し置いて私が国王などと……そんな、恐れ多いことです」
辞退しようとしたパレイゼだったが、ネビューリオは王族の傍系であり純血の妖精であるパレイゼが王位を継ぐことに何の問題もないと主張した。
「しかしあなたという正統な王女がおりますのに」
「わたくしが王になったって、みんな目立たない小娘の言うことなんか聞かないと思うけれど。元々王族の血を引いているのなら、王の子に生まれなくとも王位を継げるものです。民のことを想うあなたなら……民のために知識を使えるあなたなら、国王に向いていると思うの。わたくしよりずっとね」
「リオ様……」
「わたくしが気にかかるというのなら、今すぐにでも結婚すればいいのです」
それなら誰からも文句の出ない立場となります、とネビューリオは言った。元々王族の傍系であり才能も充分にあるという時点で、優れた妖精を王に選ぶ風習のあるレテノアにおいてはパレイゼは充分王位を継ぐだけの素養は持っているのだ。先代国王からの信も厚かった彼が、その王女と結婚するとなれば、どれだけ粗を探してもこれといって叩くところがないのである。後は彼自身が、自らが王となるのだと認めればいい。
「パレイゼ、わたくしとあなたはどうせ結婚する約束だったのです。わたくしと結ばれれば王となるのは必然のこと。それが少しばかり、そう、たった二、三年ほど、早くなるだけです。――いや?」
ネビューリオがそう言って首を傾げて、パレイゼが嫌というはずがなかった。ネビューリオが成人になったら結婚するという約束を、ほんの僅かに早くするだけのことを、パレイゼが拒否する理由はどこにもない。
「ですが、本当に――リオ様こそ良いのですか。私を王にするなどと……私を、夫にして良いとお思いですか。元々親同士が決めた約束です。リオ様が望んだことでもなかったはず。人生は長い。今ならば別の誰かを選ぶこともできます」
「でも他の人を選ばなきゃいけない理由もないでしょう。表情のない男といわれているあなたが、わたくしのためには笑ったり、怒ったりしてくれる。それだけで充分だと思ったわ。それに望んでないとも言っていません。あなたがどう思ってるかは知らないけど、わたくしは最初からあなたのこと――」
「そこから先は私の言うべきことです」
パレイゼが、ネビューリオの口許に人差し指を添えて言った。膝を折って彼女と目線を合わせれば、彼女の灰色の瞳は鏡のように目の前の男を映した。
「ネビューリオ殿下」
「……はい」
「あなたらしいあなたを愛しています。どうかこの私を、生涯あなたのお傍においてください」
「……ふふ。これからわたくしの王様になるのに、謙虚なひと!」
ネビューリオは、菫のような可憐さで微笑んだ。パレイゼは彼女の手をとって、その甲に口づけた。
貴族たちもネビューリオの決定に異を唱えることはなく、霜が紅葉を枯葉に変える頃、二人の結婚式が執り行われることが決まった。かくしてパレイゼは「いずれ栄光を掴む」という予言を自らが王として即位するという栄光によって達成し、リード・フェルマ家は王を輩出した名門として未来に名を馳せるようになるのである。
ミルディア・グレネ・ラペイレットの処遇については、正式に裁判が行われた。ゲリアに大きな混乱をもたらした彼女の罪は軽くなく、とはいえ鉄道や飛空船といった技術の発展に対する貢献の評価もあった。ソリルリザートの民の嘆願もあって処刑は免れ、国境近くのテゾー山麓にある塔に幽閉されることが決まった。
彼女に連なるものたちについても事情聴取が進められている。特にマリウス・ウルズヴィヒトとの繋がりについては、魔王クロヴィスがマリウスの記憶を奪っていたこともあり、彼からミュウスタット帝国に伝えられた。今後こうした大事件を未然に防げるよう、また万が一発生した場合に互いに協力ができるようにと改めて協定が結ばれる予定である。
グレネ家についてはほとんどミルディアが仕切っていたものの、彼女に積極的に協力していた一族の者たちにも罪があるとされた。六百歳を超える一族の長に始まり、老いも若きも次々とグレネ一族の者たちが逮捕されると、残されたのは未だ五歳の誕生日も迎えていないミルディアの従甥だけであった。グレネ家のソリルリザート領ではミルディアの助命嘆願が出たほどで、グレネ家に対する大きな不満もなかった――そのため古くからある家を取り潰すわけにもいかず、幼い彼の後見をパレイゼが務めることとなった。他に適任らしい者がいなかったともいう。
新しいグレネ家の幼い当主は、何も知らない無邪気な顔をしていた。
◆◆◆
ミルディアを護送する一角獣が引く馬車は、静かにテゾー山麓を進んでいた。害獣が出やすいといわれているこの場所は、恐らくは地脈の影響があるのだろう――いくら狩っても、狩ったのと同じだけの魔物が怪物へと変貌を遂げる。
そのため豊穣の女神ゴーメーが祀られる神殿がある他は、人が寄りつくこともない。天候は優れず、空の雲は真っ黒で、雨足は強くなる一方だった。道中はその雨音以外は静寂そのもので、ミルディアは黙って馬車に揺られていた。
幽閉。政治の場から遠ざけられるということだ。ゲリア城の地下牢と比べれば随分とましな場所である。ただ、周りには何もない。それはある種の拷問にも等しい。考える脳を持っていながら、今後それを使うことはないのだ。生きていながら死んでいるような生活を、これから先長きにわたって、死ぬまで続けなければならないのだ。
未来への想像は、ひどくつまらないものに思えた。かといって、過去を振り返ったところで、これから先が変わるわけでもない。ゲリア城を去るときに少しだけ顔を見たネビューリオがミルディアを憐れむような目で見ていたことが印象深く記憶に焼き付いている。
妹は、他に比べようもなく、ただ美しかった。
腹違いの姉のことを、心から憐れんでいるかのような顔をして、ミルディアを乗せた馬車を見送ったネビューリオは、しかし結局ミルディアを許したわけでもないのだった。ミルディアが望みを叶えようとすれば、どうしようもなく相容れない存在であった。あらゆるものが、姉と妹で違っていた。ミルディアにとって宿敵ともいえるイースイルは、ネビューリオにとっては大事な味方であり、ミルディアにあるような苛烈さの代わりにネビューリオは王女として必要なものをしっかりと持っていた。
妬ましく、妹もまた殺すべき存在であったが、どうしてか最後まで憎み切ることができない妹だった。顔立ちはまるで違うのに、ネビューリオの慈悲がミルディアの母を思わせたのがいけなかった。グレネ妃が自分の娘だけに愛を注いだのと違って、ネビューリオは誰にでも愛を分け与えているけれど――果たしてネビューリオを殺せなかったことが幸福なことなのか、やはり不幸だったのか、ミルディアにはわからない。全身全霊をもって争ったイースイルはどうでもいいと思えるのに、ネビューリオだけは、どうやっても切り捨てられないものだった。そして、妹に甘さを見せてしまったからなのか、ミルディアは何もかも失った。
グレネ家はどうにか存続するらしいと聞いているが、それは最早ミルディアが仕切っていたグレネ家とはまるで別の存在だ。メーフェを取り戻すどころか、家の衰退を招く結果となった。グレネ一族の協力者たちは多かったが、あくまでも協力者であって、共犯となれるほどあれこれと計画を立てられるものはいなかった――仕方がない。歳をとりすぎた妖精たちは夢を見るばかりで、変革する力を持っていなかった。ミルディアという存在が崩れれば、全て道連れだ。
思えば、ミルディアが集めたものは、本当にミルディアという芯が折れたら、一緒に壊れてしまうものばかりだった。ミュウスタットのマリウスとはそれなりに力を貸し合っていられたが、マリウスが死んだら彼が連れてきた人間の兵士たちはまるで役に立たなくなった。妖精軍としてグレネ家の金を使って妖精たちを集めたのも、自分で考えて行動できる将が少なすぎた――戦闘に慣れた魔族の戦士たちとぶつかると、最新の兵器を持たせても、いとも容易く崩されてしまった。恐らく、組織を作るうえで計算が足りなかった。何か式を間違えたのだ――ミルディアのミスだ。人を集めても、それを管理できる者も一緒に集めておかなければコントロールが効かなくなる。その数が足りなかった。信頼の置ける共犯者が少なすぎた。それどころか、ミルディアには対等な仲間すら、最初からいなかった。
唯一近いところにいたのはラドルフだが、あれも地位につられてやってきた男だ。それでもミルディアが集めた中ではましなほうだった。神経質な部分はあるようだったが、金や地位につられて寄ってきた中では使い勝手のいい男だった。共犯と呼べそうなのは彼くらいのものだが、そのラドルフも命を落とした。もう何もない。何の意味も残せずに、ミルディアの計画は終了させられた。
雨音は徐々に激しくなっていた。どこかで雷が唸る音がしている。まるで嵐のようだった。テゾー山麓の舗装されていない道を進む馬車の揺れが激しくなってくる。
その時だった。
一筋の閃光が大きな音を立ててミルディアの眼前を覆い尽くした。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。だが、馬車は激しく揺れ、何かにぶつかって横転した。中にいたミルディアも揺さぶられて体を打ち付けた。さらに何かがぶつかるような音がして、その衝撃でばきりと何かが折れたようだった。そのとき、ミルディアは気が付いた。今、馬車の扉を閉ざしていた鍵が壊れた。
恐る恐る、扉を開けて外へ這い出る。馬車は無残な姿で、車輪が壊れてしまっていた。馬車にぶつかってきたのは後続だった名ばかりの護衛の兵士たちだった。だが、突如倒れた馬車に対応しきれなかった彼らは皆気を失っているようだった。
馬車の御者の様子を窺うと、彼もまた意識がないようだった。馬車が横転した際に、彼もまたどこか打ったのだろう。馬車を引いていた一角獣はぐったりとしていた。先程の光は落雷だった――落雷を直接受けたのだ。しかも今は土砂降りの雨で、濡れた体にはよく電気が通ったに違いない――内臓が傷ついていれば、死は避けがたい。もしかしたらもう死んでいるのかもしれなかったが、ミルディアはそこまで確かめる気にはならなかった。そんなことよりも、もっと重要なことがある。今ならばミルディアを止める者がいない。
ふらつく足取りで、足場の悪いところを進み、馬車から離れる。雨がミルディアの体を濡らし、体温を奪う。元々こんな場所にいては、馬車もないままどこへ行けるというわけでもない。それでも、他の誰かの支配下にある状態などそれこそ耐えがたい。
「わたくしの運命はわたくしのもの――他の誰にだってくれてやるものか」
ミルディアは切り立った崖の淵に立った。下は川が流れている。雨で増水しているのだろう、その流れは急で水の色は濁っていた。それでも――この先の何百年あるかわからない人生を、一生幽閉されたまま過ごすよりは、ここから一歩踏み出す方がましなように思えた。
そうして、彼女は地面を蹴って飛び降りた。




