第三十三話
妖精の王は人に才能を認められた者がその座につく。先代国王が亡くなった今、早く跡継ぎを決定する必要があったが、最もその座に近かったネビューリオは表に出てこなくなった。
実際には、ネビューリオは出てこないのではない。出られなくなったのだ――危険なものから遠ざけるためとして、ミルディアの息のかかった騎士たちが護衛と称してネビューリオの部屋を見張っているからだ。
ネビューリオを支えていたパレイゼも、今は地下牢である。僅か数日後には処刑されることが発表され、それに反対を唱えた老臣たちもまた、檻の中となっていた。
「妹は悲しみにとらわれ、心を病んでしまったのです。しばらくのうちはこのわたくし、ミルディア・グレネ・ラペイレットが皆をとりまとめますわ」
謁見の間にてそう宣言したミルディアは、最近の危険な事件に対抗するためとして新たに妖精軍を編制することを発表した。
先代国王の葬儀、パレイゼの処刑の決定、ネビューリオも顔を出さないという状況で、ミルディアの言葉はやや性急ですらあった。貴族たちはざわつき、その中の一人が進言する。
「ミルディア殿下、これまで外敵からの守りは魔族に任せておりました。今更魔族を遠ざけるようなことをすれば、彼らの不興を買います」
「彼らは確かにこれまでレテノアによく尽くしてくれましたが、それだけでは足りないのです。我々は自衛を覚えなければなりませんわ。元々妖精にも騎士や戦士がいなかったわけではありませんもの、規模が少し大きくなるだけのことです。国を荒らす者たちに対する抑止が必要です」
「そうは言いましても、あまりにも……それに、妖精には戦う力が乏しいからこそ、魔族に頼ってきたのではありませんか。付け焼刃の軍など、戦力にもならないのでは」
「何のために外国から技術を輸入しているのです。民の生活のためは勿論、民の安全を守るための力も手に入るようになったのですよ。活用しなくては嘘でしょう――これは決定事項です。準備ならば既にできているのよ」
「準備?」
「入りなさい」
ミルディアが声をかけると、重たい扉が開かれた。先頭には騎士のラドルフが立っている――その後ろに、黒いローブを着た者たちが数名。それから、妖精の騎士たちが並んでいた。彼らは一様にライフルを持っている――ミュウスタット製の銃だ。
「これからは科学の時代がきます。誰でも平等に引き金をひけるのですから、力がないと嘆く必要はなくなりますのよ。彼らはどこで何が起きても、飛空船を使って駆けつけることができるし、最高の防衛機能になってくれるはずよ」
「このような――殿下、一体何をお考えなのですか」
「民のために必要なことよ。お前は反対するというのかしら?」
「横暴に過ぎます。抑止力? とんでもない。これは守るための装備ではなく、殺しに行くための装備ではありませんか」
どこへ侵略に向かわれるおつもりか、と彼が言えば、それに同調した貴族たちも声をあげた。ミルディアは煩わしそうに長い髪を払うと、騎士の一人が持つ銃を掴んだ。その銃口を先程の貴族に向けさせると、手を放して騎士の肩を撫でながら一言「撃て」と命令した。
ドン、と大きな音がした。間もなくして、ミルディアに反論していた貴族がばたりと倒れる。辺りがざわついた。床に血が広がる。至近距離からライフルで撃ち抜かれて無事であるはずがない。弾は体を完全に貫通し、床に突き刺さっていた。
「民のために必要なものを不要と切り捨てるなどと……愚かしいことを言うからよ。レテノアが他の国の食い物にされてしまったとしても責任をとれないくせに、声ばかり大きいのはいけないことよ」
いっそ冷静すぎるほど、ミルディアは普段と変わらない顔をしていた。平然と辺りをぐるりと見回す彼女は、周囲の混乱の中では異様なまでに落ち着いている。
「他にも――声をあげたものがいたわよね?」
ミルディアがそう言うと、騎士たちは一斉に貴族たちに向かって銃口を向けた。反対を唱えたものたちはすぐさま口を噤んですごすごと退散した。ミルディアはうっそりと微笑んだ。
「理解していただけたようで嬉しいわ」
そうして、ろくな議論もされないまま、全てミルディアの思いどおり――妖精軍が公式のものとなった。妖精軍とは名ばかりで、実際には人間の兵器で武装した騎士と黒ずくめの者たちは、ミルディアの命であるとして城を席巻した。
これから作りたいと言うのではなく、既に作ったモノを認めさせる。それがミルディアの手法だ。誰かに話すのは全て終わったあとのことで、これからのことを相談するつもりは、彼女にはないのだった。誰もミルディアに反対できないまま、僅か一日にして彼女に従わなければならない空気を作りだして完全に支配してしまったのだ――妖精としての才能に欠けているにも関わらず。
彼女を止められそうな立場にあったはずのパレイゼやネビューリオ、それに連なる先代から仕えてきた老臣に頼ることができない状況で、残された貴族たちは狼狽えながらも、しかし、保身のためにミルディアにすり寄ることを考え始めていた。着実に、レテノアはミルディアの国に変わりつつあった。
◆◆◆
部屋の窓から外を眺めながら、ネビューリオは小さく溜息をついた。
元々何かあっては困るからと城の外へ出ることがあまりできなかった彼女だが、ミルディアの言いつけで城の外どころか、庭に出ることすら制限がかかっている。日常の生活こそ決まった時間にミルディアに言いつけられたらしい世話役が来るため問題はないけれども、外で何が起こっているのか、パレイゼが、他の臣下がどうしているのか、一切情報が遮断されてしまっている。
姉であるミルディアには全く話を聞いてもらえないままだ。どうにか接触を図ろうにも、部屋の入り口は「ミルディア様の命令です」の一点張りしかしない騎士が固めていて、出ていくこともままならない。窓には転落防止のための鉄格子があり、とてもではないがそこから出ることは叶わない。そもそも出られたとして、本当に転落してしまえば決して無事では済まない高さであった。そのような冒険はできない。
それにしても、何もすることがない部屋は、退屈で仕方がない。以前パレイゼから贈られた本は何冊かあるが、全て内容を把握してしまうほど読み返したものばかりで、今更それを再び開く気にはなれなかった。
「わたくしの傍にいてくれるのは、もうお前くらいなのかしらね」
胸元の蜘蛛のブローチを指先でそっと撫でると、蜘蛛は生きたように動きだして、ネビューリオの手の上に乗った。
これは女神祭のときに、ロズから贈られたものだ。屋台で売られていた安物だが、そよ風の魔女の魔術によって生きた人形へと姿を変えた。そのことは、ネビューリオしか知らない。普段はただのブローチとしてそこにあり、他に人の目がなくなったときにだけ動きだすからだ――ネビューリオがそうしてほしいと蜘蛛に頼んだのだ。
もし、このブローチのことを誰かに知られたら手放すことを強いられるのではないかと恐れたのだが、その判断は正解だったと言っていいだろう。ネビューリオに近しかったものは全て遠ざけられてしまった。今、傍にいる味方らしい味方といえば、この、言葉も喋らない小さな蜘蛛だけなのだ。ミルディアに知られたら、この蜘蛛もとりあげられてしまったかもしれないが、蜘蛛はよく命令を聞いてただのブローチに成りすましてくれた。出来のいい魔術品だ。
左手の上で蜘蛛を遊ばせながら、ネビューリオは考えていた。どうしてこのような状況になったのか。女神祭の害獣事件。烈風魔王の死。父王の死。自分の暗殺未遂。パレイゼの逮捕――そして、自らが自由を奪われていること。ここ最近のうちに、色々なことが起こりすぎている。
二年前、兄イースイルが失踪して間もなく父は病に倒れ、以来ネビューリオがその代理を務めてきた。彼女自身は自らに王の器があるとは思っていなかったが、血統は正統であった。そして、実感はあまりないけれども、魔法医療が得意であるゆえに至上の妖精と呼ばれている。それで充分に王代理として認められた。政治に関して力及ばない点は、パレイゼとミルディアに助けられてきた。二年のうちに何人もの貴族が死んだり病にかかって退いたりと、頼りになる相手は減る一方だったが、それでもなんとかやってきた――今王代理ネビューリオが部屋から出られない時点で、体制は完全に崩壊してしまっているが。
これらの事件には、繋がりがあるのだろうか。ミルディアは父の毒殺とネビューリオの暗殺未遂はパレイゼがやったことと主張しているが、まさかパレイゼがそのようなことをするはずがない――ネビューリオはそう信じている。婚約者によく思われているかはわからないけれど、彼はイースイルの妹であるネビューリオを決して蔑ろにはしない。では誰がやったことなのか。そこまで考えて、ネビューリオは気づいた。
ミルディアは、姉は、少なくとも二つの事件の関連を断言している。
毒殺と、銃による暗殺未遂。確かに暗殺という意味では共通しているが、全く別の手口である。安直に関連付けるには疑問点が残る――それをどうして関連付けたのか。同じ手口を繰り返して混乱を招いたというならまだしも、全く違ったやり方を取り上げて同一犯だと言い切れるのは何故なのか。そもそも王を暗殺できるのなら、わざわざネビューリオ相手に銃を使わずとも、王を殺すのと同じように毒を盛れば良いのではないか。
その理由に、ネビューリオは気づいた。気づいてしまった――ミルディアは何かを知っているのだと。同一犯、あるいは一つのグループがやった犯行なのだとわかっている。そうでなければ、いくら似た時期に起きたことだからといって、同一犯のやったことだと断言できるはずがないのだ。せいぜいその容疑がかかっているとまでしか言えないし、それを理由に地下牢へ投獄することにも無理がある。
思わず声をあげそうになり、慌てて空いた右手で口を押さえる。騒ぎを起こして騎士たちが中に入ってくるなどということは避けなければと、頭の中のどこか冷静な部分がそうさせた。
その想像を、信じたくはない。しかし、最早そうとしか考えられない。最近の恐ろしい事件には、ミルディアが関わっているのだと。未熟な王代理を邪魔だと思って、その周りのものを消しにかかっているのだと。
ゆっくりと、蜘蛛へ視線を向ける。現状頼れる、唯一の味方。言葉は話せないけれど、頼み事を聞いてくれる人形。
「お前くらい、小さければ……」
どこか震える声で、ネビューリオは呟いた。ブローチの大きさなのだ、上手くすればこの蜘蛛が外へ出ても、誰にも気づかれないのではないか。どうにかして、頼れる誰かにメッセージを伝えることができたなら――あるいは、外の情報を持ち帰ってくることができるなら。
「お前、外の冒険はできる? 助けを……呼んでくることは、できるのかしら……」
手の上の蜘蛛に問いかける。当然返事などあるはずもないが、ネビューリオには、蜘蛛が頷いたように見えた。たとえそれが錯覚であったとしても、彼女はこのブローチの人形に縋るしかない。
そのとき、部屋の外でばたばたと何か騒がしい音がした。ネビューリオは不審に思い、そして一つのチャンスだとも思った。緊張で心臓の鼓動もうるさいまま、片手の中に蜘蛛を隠して、自然に振る舞うよう意識してドアを開けた。
「……随分騒々しいのですね。何ごとですか」
「ネビューリオ殿下は中にいてください」
「こいつ!」
護衛と名乗る騎士たちはネビューリオを外へ出さないようにしようと立ちふさがったが、少し頭を傾けると、その向こうで灰色の猫が一匹逃げているのが見えた。それを真面目な騎士の格好をした大男が追いかけているというのは随分と奇妙な図だったが、やがて猫は捕まえられ、男の腕の中で大人しくなった。
「あら、可愛いお客様ね」
そう言いながら猫の顔を覗き込むと、しっかりと目が合った。ただの猫のはずだが、まるで何かを訴えかけるかのような表情をしている――ような気がした。
「どこからか迷いこんできただけです。外へ出しますから、殿下は部屋の中にいてください」
そう言われて、ネビューリオは頷きながら、手の中の蜘蛛を放した。騎士たちは王女が部屋へ戻ることに注目していたため、蜘蛛が外へ行くことに気づかなかった。
ちょうどネビューリオが部屋の中へ入ってドアを閉めたとき、捕まえられていた猫は男を蹴ってその腕の中から逃げ出した。それから、ネビューリオが放した蜘蛛を素早く捕まえて口にくわえ、そのまま走り出す。それを先程の男が慌てて追いかけるが、足の速い灰色猫のことは、間もなくして見失った。




