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姪御×王子  作者: 味醂味林檎
第五章 望みの果て
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第四十話

 黒き翼と黒き翼が対峙する。威嚇するように害獣が吠える。クロヴィスが指を鳴らすと、強い風がまるでその巨体を縛りつけるかのように害獣の暴走を阻んだ。思うままに動けずさらに暴れようとする害獣を押さえつけて、その雄大すぎるほどの翼に見合わぬ人とさして変わらぬ大きさの本体に掴みかかる。

 見えない風の鎖に縛られながらもひどく暴れてクロヴィスを振り落そうとする害獣にてこずりながらも、さらに風を鋭く尖らせると、害獣の翼から無数の羽根が抜け落ち、傷ついた皮膚からはどす黒く変色した血が噴き出す――。

「貴様に遭う日を望んでいたよ。今こそ暴いてやる――!」

 クロヴィスが弱り始めた害獣の頭部と思われる部分を右手で鷲掴みにするように抑え込む。そのまま膨大な魔力を流しこみ、害獣の頭部に強引に魔力の糸を繋ぐ――記憶を読むためだ。

 本来ならば魔術師同士が同意の上で、互いに協調し合うことでようやく完成する魔術だ。心を開いている者でなければ、その内面を晒すことはまずない。記憶を見る魔術は本来は敵に使える代物ではないが、クロヴィスは持ち前の魔力にものを言わせて相手の意思を全く無視してそれを実行しようとしていた。知能の低い害獣に魔力を求める本能以外の思考ができるかどうかは謎めいていたが、少なくとも生物であるのならば何らかの記憶を持っているはずだ――それを暴く。突如現れては人々を苦しめ、烈風魔王をも死に追いやる原因の一つとなった、そして今魔界の仲間たちを虐げようとしている異質の謎を。この害獣の秘密を探るのだ――その過程で害獣の脳髄が破壊されようが、そんなことは些末な問題に過ぎない――。

 体をばらばらにするよりもずっと暴力的な、魔王でなければ再現できない魔術である。害獣が無理矢理暴かれる苦しさからか、鼓膜を破るのではないかというほどの咆哮を上げるが、クロヴィスの前ではそんなものは無意味だった。膨大な魔力はやがて形として目に見えるものに変質し、害獣に残る僅かな生物性の一部である脳から記憶を吸い上げていく。怪物となって暴れた記憶、怪物となる前の――。

「……!? こいつ……!」

 クロヴィスは吸い上げた記憶に戸惑った。それが隙になってしまったのか、害獣が叫びながら体を捩り、風の束縛を抜け出してクロヴィスを振り落とす。咄嗟のことで体勢を立て直せず、クロヴィスはそのまま下の地面に叩きつけられた。害獣はそのまま城から離れるように飛び、間もなくして突然にその姿を消した。以前と同じように、その気配すら全く消し去って――。

「クロヴィスっ!」

「シャル、ロッテ……!」

 すぐ近くで、妻の悲鳴のような声を聞いて、クロヴィスはかろうじて意識を保った。あの程度の野蛮な怪物ごときに遅れを取るなど恥ずかしい、慢心はよくない、格好がつかない、それでもシャルロッテが無事でよかった――言いたいことは色々あったが、咄嗟に言葉として出てこず、クロヴィスは頭を掻いた。そして手にぬるりとした感触を覚えて、ようやく頭から出血していることに気が付いた。打ち所があまりよくなかったらしい。

 結構ひどく出血しているなあ、とクロヴィスはぼんやりと思った。それから、ロズから受け取ったもののことを思い出して懐を探り、小さな小瓶を取りだした――シャルロッテの血から精製された妖精の薬である。

 どんな傷や病も癒すという妖精の薬。蓋を開けて傷口に塗ると、たちまちに傷が塞がり、痛みも消えた。魔族交じりであるシャルロッテの血ではあるが、クロヴィスが負った傷を癒す程度には充分な効力だ。

 いつの間にかすぐ傍にまで来ていたシャルロッテが、その薬の存在に気が付いた。

「それはわたくしがロズに持たせていた……」

「ああ、あの子から借りていた愛を返すと言われてね、はは……一時的にとはいえ、ロズがきみの愛を持っていたことを思うと妬けるよ」

「あの子は……自分のことよりも、あなたを案じたのね――」

 クロヴィスは魔王になると予言され、予言のとおりに魔王になった男だ。予言が達成された今、クロヴィスの運命は誰にもわからないものになった。ロズがあえて秘密にしていた血の薬をクロヴィスへ託したのは、彼自身のことだけでなく、もしかすれば夫を失うかもしれない自分を案じてのことかもしれないと――シャルロッテは言葉にも顔にも出さず、心の隅でそんなことを思った。ロズ・バルテルミーとはそういう魔族だ。

 害獣という嵐が去り、イースイルたちもクロヴィスのもとへ近寄っていった。クロヴィスはへらりと笑うように唇を歪めたが、どこか疲弊している様子は誤魔化しきれるものではかったようだ。額に汗が滲んでいるのを、イースイルは見てしまった。

「一体、先程は何が……あなたほどの魔術師が害獣に振り落とされるなんて。ミルディアのことは……?」

「いや、うん――不覚を取った。ミルディア王女とは話をしたが逃げられてしまってね、ロズに追わせているところだ。僕は正直、まだ信じられない気持ちでいる……が」

 やつの正体がわかった、とクロヴィスは言った。

「ただの獣なんかじゃない……操られているんでもない。あれは――あれは人間だ。マリウス・ウルズヴィヒト本人だ。やつは自分の意思で、怪物となって暴れている――!」

「なっ……」

 まさか、とイースイルは思った。害獣とは、体内の魔力炉に異変をきたした生物が、その制御不能となった魔力に影響されて怪物となったものだ。それだけならどんな生物にも害獣化する可能性があると言えるだろうが、実際にはそうなるのは元々高い魔力を保有する魔物がほとんどである。古い時代には人が害獣化したという話もあるが、神話の時代というような過去のことで真偽の判別もつかないものばかりだ。魔力炉に異常がある人々は過去の歴史を振り返れば、自ら命を絶つか、薬によって制御してきたかのどちらかであり、人が害獣化することなどありえないように感じられた。特に、元々魔力炉が貧弱な人間が害獣になるなどと。

 だが、パレイゼが「聞いたことがある」と呟いた。

「何か知っているのか?」

「異界から魂を呼び寄せる魔術がある――と、聞いたことがあります。子宝に恵まれない夫婦が、子を宿すためにそれを行う。その子が本当に異界の魂を宿しているかは眉唾物な話ですが、その儀式を経て強い魔力を持つ子供を授かるということは確かにあったといいます。優れた子を授かるための魔術だったのかもしれませんが、人間にもそういう者がいたならば……異質な魔力炉を持っていても不思議ではありません」

「く、詳しいんだな……」

「殿下の御母上も長らく御子に恵まれず、そういった魔術に興味を持っておいででしたから、自然と噂を耳にするようになったのです。実行したかは知りませんが」

 恐らく実行したのだろう、とイースイルは思ったが口には出さなかった。イースイルが前世の記憶を持っているという時点で母がその魔術を扱える魔術師に近づいたのだろうということは容易に想像がつくことだ。ロズも似たような経緯で生まれてきたかもしれない。その魔術は本当に異界の魂を呼びよせることがあるのだ――全てがそうとは限らないが。

 パレイゼの仮説が正しいとすれば、マリウスもまたロズやイースイルと同じように魔術によって生まれてきたということだろうか。その影響で、前世の記憶が残ったロズたちのように、彼の場合は害獣化するような魔力炉の障害を背負ったということか。

「僕が覗いた彼の記憶では、彼は妖精の薬で害獣化の能力を制御しているようだった。怪物としての形を作る魔力がなくなれば人の姿に戻っている――突然消えるのはそういうわけだ。彼は騎士の格好をした男と取引をしていた。ネビューリオ王女の血を、薬にしようとしている……」

「部屋にリオがいなかったのはそういうわけか……! 一刻も早くやつを追わないと、だが……」

 突如姿を消してしまった害獣――マリウスを追おうにも、彼の行く先は想像がつかない。人の姿に戻ったというのなら、このゲリアという大都会の人混みに紛れて、そう簡単に見つけられる気がしない。

 そのとき、シャルロッテが何か見つけたようで、少し離れた場所に移動してそれを拾いあげた――黒い羽根だった。先程の害獣から抜け落ちた、大きな羽根だ。害獣が流した血が付着し、それが渇いて太陽の光を反射した。

「オースリー伯爵なら、この羽根の匂いや魔力の残滓を追ってマリウスとやらに辿り着けるのではなくて?」

「吾輩を犬のように……とはいえ確かに、これならば」

 オーウェンがすんすんと羽根の匂いを嗅ぐ。それから間もなくして、彼はある方向を指し示した――城から離れた外だ。

「この方角でございます。少しずつ城から離れていっている……やつは移動しております」

「そっちには柊館がある。あの館は壁が厚く、外の誰かを招く場所だ。そこで何をしていても疑われにくい場所だ――最近はもっぱらミルディア王女が取り仕切っていた。そこに向かっている可能性が高い」

 パレイゼが言った。この二年のうちのことならば、ここにいる誰よりもゲリアのことをよく理解している賢者の言葉は信憑性があった。イースイルもまた、女神祭のときのことを思えばそれが正しいと感じられた。

「相手は害獣に変身する能力を持っている……となれば、クロヴィスという戦力はあちらに向けるのが適切かと思いましてよ。わたくしの弓はあんな規格外の害獣には通用しませんでしたから――でも人には通じる武器です。わたくしは此処に残り、ロズが行動しやすいよう、本来の任務に徹することにしましょう……」

 シャルロッテはそう言って、再び弓を持ちなおした。兵士たちを先導し、城に混乱を起こすのが彼女に与えられた役割だ。ミルディアの気をそちらに向けさせ、ネビューリオやパレイゼの救出を妨害されないための重要な仕事である。

「……パレイゼ、お前にネビューリオのことを頼む」

「殿下」

「お前がいれば……たぶん、リオは大丈夫だ。お前に全て任せる。私はロズさんのところへ行かなければならない。ミルディアと対峙すべきなのは、本来は私なんだ」

 イースイルが宣言すると、シャルロッテは「わたくしたちが道を開きましてよ」と兵士たちに彼の護衛を命じた。

「クロヴィス、パレイゼ、オースリー伯爵の鼻を信じて行って。わたくしたちはわたくしたちの闘争をするわ」

「シャルロッテ……わかった。僕たちはあの害獣男を何とかする。城の制圧はそっちでやってもらおう――ネビューリオ王女が戻られる城だ」

 シャルロッテはいつもと変わらぬ表情で頷いた。イースイルも小さく頷いて「妹のことを、どうか、お願いします」と言った。オーウェンが「ロズ姫様をよろしくお頼みしますぞ!」と答えたところで、互いに背を向ける。駆けだしたクロヴィスたちに、全て任せてしまえばいい――彼らならば信じられる。

 イースイルも駆けだした。害獣がいなくなったことを確認したのか、城の中からミルディアの騎士たちが現れ、魔族の兵士たちを阻む。シャルロッテが「誇り高き戦士たちよ!」と兵士を鼓舞する声が響く。兵士たちが剣を振るい、イースイルを城の中へと送りだす。彼らの健闘に感謝しながら、イースイルはひたすら足を動かすことに集中する――目指す先はミルディアがいるであろう、グレネ妃の暮らしていた居室だ。きっとその道中にロズもいる。

 抵抗する騎士たちに矢を射込んで、魔族の戦士たちに戦いの指図をしながら、シャルロッテはイースイルを見送った。彼の背中は、シャルロッテがイメージしていたより大きいようだった。今、一人で敵と向かい合っているであろうロズを任せられるような、そんな背だ。

「十年以上――それだけ経てば子供は大人になる、か」

 いつか結婚する前に見た子供だった彼との違いを思って、シャルロッテは思わず笑ってしまいそうだと一つ息をついた。尤もその表情は本人の意識とは関係なく、ほとんど動いていなかったけれど。

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