第二十一話
王都より南西に位置するグレネ領ソリルリザートは、世界有数の葡萄酒の産地として栄えた都市である。この辺りの地域は一年を通して日照時間が長く、レテノアの中では比較的温暖な気候である。一面葡萄畑が広がる光景は珍しくなく、毎年数多くの葡萄酒が作られ、品評会で賞を取っては世界中に輸出されていく。
グレネ領――つまり、ミルディアの母の実家である。一見穏やかそうな、石造りの家々が立ち並ぶ街並みであるが、ミルディアの考える『工事』のためと思しきいかつい運搬車両がちらほらと見える。
すっかり陽も落ちて暗くなった現在。ロズは、そのソリルリザートの城にいる。
◆◆◆
時を遡ること二日。
ミルディアからの手紙――その内容は害獣退治の依頼であった。
グレネ領ソリルリザートに現れる害獣を始末してほしい。そよ風の魔女の実力を見込んでの依頼である。謝礼は充分に用意する――手紙の内容はおおよそそんなところだ。魔王が亡くなって落ち着かない魔界を魔界公爵たるロズが空けてもいいものか、というものはあったがミルディアの腹を探る絶好の機会でもある。
ミルディアの連絡先として知っている番号に電話をかけると、害獣そのものは前々から存在していたものだそうだが、最近になって葡萄畑や飛空船の停留場への被害が深刻化しているのだという。王都でのロズの活躍を評価しての依頼であり、是非ソリルリザートを救ってほしい――ロズはその仕事を引き受けることに決めた。
イースイルは連れてはいけない。危険だから、というのが一番の理由だが、先日怪我をしたシャルロッテのために妖精の血の薬を調合していた彼は話を聞いて渋い顔をした。
「王都の事件もあったばかり。烈風魔王も亡くなられたばかり。こんなときに……何かあるのでは」
「俺もそう思う。だが、害獣に困ってる民を放ってはおけない。ミルディアが何を考えているにせよ、そこで暮らしてる民が悪いってわけじゃない。レテノアの平和のために必要なことなら、力を貸してやらんとだな。ミルディア王女の方針ってのもよくわかるだろうし」
危険を避けるというなら、そもそも害獣退治など引き受けなければいい――だが此処で断ってしまえば、そよ風の魔女という呼び名にも傷が付く。決して好きな呼ばれ方ではないし、鳥肌が立つほど気に入らないけれど、この二つ名の評判は利用できるものなのだ。害獣退治を依頼されて逃げ出すようなことをすれば、魔界貴族としても経歴に傷がつく。数百年とある残りの人生を不利にするようなことはしたくない、いわば保身である。
(害獣と戦って死んだらそこで終わり、と言われりゃそのとおりなんだが)
そう簡単に殺されてやるつもりはない。今までそうしてやってきたのだから、これからもそうしていく。それを可能にできるように、魔術品を制作する技術を極めてきたのだ――武器ならば作れる。
「ロズさんは恐れない人だから、それが少し怖くも思います」
「怖い?」
「前は私と同じように地球で、それなりに平和に生きていたんでしょう? それに今は、いくら魔族とはいっても女性だ。それなのにあなたは、戦うことを当たり前に受け入れている」
「まあ……そうだ、な。そういう風に育てられてるし、どうせ前みたいな生活ができるわけでもねえ。体の作りも、できることもまるで違う」
ロズとして生まれる前は、ありふれた人間だった。好きなことをやって生きているのは今も昔もそう変わらないが、この世界で言うところの人間と魔族は全く別の性質を持っている生き物だし、生まれた立場も違えば財力も前とは比べ物にならない。戦士としての教育を受けたことはもうすでに身に染みついてしまっている。
勿論、幼い頃は怖がったこともある。今だって死ぬことは怖いと感じる。死に痛みが伴うことをわかっているからだ。それでも、危険に立ち向かうことに足を竦ませる必要はない――理由はある。
「俺には予言がある。剣によって世界の半分を失うといわれている。それで死ぬとは言われていないし、その予言が現実になるまで少なくとも俺は死なない。前にも言ったが、後悔はなるだけしないで済むようにしたいんだ」
だからできることはやっておきたいし、他のどんな困難も知恵を絞れば生き延びられると思っている。イースイルに心配されることは何もない。ネビューリオのこと、国のこと、他に案ずることはあるのだから、どうせ死にはしないとわかっているロズのことまで気にかけることはない。
イースイルは、困ったように微笑んだ。
「……それができるということが、怖くもあるんですよ」
ロズはその意味がうまく噛み砕けなかった。イースイルは何でもないと首を振った。
「今の私にできることは、あなたの無事を祈ることだけです。大人しく待っているので、早く帰ってきてくださいね」
その言い方に、ネビューリオに早く終わらせてと言われたときのことを思い出して、ロズは笑った。やはりよく似た兄妹だ。
「それなら頼み事をしとこうか。どうせ時間はあるんだしな」
「何です?」
「調べもの。クロヴィスは考古学が趣味だから昔のことはよく知ってるし、このベルクの城にも古い以外に取り柄があるかわからん本が沢山ある。新しい本なら城下の図書館にもごちゃごちゃあるはずだ」
どうせわからないことばかりなのだ。それならば視点を変えてみるのも手だろう。過去に起きたことを知れば、今起きていることに関係のある話が浮き出てくるかもしれないし、土地のことを知ればミルディアが交通網に拘る理由がわかるかもしれない。
「あてもないですから、成果が出るかはわかりませんけど……」
「暇つぶしと思えばいいさ。あと電話、好きに使っていいぞ。留守は頼むぜ、恋人さん」
その後は速い。害獣と戦うことを考えなければならないため、女神祭に着ていったようなドレスは必要ない。いつもと同じように、動きやすい格好をして、拳銃を隠せる黒いジャケットを羽織る。イースイルの世話をミミに頼み、彼らに見送られて、ロズはバイクに乗ってソリルリザートへ向かった。
そこでロズはわざわざ王都から出向いてきたミルディアとグレネ家の家臣たちに迎えられ、手厚く歓迎を受けた。ミルディアの用意した戦士と共に害獣退治へ向かってほしい、という依頼のために。そこでロズは自分の同行者となる者たちと初めて出会った。
「こうして駆けつけてくださって嬉しいわ。あなたには彼らと共に害獣を始末していただきたいの」
「彼ら?」
「紹介するわ。彼はわたくしの騎士、ラドルフよ」
「お初にお目にかかります、ベルク公爵。ラドルフ・ファイトと申します。以後お見知りおきを」
ミルディアに促されて、騎士の格好をした男――ラドルフが恭しく挨拶をした。「剣の扱いは下手ではない男よ、害獣狩りも何度かしているし」とミルディアがラドルフの肩を指先で撫でる。ロズも挨拶を返しながら、そのすぐ後ろにいる、ドミノマスクで顔を隠した男が気にかかった。顔を隠していることもそうだが、よく見れば耳が丸い――彼は人間だ。ロズが男を観察していることに気が付いたのか、ミルディアは思い出したように言った。
「ああ――それと、こちらはわたくしが雇った冒険者。人間だけれど、募集をかけた中ではそこそこ腕に覚えがあるようだったから、きっと役に立ってくれるはずよ。名前は――ええと……」
ミルディアが思い出す前に、仮面の男が前に出て名乗った。
「俺のことはルイス、とお呼びください」
「……お前、何故仮面なんかしてる?」
「ちょいと以前火傷をしましてね。崩れてあんまり醜いんで、お見せできないんですよ」
そう言われてはそれ以上追及はできない。何か引っかかりを感じながらも、ロズはその場では納得したように頷いた。
「害獣狩りに慣れたベルク公爵がいてくださって助かりますわ。ソリルリザートの民はずっとあれに怯えて暮らしておりましたの。ときどき街のほうまでやってきて暴れていくものですから」
「私で力になれることなら、手を貸しますとも。民の暮らしを守ってこその魔族だ」
「それでこそベルク公爵ですわ」
褒め言葉は上辺だけの社交辞令としか聞こえない。適当に聞き流しながら、この面子で行動しなければならないことについて、どのように動くべきか思考する。普段よく組むオーウェンの代わりになる戦力だ。連携さえきちんと取れれば、難しい仕事ではない。
「仕留めた後の死体は回収してくださいましね。害獣対策の研究に使いますから」
ミルディアが言った。研究目的に使うというのであれば、あまり死体を傷つけてしまうわけにはいかないということか。
忙しいオーウェンを連れてくることができなかった分を補う戦力はあるが、少々厄介な条件がついている。ロズは溜息をつきたい気持ちを抑えて「努力しよう」と答えた。
◆◆◆
正直なところ、清々しい気持ちとはいえない。ミルディアの配下に、流れ者の冒険者だ。背中を預けられるほど信頼できる気がしないが、だからといって隙を見せれば誰かが害獣のプロテインになることは必至だ。目の前で食われでもすれば寝覚めが悪いことこの上ない。
必要なものがあればすぐに手配する、とミルディアが言ったおかげで装備に関しては何も問題がない。愛用の拳銃もきちんと手入れは怠っていないし、風の弾丸も予備はまだ充分にある。今はバイクもあるし、害獣を狩るという目的がある以上動きやすい格好をして咎められることもなかった。害獣の探知機となっている魔術品のコンパスも持たされ、害獣を回収するための縄も準備は万全だ。
「一刻も早く害獣は倒さなければなりません。葡萄畑の被害が増える一方ですし、飛空船に被害が出るのはよくないことですもの。安全な運行のためにも、恐ろしい怪物にはいなくなってもらわなくては」
ミルディアはそう言いながら、ロズをバルコニーへ連れ出し、そこから街を見下ろした。夜ということもあって薄暗いが、街灯や家々の灯の輝きが煌めく絵画のような夜景だ。すっかり夜のはずなのに、未だ街に眠る気配がない。
「美しい街でしょう。わたくしの自慢の街。お母様の大切な思い出の場所なのですよ」
眼下に広がるソリルリザート。葡萄酒によって発展を遂げた街。今は工事用の車両が行き交うが、元々は商品の酒を運ぶ馬車が沢山走っていたはずの土地である。どうにも自然な感じがしないのは、その馬車の数が少ないからだろうか。それとも昼になればまた馬車も増えるだろうか。
ミルディアはいつもどおり、何も変わった様子のない声で言った。
「交通網の整備に関する計画書、目を通してくださったかしら」
「ええ、一通りは。魔王に相談するはずでしたが、こちらでも少々厄介なことになったものでして、すぐにお返事ができず申し訳ない」
「お悔やみ申し上げますわ。残念な事件でしたわね――最近は物騒です。恐ろしい害獣が現れたり、烈風魔王が倒れられたり……それに、イースイル王子の偽物が現れたという話まである始末ですのよ」
「イースイル王子の、偽物……?」
「ええ、王都に現れていたようなの。彼は二年前に死んでいるはずなのに――今更彼の名を騙って何の意味があるのでしょう」
(偽物、じゃない……イースのことだ)
ラドルフから報告を聞いているであろうミルディアは、しかしイースイルのことを偽物だと断じた。それはつまり、生きていることを認めるつもりはないということに他ならない。
「そのような不審人物を見つけたら、疾く王都に突きだしてくださいましね、公爵。王子を名乗る不届き者が現れたとあっては、レテノアに無用な混乱が起きます」
恐らくバルテルミーの使用人に扮していたことまで伝わっているはずなのに、それを直接伝えてこないことが、どうにも恐ろしい。バルテルミー家の紋章つきという時点で、その素性が調べ上げられていることは明白で、つまりロズがイースイルを匿っていることもばれているはずなのに――。
白々しいミルディアに対して、ロズもまた、白々しく言葉を返す。
「私は存じ上げないが、気を付けておこう」
ミルディアは何も言わずに、やはりいつもと同じような薔薇の華やかさで笑んだ。それは本当にどきりとするほど美しかったが、それ以上に背中がぞわりとするようなものがあった。
彼女と別れてから、ロズは自分に与えられた部屋に向かいながら思考する。どうしてミルディアは警戒すべき相手であろうロズを呼びつけ、外部から冒険者まで雇って害獣退治に乗りだしたのか。しかもそこに自分の騎士も行かせるという。
害獣退治にかこつけて自分を始末するつもりだろうか。それなら外部から冒険者を雇う理由はないはずだ。流れ者より、自分の息がかかったものを使うほうが確実なのだから。
それならばやはり害獣退治はきちんと彼女の目的であり、それに都合のいい駒を使いたかっただけというべきか。先日の王都での事件では不覚を取ったが、そもそも普段からオーウェンをいつも連れていたわけではないのだ。相当厄介な相手でない限りはロズ一人で充分対処ができる。
(害獣の研究目的と言ったが……)
その死体を回収する理由。害獣の研究者なら確かに少なからずいるけれど、元々そういった仕事をほとんど魔族に任せていた妖精が今更そういったことに力を入れようとするのも、不思議な感覚がしていた。
明日の朝には出発しなければならない。知りたいことは山ほどあるが、まずは害獣をどうにかしなければならない。即席の仲間たちで挑むというのが面倒といえば面倒だが、街に来る前に棲家へ行って潰してしまえば少なくとも周りの被害をあまり考えずに済む分楽かもしれない。
廊下を歩いていると、先程紹介された冒険者とすれ違いざまに目が合った。確か名前はルイスといったか――顔の半分を仮面で隠した男は、口許だけでにいと笑って会釈した。
(なんだろう、こいつも厄介な相手なんじゃなかろうか……)
ミルディアやラドルフのことで頭を悩ませている最中だというのに、流れ者であるはずの冒険者ルイスも何か腹に抱え込んでいそうな予感がして、ロズはぎこちなく笑い返した。