第一話
風を切り裂く轟音が、森の静寂を突き破る。
滑らかなカーブを描く黒っぽいカウルが印象的なバイクだった。少しずつ加速しながら林道を進む。艶めいた深い闇の色の塗装には次々と木々の姿が映り、そして消えていく――その繰り返し。時折はらりと木から落ちる葉は鮮やかな緑と赤のグラデーションで、実りの秋がやってきたのだと告げている。
雄々しい大きな車体を巧みに操るのは、ヘルメットで顔は見えないが、ジャケット越しでもわかるほど均整の取れた美しい体つきをした女だ。彼女の後ろには赤いマントをつけた、ふわふわとした毛並みの何かが、彼女と同じヘルメットを被ってしがみついて悲鳴を上げていた。
「わみゃあああああああ!」
猫と思しき鳴き声のようだったが、やや掠れた感じで可愛らしいかと言われるとそういう感じはあまりしない。それもいまひとつサイズの合わないヘルメットの中でくぐもって聞こえる。ひらめくマントの下に剣を所持しているのが見えていた。
すぐ真後ろの絶叫に対して女は呆れたように言った。
「おいオッさん、情けねえ声出してんじゃねえよ。わりとうるさいぜ」
「ひ、姫様……ロズ姫様もっとゆっくり安全運転んんん……!」
そう返されて、女――ロズは「危ねえって言われるほどスピード出してねえんだけどな」と計器を見る。だが、そんな彼女と違って速さには慣れていないのか、後ろの同乗者はぶつぶつと文句をつけている。
「ぐぐぐ……大体魔王の姪御様ともあろうお方が何故このようなものを乗り回しておられるのですか……乗り物でしたら魔物を呼べばよろしいのに……」
「あー、よく聞こえねえなア。飛ばせって?」
「うにゃあああああああ!」
叫び声と共に、黒いバイクが森を颯爽と駆け抜けていく。やがて騒々しさが遠ざかり、走り去った後には柔らかい土の地面にタイヤ痕だけが残っていた。
◆◆◆
レテノア国境付近で害獣被害が深刻になってきたのは最近の話である。隣国のミュウスタット帝国との間で商人が出入りする道があるが、そこへ恐ろしい怪物の害獣がやってきて人を襲うのだ。元々害獣被害が全くなかったわけではないが、どうにも近くのテゾー山麓の辺りに新しく巨大な害獣が棲みついたらしく、時折山林を離れて里のほうにまで出没するようになったという。目撃情報では鱗と翼があるという話なので、ドラゴンの成れの果てに違いなかった。
魔族の姫であるロズ・バルテルミーはその害獣退治のために、今、供としてオーウェンという二足歩行の猫の魔物を連れて愛車を走らせている。レテノアでは大抵の荒事は魔族の戦士が対処するものだとか、魔王の姪として民を害するものを見過ごすわけにはいかないだとか、ミュウスタット側からも退治の依頼があったとか、そんな理由は建前である。彼女が赴く本当の理由は――
「今日は思いっきり暴れられるぜへへへ……百体の害獣の首、今日のはその百体目ってわけだ」
「姫様、ご結婚はそんなにも嫌ですか」
「人生何百年とあるのにもう人生の墓場とかありえねぇから」
――自らに降りかかる見合い話から逃げるためであった。
「魔王が言ったんだぜ、害獣百体狩ってきたら俺の要望を聞くってな。紳士ぶってるやつだから取引材料さえ揃えりゃあとは淑女らしくねだるだけだ」
「これが淑女のやることとは思えませぬが」
「うるせえ」
誰に何を言われようとも、ロズは結婚から逃れるために害獣を百体狩らなくてはならないのだ。そのために今まで魔界の人里に現れる害獣を狩り、それらがいなくなれば害獣が潜んでいる場所へ出向いてでも狩り尽くすというのを繰り返してきた。
(結婚は嫌……てか無理、マジで無理)
顔もろくに知らないような相手と、政略のための結婚をするなどというのは、ロズにとっては考えられないことだった。否、実際にはそうしろといつか言われるだろうと身構えていたし、二十歳となった今予想どおりに後見人である魔王から言われているのだ。けれども、どうしても生理的嫌悪感がなくならない。
気の合わない相手だったら嫌だし、結婚によって生活の自由度が減るのも嫌だった。嫌なものを無理矢理結婚するというのも不健全だと感じている。不誠実である。だが一番嫌なことは男性と一生添い遂げるということだ。友人になるのは良いが、一生の伴侶となるのは耐えられそうもない。
色々と理由を並べ立ててはいるが、そう感じるようになったのには根本的な理由がある。誰にも言えないことだが、ロズには前世の記憶があった――男性として生きた記憶が。
(別に細かいとこまで覚えてねえけどなーんかなア……)
受け入れがたい、この抵抗感は押さえきれるものではない。ロズの精神は前世の記憶の影響をこれでもかというほど受けているのだ。
数年前、何故自分が前世のことを覚えたままなのか調べているうちにバルテルミー家に伝わる魔術書に辿り着き、その中に不妊治療に関する話を見つけた。そして異界から魂を呼び寄せて母体に宿らせる魔術があると知った。恐らくはその魔術の過程で本来失われるべき記憶が偶然残ってしまったということなのだろう――ロズはそうやって生まれてきたのだ。そしてそういった魔術が存在している以上、自分と同じ存在がいてもおかしくはないが、今のところ出会ってはいない。前世などという夢物語のような言葉を聞かされて信じる者がいるとすれば同じ体験をしている者だけだろうが、そんな相手を探し出すのは至難の業のように思える。
女として生まれて早二十年、前世の記憶を取り戻してから十年。流石に女性の体であるということに対する違和感はほとんどなくなった。以前は全く気にも留めていなかった上品な菓子の細工に興味を持ったり、花や宝石のような綺麗なものに惹かれたりする。仮にも魔界貴族として教育を受けてきた成果か、それなりに女性らしさも身に着けたつもりだ――が、自分が男性と添い遂げるというのは全く想像もつかない。
(ないな、うん)
愛に性別は関係ないという話は聞かないでもないし否定するつもりもないが、自分が当事者になるのは想定外だ。精神的にも肉体的にもしっくりこない以上、結婚などもってのほかだ。そしてそれを避けるためには、百体の害獣を狩ればよい。そんな話にロズが乗らないわけがない。
仮にも魔界の姫という立場であるので、万が一のことがあっては大変だからと剣の使い手である猫の魔物オーウェン・O・オーウェル伯爵がついてきたが、ともかく彼女が冒険者よろしく害獣という怪物と戦うことについては禁じられていない。それどころか幼い頃から魔族の戦士となるべく育てられてきた。魔族の中で貴族階級にあるというのは戦う力があるのと同義だからだ。となればやるべきことをやるだけである。
しばらくバイクを走らせていくと、やがて木々が生い茂る森から、ごつごつとした岩が目立つ景色に変わっていく。近隣のフーチェ村の住民や、今晩泊まる予定の宿の主人から害獣の情報は予め聞きだしている。この近くに害獣の巣があるはずだった。
一旦バイクを降りて、ヘルメットを外せばロズの短めに整えられた黒髪が風を受けて僅かに揺れる。魔族らしく尖った耳に風が当たって涼しい。同様にオーウェンもヘルメットから解放されて茶色の頭をぶるりと振った。
「さーてと、オッさんは鼻が利くよな。出番だぜ」
「吾輩を犬のように扱うのはやめていただきたい。それとオッさんという呼び方もやめていただきたい。吾輩のことは気品を持ってオースリーと――」
「猫の狩猟本能を頼ってんだよ、そういうの得意だろ? な? お前を信頼してる。害獣見つけるのくらい楽勝だって」
「……致し方ない。そこまで言うのでしたら」
(ちょろい……)
オーウェンは辺りの匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせた。暫くして「あちらのほうです」と道を示した。害獣の匂いを嗅ぎ取ったらしい。彼が言うのなら間違いはない。
「何があろうとも御身は必ずお守りしますゆえ、ご安心召されよ」
「おー。じゃあ張り切って行くか」
「……姫様、そのバイクは置いていかないのですか」
「置いてく理由がないからな」
この先、整備されていない道は悪くなっていく一方だろう。あまりバイクに慣れていないオーウェンからすれば邪魔にしか見えないが、ロズにとっては違う。レテノアでは馴染みのないものだから、わざわざ貿易商に頼み込んで輸入してもらい、それを魔術品として改造したバイクだ。魔術によって耐久性能を向上させ、害獣とぶつかっても壊れない特別製――これはロズの武器の一つであり、いざというときの逃走手段だった。
ロズは魔術師としてはそれなりだ。魔王を輩出したほどの魔術に優れた家系に生まれたが、母は妖精であり、ロズは魔族と妖精の中間的な性質を持っている。良く言えばどちらの力もあると言えるが、悪く言えば中途半端だ。だからこそ魔術師として完成するために、魔術品を作りだすことで魔術の精度を高めるのが彼女のやり方だ。
魔術品――魔術によって魔力の籠ったもの、魔術式が書き込まれた魔法の道具。旧い時代においては魔術師の力を増幅する杖が定番だったが現代においてはその在り方は多様化し、機能も形状も千差万別だ。ロズはその魔術品を武器にする魔術師というわけだ。
愛用の拳銃に装填した魔術品の弾丸は充分害獣退治に通用するほどの威力を持っているし、普段彼女が着ている服も全て魔術によって強化したものだ。害獣を相手に戦うのに周到な準備をしすぎて無駄になるということはない。バイクもその準備の一環だ。
どれだけか歩みを進めて山道を上っていくと不意に地面が揺れるような感触があった。オーウェンがひげをピンと立てて警戒する。地響き――害獣が暴れている。怪物の咆哮が岩場に反響する。害獣が活動を始めたのだ。ひどく足場が揺れている。地面に罅が入るほど本当にひどい揺れだ。
「一体どんな、巨体だってんだよッ、うわ!」
「お気を付けて、すぐ傍にいるのです!」
「言われんでもわかるっ」
あまりの揺れにまともに立っていられず、ロズは倒れたバイクにしがみつきながら膝をつく。大きくぐらりと揺れたときにそのまま体勢を崩して倒れ、ちらりと崖下が見えた――翼を持ち、びっしりと鱗に覆われた巨体。ところどころ腐敗したように黒ずんでいるそれは、正しくこの揺れの原因である、退治すべき害獣だ。恐らくはドラゴンと思しき魔物が、何らかの原因で害獣として落ちぶれたのだろう。だがそれ以上に気にかかるものがある。その害獣のすぐ傍に倒れ込んでいる旅人らしき姿が見えた――襲われている。
ロズは揺れが小さくなった瞬間、バイクを起こして跨りそのまま発進させた。「姫様!」と叫ぶオーウェンの声を無視して、加速して崖から宙へ飛ぶ。
一瞬の浮遊感。車体はそのまま落下し勢いよく害獣の後頭部にぶつかり、その頭にタイヤの痕をつけて跳ねた。器用にバランスを取りながら頭部を走り、鼻を踏み台にして下の地面へと着地する。そして害獣が怯んでいる隙に先程見つけた旅人の様子を確認する。体格からして男性だ。外套のフードで顔が隠れているが、僅かに覗く口許から若き青年であろうと推測する。もっとよく確認しようと近づくと、黒い影がさした。
「オーケー、放っておいてはくれねえわけか」
ジャケットの下に隠したホルスターから銃を抜き、撃鉄を起こす。真上にある害獣の首を狙って撃つ。ただの拳銃、ごく一般的なシングルアクションのリボルバーだが、弾丸は風の魔術を帯びた特製だ。乾いた破裂音、弾が当たったところから腐った肉が派手に弾け飛び害獣が震えた。巨大な足が地面を揺らす。
気を失っているらしい青年をバイクに乗せて害獣から距離を取り、害獣が余計に暴れないように足元を狙って撃つ。腐ったところはそのまま崩れ、未だ生物としての形を保っている部分は赤い血を噴き出して、その巨体を支えきれなくなる――がそれでもロズたちを認識し、鋭い牙で食い千切ろうと首を伸ばしてくる。体が大きい分首も長く、攻撃を避けるのに再びバイクを走らせると今度は銃で上手く狙えなくなる。
「オッさん、手伝ってくれ!」
「お任せください!」
崖の上に向かって声をかけると、見慣れた茶色が助走をつけて飛び出した。オーウェンの剣が害獣の鱗を貫き、その背にずぶりと深く突き刺さる。傷ついたところからどろりと血が噴き出し、やがて周囲がくすんだ赤で汚れきった頃、害獣はようやくその動きを停止した。
害獣の生命が途絶えたことを確認して、オーウェンはマントを翻して地面に降り立つ。害獣の死骸が大きすぎてオーウェンがひどく小さく見える。
「姫様、お怪我はございませんか」
「俺はな」
青年は未だ意識を失ったままだった。大きな怪我はないようだが、だからといって安心できるものでもない。ロズが確認のために彼の外套を脱がせると、その下に現れたのは気品を感じさせる凛々しい顔立ち――。
「このお方は……」
「ああ……」
その顔はロズにも見覚えがあった。オーウェンが驚くのにも無理はない。何故なら彼は、二年前に行方不明となった――レテノア第一王子イースイルその人だったのだから。




