第二十話
「あまり根を詰めすぎないようにしてくださいましね。今、大変な時期だということはミミにもわかりますけれど、それで無理をなさって倒れられるわけにはいきませんの」
ミミがロズの居室に紅茶を持ってきて、そんなことを言った。
「ああ、わかってるよ。ありがとうな、ミミ」
「これも仕事のうちですの」
失礼いたします、と言ってミミは下がった。これで部屋にいるのはロズとイースイルの二人だけとなった。
ベルク城主であるロズの部屋である。魔術の研究資料も沢山ある部屋だ。特別に用事でもない限りは誰も近づかないし、今日も誰も近づけないように言い含めてある。話し合いにはもってこいだった。
お互いにここ数日間に知ったことを吐きだしていく。そこから見えてくるのは、ネビューリオをすぐに王にするのは難しいということだった。
「難しい……ですか」
「というより、無理っていった方がいいかもな。俺は話をしてみて、リオ様はそれなりに良い王にはなれるだろうと思った。知らないことがあるならこれから知っていけばいいだけのことだしな。だが成人もしていない少女だし、実権をミルディア王女に取られてる感じがする」
「……やはり、彼女ですか」
「フェルマ公爵はリオ様を大事にしているようだから、そのおかげで何とかって感じか。ミルディア王女も民のためにって大義を掲げて色々やってるようだし」
言いながら、作業台の上にミルディアから受け取った資料を広げる。交通網の整備が国の発展に繋がる――そう言った言葉が全く偽りとは思えなかった。だが、彼女なりに何か考えがあってやっているのは確かだろう。連絡先として電話番号が書いてあるのも、ロズが外国の科学技術に興味を持っていて電話を使えるだろうとわかったうえでのことだ。
「ミルディアは危険な女です。パレイゼだって警戒している。これまでゲリアの貴族たちを暗殺してきた黒幕は彼女ではないかと、彼は疑っていた。私自身、私を殺そうとしたのは彼女だと思ってるんです――得体のしれない女だ。昔からそうだった」
「ほう」
(腹違いってだけで揉める理由になる、ミルディア王女が権力欲に駆られたなら――イースは確かに邪魔者だ)
それと同じように有力な貴族たちを排除してきたというのなら、本当に末恐ろしい王女だ。彼女はロズより一つ年下だというのに、既に両手で数えきれないほどの人を殺している、または殺すように指示を出したことになる。
「イースはミルディア王女が憎いか?」
ロズが問いかけると、イースイルは視線を下に落とした。少し迷ったように呻いてから「否定はできません」と答えた。
「私は元々王になるものとして育てられていました。私には私の理想があった。期待をされていたし、それに応えられるような良い王になりたかった」
「そうか」
「私に何かあったとしても、パレイゼがいます。彼は物識りで冷静だし信頼がおける。彼に王位への野心は薄そうだと思ったので、それならリオを王にしたいと思ったんです。リオは優しいから、王には向かないかもしれない。それでも妖精としては素晴らしい才能を持っているし、冷血であるよりも温かい心を持って民と向き合えるほうがいい」
「そうだな」
「ミルディアのほうが政治の才能があるかもしれないということは、私にもわかります。それでも彼女を信用できない。物心ついたときから、ミルディアだけはどうしても受け入れられないままだ……」
イースイルは項垂れた。ネビューリオを王にしたいのは、彼女に決定権ができればことが上手く運びやすいと考えるからだが、ミルディアへの嫌悪感を正当化しているだけのような部分が少しはあるのだった。イースイルはミルディアを王にしたくないからネビューリオを利用しようとしている、と言われても否とは言えない考えを持っている。
自己嫌悪に陥ろうとしているイースイルに対し、ロズは「悪かったよ」と言って彼の肩を叩く。何も追い詰めたいわけではないのだ。彼の気持ちも全くわからないではないし、綺麗な薔薇には棘があるというものだ。ミルディアはまさに薔薇のような王女だった。
「ロズさん……」
「世の中の全てと仲良くできるわけねえし、綺麗ごとだけしかないやつもいねえからな。ま、俺としてもミルディア王女には怪しいと感じさせるとこがないわけじゃなかったんだ」
「そうなんですか?」
「不審者と害獣のことを言ったら目が泳いだように見えた。ちょいと引っかかるだろ?」
黒いローブの者たちと害獣。そして正体不明の襲撃者。ここに繋がりがないとはとても思えない。それだけでなく、ミルディアは何かしら彼らに関する情報を持っているのではないか――そう感じるのだ。ロズの勘だが、そういう予想を立てられるだけの要素がないわけではない。
「魔王を襲撃した連中は手口からして外国人である可能性が高い。動機はよくわからないが、雇われてたってことも考えられる。ゲリアには各地から貴族が集まっていたし、魔王ってのも誰からも好かれてるわけじゃないしな……まあ、どうやって害獣を操ってたかはわかんねえけど」
「……ミルディアは交通網の整備のためといって外国の技師を呼び寄せていると言います。そこへ建前とは違う技術を持ちこむものがいても、おかしくはありません」
「ますます怪しさ爆発してんな。だが魔王とその息子を襲うような理由はあったかな。ミルディアが俺に声をかけてきたのは、魔王と繋がりを持つためじゃないかと思ったんだが」
それが目的だとすれば、もしもミルディアが全て首謀していたなら魔王を襲う理由がわからない。繋がりを強くしたいのでなければ、何のためにロズに声をかけたのだろう。
「魔界に打撃を与えたいなら、俺とわざわざ一対一で話す理由があるかな」
「レテノアでは妖精と魔族が共存していると言いますが、実際には魔界が妖精の地域を囲んでいるだけ……とも言えます。勿論完全に分離しているわけではありませんが、魔界には自治が認められている。それはつまり、妖精たちの都合の良いように動かせないということです。レテノアの、妖精と魔族の主従はギブアンドテイクで成り立っているんですから」
「ああ、そっか……じゃあ俺を使って魔界の情報を引きだすとか、魔界の連中を操ろうとか、そういうのもありうるのかね」
(リオ様が言ったように、本当に気に入られてる――とは思えん)
ネビューリオは、ミルディアがロズを気に入っていると言ったが、全くそれを信じられなかった。ロズは害獣殺しのそよ風の魔女だとはいっても、それ以外には何もないのだ。魔王の親戚というだけで魔術師としては魔術品の制作以外はまるで並だし、妖精としての価値も高くはない。ミルディアの考えがまるでわからない。
「警戒は解けねえな……」
イースイルの正体を知ったラドルフという騎士はミルディアの手先であるという。女神祭では結局何もなかったが、これからより一層の警戒が必要なことは間違いない。他の貴族たちの協力を得ようにも、そのチャンスは潰れてしまったのだ。
「フェルマ公爵の電話番号を貰ったのが一番の収穫かもしれねえ……電話線引いといてよかったぜ。工事にすげえ金かかったけど」
「城ですしね……とにかく、パレイゼと話がつけやすいということですよね。彼も今は後始末で忙しいでしょうから、じっくり話していられるかはわかりませんが」
「それだよなあ。とりあえずかけてみるか」
シャルロッテのことについてはクロヴィスからも手紙を出しているが、電話でも伝えておくべきことだろう。魔界での事件のことも話をしたかったし、王都のほうでは調査が進んでいるのかどうかも確かめたかった。
「……出ねえや。忙しいんだろうか」
「女神祭の後始末が色々とありそうですからね……」
「こういうとき携帯電話とかインターネットってのが恋しいぜ。まだどこもその辺は進んでねえんだよな。テレビとかラジオは結構世に出回ってっけど」
電話があるだけでも充分な進歩ではあるのだが、より便利な世界を知っていると物足りなく感じるものだ。
これから一体どうするか――アイデアが浮かばない。次のチャンスがいつ来るか、どうやって得られるか。答えはすぐには見つからない。
「とりあえずはもっと調べるってとこからかね。フェルマ公爵にはまた今度かけなおすとして。あの不審者どものことはきちんと調査する理由がある」
「でもどうやって調べるんです? 貴族の集まりに参加しようにも、次の機会はまだ先ですよ」
「参加する必要はないだろ。人が潜り込めないなら、人じゃないものに頼むだけだ」
ちょうどそういうのが得意なのがいるしな――とロズはにやりと口を歪めた。
◆◆◆
紅葉の秋である。少し色はくすみ始めた頃である。オーウェルの森を黒いバイクが駆け抜ける。ロズである。
此処は魔物の世界である。ロズのように子供の頃から好んで訪れて慣れているようなもの以外は、何か特別の用事でもない限りは踏み込まない。それゆえに自然が守られ、さまざまな生き物が暮らし、どこかで鳥や獣の鳴き声がしている。魔力炉の発達した動物――魔物も多い。中には気味の悪い、と感じさせるような鳴き声をとどろかせるものもいるが、ロズにとってはいっそ親しみ深いくらいである。
暫くバイクを走らせると、小ぢんまりとした城が見えてくる。魔界伯爵オーウェン・O・オーウェルの居城である。
「忙しいだろうが邪魔するぜ!」
高らかに宣言して城の庭園にバイクを乗り入れる。オーウェンの城のことは勝手知ったる何とやら、ロズはすっかり慣れた様子で庭の隅にバイクを停めた。
近くにいたトカゲのような魔物に頼んで、オーウェンのところまで連れて行ってもらう。オーウェンは執務室で、彼のサイズに合わせた小さめの椅子に座り、同じく小さめの机に向かって何か書類と睨み合いをしていた。ちらりと目に映ったものの中には猫の足跡のような、全く言語として読み取れないものもあるが、魔物には通じる言葉なのだろうか。
「なんです、猫魔会の会合にご興味がおありですか」
「何だそれ」
「吾輩のような猫の魔物たちの集まりでございます。年に何度か会員が集まって世界中の猫と交流するのですよ。世界情勢や美食などついて語り合うのはなかなか面白いのです。ちなみに吾輩は理事です」
「ほんとに何だそれ……」
猫の集まりが何をしているのか気にならないわけではないが、今日のところは別の用事があってきたのだ。そんな話に釣られているどころではない。
「オッさん、頼みがあるんだが」
「魔王城再建に手をとられておりますゆえ吾輩も忙しいのですが。この前の水上を歩ける靴がまだですぞ」
「魔王城のことはベルクからももっと人を派遣するさ。靴は誠意制作中だ。ついでに炎に触っても焼けないグローブでも作ろうか?」
「言質はとりました」
それはつまり話を聞いてくれるということだ。文句を言っても交渉に乗ってくれる辺り、オーウェンはロズに優しい。バルテルミーの血筋あってこそだが、そこそこ深い付き合いをしているだけのことはある。
「それで、吾輩は何をすればよいのです、姫様?」
「――王都に密偵を送ってくれないか。王宮の周辺を探りたい」
「密偵……にございますか」
「ああ。獣なら人には難しい調べものもできるだろ?」
妖精の世界に魔族が入り込むと、どうしても目立つ。尖った耳の形こそ同じでも、魔族には妖精のような羽の痣はないし、人を癒す力もない。そのうえ優秀なものほど角や尾を持っていて異形の姿をしているのだ。
その点で、魔物なら話は別だ。普通の何でもない獣と見分けがつかないようなものも多い。誰にも怪しまれずに人に近づくことができる。そういった魔物の指揮は、オーウェンに与えられている権限である。
「ミルディア王女に怪しいと思うところがあるんだ。でも確証がない」
「ミルディア殿下は妖精の王女なのですぞ。魔王を襲う理由がどこにございます」
「わからない、が、もしかしたら彼女の周辺に何かあるのかもしれない。彼女自身に何もなかったとしても、何か知っているという可能性はある。何かヒントを見つけたいが、王都のことには魔族はあまり首を突っ込めないからさ」
例の襲撃犯が害獣をどうやって操ったのか。タイミングや目撃情報を思えば恐らく王都にいた不審人物と関係があるのだろうが、一体どうやってあれほどの害獣を、害獣除けを擦り抜けて王都に出現させたのだろう。万が一人違いでも、そうと疑わせるような者たちが王都に現れていたことは確かなのだ――ならばそこから探さなくては。犯人探しの手がかりが、残っているかもしれない。
「わかりました。虱を潰すがごとく調べ尽くしてみせましょう」
得意な魔物がおりますゆえ、とオーウェンは言った。頼もしいことだ。
オーウェンに協力の約束をとりつけて、ロズはベルクへ戻った。彼女を出迎えたのはミミであった。
「王都からお手紙が届いておりますの」
「は? 手紙?」
ミミから受け取ったのは、王家の関係者しか使うことが許されていない、金の縁取りが施された上質な黒の封筒だった。その差出人を見て、ロズは驚いた。
「どうかなされましたか?」
ミミが首を傾げる。ロズは手紙を広げながら、その内容を確かめて言った。
「遠出をする。準備を手伝ってくれ……ああ、イースにも言わないと。でもあいつは連れて行けねえし、城で大人しくしててもらうっきゃねえな……」
「あの、一体何が……?」
事情がわかっていないミミの頭を優しく撫でて、ロズは彼女の疑問に答えた。
「――ミルディア王女が、俺に害獣狩りの依頼をしてきた」