第十六話
自分の立場を振りかざしてロズを連れ出したネビューリオだったが、元々そう強引というわけでもないらしい。あれこれと興味を持ってはいるようだが、それを言いだすのは得意ではないのか、ロズの様子を窺っている。
(こりゃ俺を脅したのもだいぶ虚勢だったっぽいか)
ハッタリで人を動かせるくらいには大胆なところがあるくせに、どこか儚いようなところもある。少し緊張しているのか、何となくぎこちない。その様子に既視感を感じて、ロズは一体何かとその正体を思い出そうとした――そうだ、見覚えがある。イースイルがロズの支援を受けられると分かったときに、本当にいいのかと驚いた顔をしていた。あの顔と似ている。本当によく似た兄妹だ。一緒に過ごせば過ごしただけ、似ているところが見つかる。
「――見たいものがあるなら、見に行けばよろしい」
「でも、その……あまりわたくしがよそ見しすぎるのは、あなたにとっては面倒ではないかしら?」
「私を連れ出したお方の言う台詞じゃありませんよ。外のことはあまりご存知ないのでしょう、だったら今のうちに好き勝手しておかなくては」
ほとんど城から出ないというなら、これは彼女が掴みとったチャンスなのだ。それを活かさないまま帰ってしまうのはもったいない。ロズが言うと、ネビューリオは不思議なものを見るような目をした。それから、おかしそうにクスリと笑う。
「あなたは、わたくしを咎めないのね。みんなあれをするなこれをするなと、煩いのに」
「今更お咎めして何の意味がありますか。最初にお止めできなかった時点で、私にはとやかく言う資格はありませんよ。どうせ後であれこれ言われるのですから、今は楽しめばいいのです」
「よくわかっておいでなのね。きっと帰ってからミルディアお姉様に叱られます。パレイゼは……もしかしたら、笑って勉強になったでしょうとか言ってくれるかもしれないけど」
あの人は何でも知ってる人だから、とネビューリオは言った。そのほんのりと頬を染めた表情は柔らかく、少女らしい眩しさに満ちている。
(そういやフェルマ公爵と親しそうにしてたな)
昨日の舞踏会では、彼にエスコートされていたネビューリオは、王女らしい自信に満ちていたように見えた。上に立つ者として教育を受けている未来の王だ。国を動かす男を従え、周りに笑みを振りまていた彼女はまさに王女らしい王女だったといえよう。パレイゼが穏やかな目で彼女に合わせて行動していたことを思えば、その親密さは明白であり、彼女の政権を支えるものは充分にあるというアピールにもなっていた。
「行方不明になった――イースイルお兄様が言っていたのです。パレイゼは信頼できる人だと……わたくし自身、彼には助けられてばかり」
胸元で輝く蜘蛛を指先で撫でながら、ゆったりと歩を進める。ドレスを纏う王女と貴族が並んで歩いているという時点で周りの注目を集めないわけはないが、何よりネビューリオの表情が活き活きとして綺麗だった。年頃の娘が心から楽しそうに笑っていると、それだけで場が華やぐものだが、今笑みを浮かべているのは美しい妖精族の中でも一際輝かしい王族の娘なのだ。
「ネビューリオ殿下は本当にフェルマ公爵のことを心から好いておられるのですね」
「……わたくしはそんなにわかりやすい?」
ネビューリオが首を傾げる。ロズが黙って頷くと、ネビューリオは照れたように苦笑した。
「パレイゼはわたくしの婚約者なのです。尤も、それを喜んでいるのはわたくしだけかもしれませんが」
「そうなのですか?」
「彼はね、お兄様とお友達だったのです。だからわたくしのことも、よく気にかけてくれるのよ。昔からそうでした。お兄様がわたくしと彼を結婚させたがっていたから――だからパレイゼは、それに従うかたちでわたくしと婚約してくれたの」
(……本当にそれだけだろうか?)
ロズが昨日見たパレイゼは、ネビューリオをよく気遣っていた。確かに表情はわかりにくかったけれど、そこに全く情がないということはないと感じたが、元々王族周りのことについてはロズも明るくない。イースイルに訪ねさせたが、今頃どうしているだろうか。
「賢者と呼ばれるあの人と違って、わたくしは知らないことばかり。国のために必要なことだから手を差し伸べてくれるけれど、きっと話し相手としては、つまらないでしょうね……」
「――ならば、今日はフェルマ公爵の知らないものを探しましょうか」
「パレイゼが知らないもの……?」
「いくら賢者とはいっても神ではないのですから、知らないことの一つや二つ、探せばあるかもしれませんよ」
折角の可愛らしい姫君の笑顔が曇るのはよろしくない。御手をどうぞ、とロズが大仰に言うと、ネビューリオははにかみながら手を出した。
ロズはネビューリオが興味を示したものについて、一緒になって店主に話を聞きだしたり、気が向けば手もちの現金を出して商品を買った。搾りたてのフルーツジュースと小さな紙袋に何種類か味の違うプラリネを詰めたものを持ち歩くのだ。それなりに上質なドレスには全く似合わないが、ストリートフードもまた街を歩く楽しみの一つだ。
「みんなこういうものを楽しみにしているのね。城でやったらお行儀が悪いって言われちゃうわ」
「今は私しか見ていませんからね。存分に楽しむとよろしい」
「ふふっ、なんだかお兄様と一緒にいるみたい」
「私は男っぽいかな?」
「……少し。男性のよう、というか……女性と一緒にいる、という感じがあまりしなくて」
(まあ中身俺だしなア)
幼い頃から生まれる前の自分のことを認識していたロズは、いわゆるところの前世の影響が強く現れている。女性として育てられているから作法こそしばらく猫を被れる程度には身に着いたが、男性だった頃の感覚もまだ残っている。そもそも性別以前にがさつなところがあるので、嫋やかな女らしさというものは足りていないかもしれなかった。
ネビューリオが「お気を悪くされたかしら」と不安げにしているのを、何でもないと笑みで返す。本当に何でもないことだし、女らしい女というには色々問題があるのは事実だ。
「何なら私を兄のように思っていただいても構わないのですよ。どうぞロズと気軽にお呼びください」
「あなたってほんとに面白い方ね。お姉様が独り占めしたがる気持ち、わかる気がします」
「ミルディア殿下が何か言っておられたのですか?」
「いいえ、何にも。お姉様はそういう話はわたくしには内緒にしたがるから。仲良しのお友達のこと、何も教えてくれないの。でも見ていればわかる……お姉様はベルク公爵のこと――ロズのこと、気に入ってらっしゃるのよ」
その口ぶりに迷いはない。それが真実だと信じている、そういう言い方だ。それをどこか面白くないと思っている、そういう言い方でもある。
事実ロズは舞踏会の際しばらくとはいえミルディアと二人で別室に移って話をした。主に今後のレテノアについて、技術開発を進めていこうという話だ。外国の技術を用いた交通網の整備に熱心であるらしいミルディアは、思いの丈を熱っぽくロズに語っていた。それを思えば多少なりとも彼女から気にかけられているというのは間違いでもないのだろう。
(向こうは俺が魔王の姪だから気にしてるんだろうが……)
それ以外に好かれるような要素はない、とロズは思う。ミルディアは魅力的な女だが、あれは損得勘定をする者の顔だった。決してロズ個人に興味があるのではない。後ろにいる烈風魔王やその跡継ぎを見ているだけだ。靡かない女を振り向かせたくなる男の気持ちはわかるが、自分が彼女の心を掴んだとは到底思えなかった。
「わたくしもあなたのこと好きよ。噂でしか知らなかったけど、とっても素敵な人だってわかったから」
「おや、嬉しいことを言ってくださる」
「良ければわたくしのことはリオと呼んで。親しい人にはそう呼ばれているの。ロズにも呼んでほしい」
ロズが「ではリオ様と」と答えると、彼女は満足そうな顔をした。嬉しそうで、どこか安心したようにも見える。心細いところへ味方を得たような、そんな顔だ。
(ミルディア殿下はあまりリオ様と何でも話すわけじゃないようだし)
むしろイースイルが警戒していたくらいの相手だ。そのイースイルの同腹の妹に対して何も思わないミルディアではないだろう。表向きにはミルディアはネビューリオを支える一人となっているが、実態はそうでもないのかもしれない。主導権を奪われがちになっていてもおかしくない。
「……最近は、貴族が何人も亡くなって、ちょっと落ち着かないの。お父様も弱っていく一方で……わたくし一人ではできることも少ないけど、もっとレテノアを良くしていくために、ロズも力を貸してほしいわ」
ネビューリオが言った。その声色から完全に不安が抜けきっているわけではなかったが、やはり不思議と力強さを感じさせる声だった。心優しい乙女が背負うには国は大きすぎるものではあるが、それも抱えていけるだけの器は、彼女にもあるということだろうか。
自分一人では大きなことはできないとわかっている。そしてそれを成すために誰かの手を借りればいいことを知っている。ミルディアほどの迫力はないが、それなりに大胆で行動力もないわけではない。ロズが王として仰ぐなら及第点だ。これなら彼女を王にしたいというイースイルに素直に協力していくことができる。
「あ、ねえロズ、あれって何かしら? 人だかりができてます」
「大道芸人がいるようですね。見ていきましょうか?」
ネビューリオが指した方向に、派手な衣装を着て、道化師のように化粧をした男が立っていた。周りに人が集まっていて、どうやら手品を披露しているようだった。
何か成功させると集まった観客が拍手をしてチップを投げる。ネビューリオはその様子を物珍しそうに観察していた。
「ロズ、今ステッキが薔薇に変わったわ! 魔術……ではないのよね。一体どうやってるのかしら、すごい」
(純粋だ……)
普段こういったものを見る機会はあまりないのだろう、今日一番きらきらした目をして道化師を見つめている。他の観客と一緒になって拍手を送っているネビューリオは、王家の姫君という感じがあまりしなかった。それは悪い意味ではなく、親しみが持てるものだ。
ロズも彼女の隣で道化師の出し物を見る。前世でもどこかで見たことがあるようなものばかりだが、見せ方が上手いのかなかなか楽しめる。トリックがわかるものもあるが、それを暴くのは無粋だろう。
(魔術のある世界でもこういうもんが生まれるってのは面白い話かもしれねえな)
尤も地球でも魔術が信じられていた時代に手品は存在していたのだから、そういうものが生まれるのは自然なことなのかもしれないが。
実際に魔術で杖を花にしようと思ったら手段はないわけではないが、そのコストを考えると実際にそれをやろうと考えるものはほとんどいない。手間がかかりすぎるのだ。そういう意味では人に見せるための派手な手品はまさに芸そのものといえよう。
道化師がよく磨いてきた芸に見入る。彼が生きていくために磨いてきたものだけあって、見応えはある。ロズも拍手を送り、チップとして銀貨を投げる。
「さあ、ご注目ください皆々様。次はこのシルクハットから鳩を出してご覧に入れましょう」
道化師が高らかに宣言し、自分が被っていた派手な色合いのシルクハットを脱いだそのときであった。
「きゃあああ――――――ッ!」
甲高い女の悲鳴が響き渡る。次の瞬間、辺りが黒い影に覆われ、そこに集まっていたものたちは次々と悲鳴を上げてそこから逃げようと走り出す。
「こいつは、害獣か!」
ロズが見上げると、そこに見えたのは黒っぽい巨大な翼を持つ何かだった。体そのものに対して翼が異様に大きく、ばさりと羽ばたくだけで強い風が巻き起こる。逆光のせいで一体どのような姿なのかはっきりとは確認できなかったが、異常事態であることだけは確かだった。この街中で突如害獣が現れた――それだけが現実なのだ!
「ど、うして……ゲリアには害獣除けの結界があるのに……」
「リオ様!」
この混乱の最中でロズが最も優先すべき存在は彼女だ。彼女を守らなくては、何のための魔界貴族かわからない。呆然とするネビューリオの手を引いて、ロズは近くの建物の影に隠れた。
(早く片付けねえと)
害獣は正常な生物を襲う危険な怪物だ。ロズはそれを放置できない――ドレスの下に隠された拳銃にそろりと手が伸びる。これはそよ風の魔女の『仕事』だ。