第十四話
ロズがゲリアを訪れて二日目である。不審人物の目撃情報のせいで、柊館でも警備体制がいっそう厳重になっていた。王国の騎士たちがゲストの貴族たちを護衛するため剣を持っており、祭りであるにも関わらず物々しい雰囲気がしている。
今朝からロズにも護衛を、という話はあったが、それは彼女自身が断った。
「結構。お気遣いはありがたいが、私に護衛は不要だ」
「しかし……」
「この私を侮っているのか。私が魔女であるということをお忘れか」
何せ魔族である。それも魔王の姪である。元々妖精を守るために戦う存在が守られるのはおかしいからと挨拶に来た騎士はそのまま返した。そもそもそんなものを連れて歩くと監視されているようで居心地が悪いというものだ。
「猫被るのはお偉方相手だけで充分だぜ。背中がパリパリする」
「ロズさんはお疲れみたいですね……」
「そこそこな。やっぱ慣れねえことするとなア」
肉体的な疲れ以上に精神的な疲れが大きい。淑女らしくするというのはかねてより魔王や従兄から言われてきたことだったが、ロズにとって容易なことではなかった。少々芝居がかって大袈裟なくらいに振る舞っていなければそれらしく見せられそうもない。護衛がついていては気が休まるタイミングがなくなってしまう。
また、万が一イースイルのことが露見してもいけない――尤も既に知られてしまった相手がいるというのは、昨夜のうちに彼から事情を聞いている。今のところミルディア王女に目立った動きはないが、例のラドルフから話が伝わっているとすれば、女神祭の三日間のうちに解決できることと思われているのは容易く想像がつく話だった。それはそれで対応を考えなければならないことではあるが、それ以上自分から弱みを晒していく理由はなかった。
「逆にもう知られることは恐れないで動くっていうのもアリか。どこから話が広まるかわからねえ状況になったんだから。俺もフェルマ公爵殿に挨拶したかったってミルディア殿下に言っちまったし、イース、お前うちの使者として会いに行けよ」
「開き直るのも手、ということですか」
ではそうします、とイースイルは頷いた。状況が変わると切れるカードもまた変わるものだ。
ミミが不安そうにロズを見上げた。
「ミミが余計なことをしてしまいましたでしょうか」
「いや、そんな不審人物いたら俺だって通報するわ。ただでさえ近頃不穏な事件の話ちょいちょい聞くんだしな。お前はとりあえず不審者怖いアピールしとけ」
「それに何か意味があるんですの……?」
「俺たちは関係ないという潔白の主張」
(ま、そこで潔白を証明してもイースの行動が楽になるってわけじゃねえんだけどよ)
少なくとも余計な敵は作らないで済むようにしたいのだ。出来る限り危険に晒されないままで行動したい。既に難易度は上がっているが、どうにかこのゲリアでイースイルの味方になってくれる者を作らなければならないのだ。
それが一番期待できる相手といえば、ロズもイースイルも思い浮かぶのはただ一人――パレイゼ・リード・フェルマ公爵だった。
昨晩はあまりゆっくり話しているどころではなかったが、今日も王城の庭園で宮廷楽団による演奏会が開かれ、王都に暮らす貴族たちの茶会等がある。どこかでパレイゼを捕まえてゆっくり話をしたいところだった。シャルロッテの縁があるからロズには話しかける理由があるし、イースイルはパレイゼのことを次期国王候補の一人と見ている。彼の先導で幾つもの学校が建てられ、海外の技術が取り入れられるようになり、レテノアの時代は一歩進んだ。それだけの実力を持った人物でもあるということだ――彼を味方につけられれば、どれほど心強いことか。
「話を聞いてくれるといいんだけどなア」
「彼は……私の友人でもあります。きっと力になってくれる、と信じたいのですが」
「ま、できるところからってやつだな。俺はネビューリオ王女を探してみるか……」
とにかく、隙あらば捕まえて話をするしかない。レテノアの政治を動かす者たちなのだ、彼らと話をすれば現状の詳細も理解できるというものだ。ロズがネビューリオ王女を見定めるための判断材料にもなる。ロズはイースイルを気に入って彼を手伝っているが、その一方で魔界の利益も考えなければならないのだ。
――と、そう思っていたロズだったが、ことは思わぬ方向へ転がるものである。
「わたくし、こんなふうに外を出歩くのは初めてです!」
「ああ、そうですか……私は外へ出るのは慣れておりますが、私もゲリアのことはよく知りません。特に今は女神祭ですから……お互い楽しみが多いですね」
「ええ、本当に!」
(つーかどうしてこんなことになっているんだ……)
天高く陽が昇る真昼、ロズは晴れやかな顔で目を輝かせる無邪気な乙女――ネビューリオ王女と共に街中を歩いていた。他に連れはいない。ロズが王女の護衛を務めているからだ。魔族が妖精を守る、至極当然のことだが、レテノアの時期国王に護衛がロズ一人というのは決して普通のことではない。王族が側近というわけでもないものを供にするということも、その供がたった一人であるということも異常事態だ。ロズに謀反の心などないが、ないとしてもこれほど信頼を向けられるとも思っていなかった。
ロズは今日の出来事を思い返す。そもそもの始まりは何だったかといえば、ロズが彼女に上手く言いくるめられてしまったことにある。
◆◆◆
パレイゼを訪ねて出かけたイースイルと別れて、ネビューリオと接触するために城へ向かった彼女は、一般にも公開されている見事な庭園を見て回り、音楽家たちの奏でる演奏に耳を傾けながら、庶民たちと軽く挨拶しつつ目的の王女を探していた。庭園は一般公開されているから、そこに集まる者たちに貴族も庶民もない。どうしても庶民と接するのが苦手だというような連中は使用人たちに見張らせて庭園の一区画を占領している。
さて、そんな中で目当ての人物を見つけようとすると難しい。何せ人が多いのだ。当然政治の中心人物だから他の貴族たちと共にいるのではないかと予想したが、なかなか姿が見つからない。あの華々しいミルディアの姿は貴族たちの集まりの中にちらりと見えたが、今は近づく気は起きない。
他の貴族たちの話の輪に迂闊に首を突っ込むと「そよ風の魔女殿」と好かない通り名を呼ばれるハメになる。気疲れしたロズは少し休憩しようと、庭園の隅のほうでひっそりと存在していた丁寧に切り揃えられた木の影に入った――そしてそこにいた王女ネビューリオと出会った。
彼女はすぐにロズに気がついて「ベルク公爵ではありませんか。ごきげんよう」と可憐な唇で微笑んだ。
二つに結った黒髪をロールヘアにしている灰色の瞳の乙女。イースイルと同じ色をした娘。至上の妖精と謳われし王女――どこからどう見ても間違いなくネビューリオその人だった。
「な……ぜ、ネビューリオ殿下が、このような場所に」
やっとのことで出てきたのはそれだけだった。幼いとはいえ、仮にもレテノアの頂点に立つ者が、まさか貴族たちの集まりの中ではなくひっそりとした場所に隠れているとは思わなかったのだ。供もつけずに出歩くには、近頃のゲリアは騒がしすぎるというのに。
ネビューリオは悪戯がばれた子猫のように伏し目がちにロズの様子を窺ってくる。少し照れたように白い頬に赤みが差している。
「実は……わたくし、あなたにお会いしたかったの。どうにか外の様子が見えないかと思っていましたが、無理に自分だけで外を覗く必要はありませんでしたね。此処であなたと会えましたもの」
「私を、お探しだったのか?」
探していた相手が、まさか向こうも自分を探していたとは思わずロズは驚いた。ネビューリオは深く頷いた。
「ええ。昨日は……ミルディアお姉様にとられてしまいましたから。今日こそはゆっくりお話してみたいと思っていたのです」
「それは光栄だ。だが、どうして……」
全く理由が思い当たらない。元々親交があったわけではない。そよ風の魔女という呼び名は不本意ながら浸透しているが、大切に育てられてきた王女が、ろくに話もしないうちから興味を持つ相手としては荒っぽさが過ぎるのではなかろうか。ロズ自身がそう感じている。清らかな王女と違って、ロズはその手を害獣の血に染め抜いてきたのだ。害獣殺しの魔女は魔界では親しまれるが、妖精相手には恐れられることすらあるというのに。
しかしながら、ネビューリオの瞳には、恐れの色など滲んですらいなかった。そこに見えるのは期待と羨望。国の頂点に立つ者が臣下に向けるには、その視線は焦がされそうなほど強い。
「お願いがあるのです」
鈴を転がすようなソプラノで語る。弱々しいようでいて、どこか芯の強さを感じさせる声だった。
――そして彼女は、外を望んだ。
◆◆◆
「わたくしは城の外のことをあまり知らないのです。あなたならきっとわたくしに色々教えてくださるのではないかと思ったの」
王女の侍女や騎士たちは、万が一のことがあってはいけないと彼女を閉じ込めようとするのだという。その見張るような目を掻い潜り、抜け出して隠れていたところをロズと出会ったというのだ。
確かにロズは元々魔族の戦士として育てられているから、何か起きた際にも対応しやすいところはある。腕っ節は勿論のこと、たとえ人並みとはいえ魔術の才もあるのだから幅広く対応できることは間違いない。パレイゼを通じてロズの噂を聞いていたネビューリオは、自分を絶対に守ってくれると言いきれるような相手がいれば外へ出られるのではないかと考えたらしい。
「嫌だというならわたくし一人で出ていっちゃうんですから!」と脅されれば流石にロズも頷くしかなかった。実際に彼女が外へ出られる方法があるのかはともかくとして、本当に何か起きて問題になったら責任を問われるのはロズになるかもしれない。保身に走りたいところだったが、どうするにせよ責任を持つのなら、自分の目の届くところにいてくれるほうが良いと思った彼女は、結局王女の言いなりになった。自分がそよ風の魔女であるということを前面に押し出して門番や騎士たちを納得させ、堂々と正門から外へ出たのである。
(俺が言えたことじゃねえかもだけど、なんつーか大胆な姫様だなア……)
あまり外に出られないせいでパワーがあり余っているとでもいうのだろうか。外へ出たいからと外へ出られる状況を作りだそうとする辺り、か弱く見えてもそれだけというわけではないらしい。色々行き当たりばったりな計画を立ててそれを実行するあたりが、イースイルとよく似ている。
何かに興味を持って体を傾ける度に、ネビューリオのドレスが菫の花びらのようにふわりと揺れる。本当に初めて見るものばかりなのだろう。客引きの声につられて目線は移ろい、露店に並んだ花や飾りを見て目を輝かせる。
そんな中で、ネビューリオがある一点に注目して足を止めた。さて何かと思ってロズもその視線を追えば、色のついた石を使った装飾品であった。その中でも彼女が見ているのは、蜘蛛の形をしたブローチだった。台座に透き通った水色の石が嵌められており、光の加減によっては緑色のようにも見えた。
「殿下はこのようなものがお好みか?」
「はい、あの……わたくし、蜘蛛って好きです。毒々しいけど、逞しくて、強くて……それに、悪い虫を食べちゃう」
ネビューリオはロズに語っているようでいて、その瞳には蜘蛛だけしか映していなかった。もしかしたらそれは独り言に近いものだったかもしれない。着飾るための道具が欲しいというよりは、蜘蛛というモチーフに惹かれたようだった。乙女が惹かれるものとしてはややいかついものではあるが、それはそれで独特の魅力があるのは違いない。
「……ふむ。店主、これをくれ」
「ベルク公爵?」
手持ちの現金から代金を支払い、蜘蛛を受け取る。貴族らしい買い物ではないかもしれないが、堅苦しく振る舞うよりは民と近い目線で行動したいロズとしては、いくらか手もちは常に用意している。特にこういった祭りの出店にあるような安物のブローチは現金で買えば後々煩わしくない。
台座にとりつけられた石自体は、作り物ではなく本物の石のようだった。宝石と呼べるような上等なものではない。ロズは蜘蛛に触れる指先に集中し、手の中に握るようにして魔力を注ぎ込んで魔術式を刻みつける。イメージするのは蜘蛛そのものだ。狩人のように強く逞しく、それでいて素早く、彼女の傍に控えられるもの――。
「あの、なにを……?」
「何、折角の殿下のお出かけに土産の一つもなければ寂しいでしょう。こんなものはいかがかな、と」
ロズが指を開くと、そこにあるのはやはり蜘蛛のブローチであった。しかし、それはまるで生きているかのように動きだし、ロズの手から飛び跳ねてネビューリオのドレスを這い上がった。そして此処が落ち着くといわんばかりに、王女の胸元に張りついて動きを止めた。
「まあ……! 生きているのね!」
「即席の魔術品ですが、お気に召しましたか」
持ち主の言うことを聞く人形ですよ、とロズが言えば、ネビューリオは嬉しそうに目を細めて「ありがとう」と言った。まだ成人もしていない、少女らしい笑みだった。
――まだ祭りの出店はいくつもある。ゆっくりと回るうちに、話をしなければならない。