第二話
「イースイル王子が何故此処に……」
オーウェンが呟く。確かに謎だ。どうしてこのような危険な場所で、一人でいたのか。そもそも今までどこにいたのか、そして何故今になって現れたのか。
「まだ本人と確定したわけじゃねえけどな」
「それはそうですが」
「世の中には顔の似てるヤツが三人はいるって言うぜ」
そうは言いながらも、ロズもこの青年がイースイルであることを疑ってはいなかった。
妖精の王子イースイル。二年前に行方不明になって以来、もう死んだものと思われていた。前世の記憶を取り戻す以前にロズの従兄の結婚式が行われた際顔を合わせたきりで、あとはニュースでしか知らない。以前新聞の写真で見た姿より少し成長している――というか、大人らしい顔立ちになっているような気がするが、ほとんど大きな変化もない――ロズは何故か緊張してしまった。理由は自分でもわからないが、どうしてか、血筋も顔も抜きにして、彼が特別なもののように感じる。懐かしいような、親しみを感じるような――そんな特別さだ。
ひどい怪我もなく、呼吸も正しい。それを確かめてロズは胸を撫で下ろした。
(安心――か、別に何の義理もねえんだけど)
妙な気分だった。ただ目の前で人が死なれたら気分が悪いだけだろう、ということにしておいた。
「王子は無事のようですね」
「一応ちゃんとした医者に見せといたほうがいいかな」
万が一ということもある。気を失うような衝撃を受けたのなら、打ち所が悪ければまずいことになる可能性もある。
「フーチェ村まで連れてくか……オッさん、こいつの解体任せてもいいか? あとで迎えに来る」
仕留めた害獣を指して言う。百体目を狩ったことの証明に、魔術品の素材の回収をしなければならないが、イースイルを放っておけない。
面倒な仕事を頼んでいる自覚はあった。ロズよりもずっと大きな害獣を、ロズよりも小さなオーウェンに解体させようというのだから、面倒どころか無茶ともいえる。欲しいものはせいぜい牙と目玉と心臓くらいのものだが、それを取りだすのには一苦労だ。誰かの手伝いがいるかもしれない――だが魔物たちを従えるオーウェンなら、その誰かを見つけるのは容易なはずだ。
オーウェンは少し首を傾げて言った。
「何か見返りは?」
「お望みの魔術品作ってやるってのはどうよ。湖の上を歩ける靴が欲しいとか言ってなかったか……? ああ、もちろん他のモノでもいいけど」
「ふふん、いいでしょう、承りました。何、魔物たちの力を借りればどうとでもなりますとも」
「よし契約成立。首と心臓以外は好きにしていいぜ。ああ、でもとりあえずぶっ殺した証拠に鱗でも剥いでおくか」
フーチェ村の民に説明するのにはそれが一番手っ取り早い。ロズは風の魔術で害獣に傷を作り、鱗を剥ぎ取った。
ともかく買収は成功した。これから暫く彼のために時間を割くことになるが、魔術品制作を得意とするロズにとって、それは大した苦労にはならない。オーウェンが何を欲しがるかによっては素材の調達に関しては少し考えなければならないものもあるが、それも害獣の解体に比べればそう面倒なことではない。何せオーウェンは一つ抜けているところがあって、一番初めに明確に期限を指定しないのだ。つまり普段の政務を通常どおり執り行いながらでも、じっくり吟味しながら素材を選んで、丁寧にものを作るだけの時間がある。元々長生きの魔物だから細かい日にちまでは拘らないのかもしれない。
この場はオーウェンに任せて、ロズはイースイルを乗せてバイクを発進させた。間もなく頭上を巨大な鳥が飛んでいくのが見えたが、それはオーウェンが呼んだ魔物に違いなかった。黒い翼に魔力を感じる。
後ろで眠る男を落とさないように注意しつつ、山を下りて森の中へ入っていく。エンジン音以外は何一つ騒がしいことなどなく、静けさの中で自分たちしか存在しないような錯覚をしそうだった。
それから少し間を置いて、背後で身動ぎする気配を感じた。慇懃な振る舞い方は得意ではないが、仮にも王子(と思しき人物)を相手にきつい言葉を使うのもまずい。無難に、無難に――と意識しながら声をかける。
「お目覚めか、王子様」
「……私は、一体……此処は……」
「おっと、あんまり動かないように。そしてしっかり捕まっていてください。危ないですから」
「あっ、はい……?」
イースイルは状況が把握できていない様子だった。今の今まで意識のなかった、目覚めたばかりの彼に状況把握を求めるのは酷と言うものか。それはそうだ、気が付いたらヘルメットを被せられてバイクに乗せられているなどという状況が容易く理解できるものとは思えない。ロズは軽く笑って、「あなたは頭を打ったようだから、医者のところへ向かっています」と簡単に伝えた。それ以外に何と伝えればいいかわからないともいう。
「頭を――ああ、そうだ……私は、害獣に……では、あなたが助けてくださったのですね」
徐々に思い出してきたようで、イースイルは穏やかな声で礼を言った。何と言うか、誠実さが滲み出るような、優しい声だ。低い声が男らしくないわけではないのだが、純粋で柔らかな響きがある。
(こいつすげえ騙されやすそうだなァ……)
ロズにそのつもりはないが、万が一ロズが悪巧みのために彼を浚い、言いくるめようとしているとは考えないのだろうか。背中の彼からは一切の警戒心も伝わってこない。それどころか、むしろロズを恩人と信じ切って(事実助けはしたが)好意を剥き出しにしているのだから、いっそくすぐったい。
もしかしたら、その態度は相手の懐に入りこむための彼の処世術なのだろうか。だとすればこれに引っかからないものはいないだろうというほどの完成度だ。出会ったばかりだというのに、不思議な親近感があるのがいけない。何の理由もなく心を許してしまう。
ロズがそんなことをぼんやりと考えていると、不意に声がかけられた。
「あの」
「……何でしょう?」
「あなたにお聞きしたいことがあります。その……突拍子もないことですが」
わからなければ、頭を打った者の戯言として聞き流してくださって構わないのですが――などとイースイルは前置きをした。ロズに捕まる腕が少し強張ったような感じがする。尋ねるのにそれほど緊張しなければならないことなのだろうか。
「へえ、一体どんなことでしょうか」
「――地球ってご存知ですか?」
沈黙。思わずブレーキをかけてバイクを止め、後ろを振り返ってまじまじとイースイルを観察する。互いにヘルメットを被ったままで表情などがよくわからない状態だが、何となくぎこちない様子であることだけは伝わる。ロズがあまりにも無言でいるためイースイルも戸惑っているらしい。奇妙な間がその場を支配している。
ロズは一言だけ言った。
「超知ってる」
数秒だったのか、数分だったのか――その沈黙を破ったロズの言葉は、完全に地が出ていた。
◆◆◆
「何も心配することはございませんよ」
フーチェ村の医者はそう言った。彼はイースイルが王子であることに気が付いているのかいないのか、特にこれといってそういう話に言及することはなかった。それよりもロズが害獣を始末したことのほうが重要だったようで、彼女が持ってきた鱗を見てほう、と感心したような息をついた。
「流石はそよ風の魔女と謳われるお方。あの恐ろしい害獣をこんなにも早く仕留めてしまわれるとは」
「まあ、なんだ。効く武器があれば大概はどうにかなるんだ。俺はああいう怪物を殺すのに慣れてるだけさ」
「これで我々も安心して眠れますよ」
そう言って医者は微笑んだ。
診察が終わっても、まだオーウェンは戻ってこなかった。太陽が落ちかけている頃だったが、解体に時間がかかっているのだろうか。その隙にロズは診療所の裏手の人目につかないところに行き、魔術によって気配察知のための簡易的な結界を作りあげる。ロズの腕ではそれ以上のものは無理だともいう。その中にイースイルを招いた。
「さて王子様、これからお話の時間だ。色々腹を割って話そうじゃないか」
「は、はい」
仁王立ちのロズに気圧されたのか、イースイルは少しどもった。
「そう緊張しなさんな。取って食おうってわけじゃねえんだからよ。ああ、ホントはあんたを王子様として敬うべきなんだろうが……」
先程彼から聞いた地球という単語。これは前世ロズが生きていた場所のことであり、現世で一般的な知識ではない。それを知っているイースイルも似た境遇にあるのではないだろうか――とすれば立場による壁などはないほうが話しやすい。できる限り素で、正直に対話したいという気持ちがある。
その辺りはイースイルも同じ考えにあったようだ。
「私たちは腹を割って話すのでしょう? でしたら、自然にしていただくのが一番です。私も素直にお話しますので――必要であれば羽の痣をお見せしますが……」
「妖精の背には羽の痣がある――か。ラペイレット王家の血筋なら、八枚羽の痣があるんだったか」
魔族が自らの魔力で体を変質させることがあるように、妖精も自らの魔力が表に現れることがある。それが羽の痣と呼ばれるものだ。人それぞれ違った形の痣になるが、ラペイレット家は代々八枚羽の模様が現れると言われている。上着を脱いだイースイルの背には、確かに四対八枚の羽の模様が浮かんでいた。
「間違いなくご本人ってわけだ」
「はい。とはいえ私の生まれなど、今となっては最早何の意味もないものですが」
そして彼は上着を着直して目を伏せた。確かに、行方不明となってから、死んだも同然の扱いをされて二年も経過している。僅か二年でもあるが、現在のレテノアの政治は彼の存在などすっかり忘れて動いている。
「それならいいけど。……その割にはなんか堅苦しくないか、あんたの話し方」
「だ、だめですか……?」
「いや、別にあんたがそれでいいなら構わねえけどさ……」
妙に丁寧な物腰は調子が狂う。それが配下の魔族や魔物であればいいのだが、イースイルは妖精の王子であり、レテノアにおいては魔王が傅くような相手なのだ。王子の影など誰も覚えていなくとも、魔王の姪であるロズにとっては複雑な気分になる。
「……まあいいや。本題に入ろう。あんた俺と同類なの? その、前世地球人だったやつ?」
(って何かすげえ変な台詞……)
台詞だけなら正気の沙汰とは思えない、とロズは自分で言いながら思った。自分たちの生きる世界すら全ての解明ができないのに別の世界があるといわれて素直に信じる者が一体どれだけいるだろう。こういった話が通じるのは、同じ境遇の者だけだ。それもこの世にどれだけいるのかわからないが。
「はい。何だかあなたからは同類の気配と言いますか……不思議な親しみを感じて。やっぱりあなたも元地球人だったんですね」
勘が当たってよかった、とイースイルはすっかり安心した顔で微笑んだ。それはそうだろう、間違っていたら頭がおかしいと断定されるだけだ。尤も彼は頭を打ったのだからそのせいだとして片付けられたかもしれないが。
「改めて名乗らせてください。私はイースイル・ロラン・ラペイレットと申します。どうか気軽に――そうですね、イースとでもお呼びください」
「ああ、そういや自己紹介がまだだったな。俺は――」
「そよ風の魔女――聞いたことがあります。烈風魔王の姪にして、妖精の血を引く魔族の姫……ロズ・バルテルミー・ベルク公爵。もしかして、一度お会いしたことがあるでしょうか」
「なんだそこまでわかってんのか」
「そよ風の魔女の勇名を知らぬ者はいませんよ」とイースイルは言った。
そよ風という呼び名は妖精交じりであるロズに対する揶揄を含んだものだった。妖精の性質を受け継ぐことはできたが、魔術には限界があり、決して魔王のような偉大な魔術師にはなれない――それが、彼女が若くして魔術品の製造技術を極め害獣狩りを繰り返したことで二つ名のように広まったものだ。
周りにどのように呼ばれようともロズは気に留めなかったが、いざそれがロズの代名詞のように扱われるとどうにも落ち着かない。
「正直鳥肌を感じるのでその呼び名だけはやめてほしい。俺の感性には合わんやつだ」
「あっはい」
「ロズだ。ご存知のとおり魔王の姪、だから何だって話だけど。俺たちは前にも会ったことはあるが、十年以上昔のことだからわかんねえかもな。どうぞよろしく、イース」
互いに名乗り合ったところで握手をする。大きく、骨ばったイースイルの手は、王子とは思えないほど荒れている。しかしながらそんな印象とは裏腹に、ロズの手を握るのは力強いというよりは優しいもので、女性的な印象を受けた。そんなことを言えば、ロズの手も銃を握り剣を取る手であり、深窓の令嬢とはかけ離れたものなので、彼女の感覚があてになるかと言われると疑問符がつくのだが。
「前世覚えてるってやつ俺以外にもいたんだな。初めて見たぜ」
異界から魂を呼び寄せる魔術があることを知っている。ロズと同じように前世のことを覚えたままでいる者が自分以外にもいる可能性をわかっていなかったわけではないが、それでもやはり驚く。その事実に対して、そしてそれを打ち明けようと思ったイースイルの勇気に対してだ。
そんなことを考えていると、彼は「秘密を共有する仲間が欲しかったのです」と言った。その顔があまりにも真剣でロズは息を呑む。
「……そういや俺、あんたに聞きたかったんだよな。この二年、あんたは一体どこで何をしてたんだ。何で今になって、あんなところに現れた?」
「それを知って、あなたはどうするのですか?」
「俺にとってどうでもいいことだったら、あんたの好きにさせる。だが、大事なことなら、やるべきことをやるぜ」
それはロズの本心だ。彼女にはそれなりの立場があり、魔界貴族としての責任がある。そもそもイースイルの存在そのものが注目すべきことであり、一度彼女が拾った命でもある。そう簡単に目を離せるわけがない。
「あんたの目的は何なんだ」とロズが迫ると、イースイルは一呼吸置いて、回答した。
「私は――ネビューリオ王女を、王にするために戻ってきたのです」