第十一話
王都ゲリアの柊館。真っ白な外壁と絢爛な装飾が印象的な館だ。この豪奢な迎賓館はレテノア王家の権力の象徴であり、妖精たちがかつてのように虐げられるものではなくなったと示すものでもある。身を守るために魔族と結びつき、妖精の魔法医療を切り売りして得た財だ。
挨拶の前に身支度を整え直したい、と言うと使用人たちによって客室に案内され、また後から迎えに来ると言って彼らは仕事に戻った。それを見送ってから部屋を確認する。
ロズが通された客室は壁が厚いのか、あまり外の音が聞こえないようだった。すぐ隣には控室があり、使用人の寝泊りに関して全く不便はない。
(秘密の話し合い、なんてのにぴったりかもしれんな)
もしかしたら此処へ招かれた貴族たちの中には、そういう腹積もりでいる者も多いかもしれない。そもそもそのために用意されたといっても過言ではないような造りである。
「盗聴器……は流石にないか」
ロズが部屋の中に風を起こして探ってみても、怪しいものは特になかった。そもそも人間の生み出した技術はこの国では普及しきっていないのだ。流石にそこまではまだ手をつけていないらしい。
「ま、悪くはないな。でも控室は一部屋だろ……ベッドいくつあった?」
「ひとつですけど……私はどこででも寝られます。それなりに慣れましたから……」
「あら、ロズ様の恋人にそんなことをさせるわけにはまいりませんの。こういったこともあろうかとミミは寝具を持参しておりますの」
持ち込んだ荷物の中から彼女が取り出したのは箱だった。いわゆるところの段ボールである。以前ロズが外国からモノを輸入した際に梱包に使われていたものだが――ミミはいたく気に入っているようである。
「寝具なんですか」
イースイルが呟くように言った。確かにアンティークの家具が並ぶこの屋敷で段ボール箱というのは似合わないにも程がある。否、それだけではない。エプロンドレスをきっちりと着ている彼女が段ボールに入るという行為自体がイメージにそぐわない。だがミミは全く気にしていないようで、白い尾を揺らした。
「ミミはどうにも大きいベッドというのは慣れませんの。こういうとき人間の技術というのはよいものです。断熱性に優れたよい箱ですの。レテノアでもどんどん生産すればよいのに」
(俺の悪影響かなア……)
子供の頃からロズに仕えてきたミミは何とも言えず逞しい。ロズが魔界貴族らしく淑女然として育っていればまた違ったのかもしれないが、前世の記憶を思い出してそれを全く無視できるほど、幼い頃のロズは成熟していなかった。以前の思い出は当たり前のように馴染み、行動にもそれが現れ――それを間近で見ていたミミに影響がないはずがなかった。
彼女の段ボール箱も元はロズが与えたものである。
(猫だし狭いところ好きそうとか思ったのがダメだったんだろうか)
箱の大きさはちょうどミミが体を縮めたらぴったり入るという具合である。しっくりくるといえばくるが、見た目はあまりよくない。ベルクでは頻繁に通商のやり取りをして次々と新しいものが入ってきていたため梱包用段ボールに違和感も何もなかったが、ここではどうにも浮いていた。
「ともかくミミのプライベートスペースは守られておりますの。少なくとも視界はシャットアウトで完璧でございます。音は聞こえますので有事にも差し障りはありませんの」
「お、おう……そうか……」
(シルクハットの汗吸うのに仕込むことあるし、そんなもん……なのかねェ……)
ただし梱包材としてはまだまだ馴染みの薄いものである。レテノアでは何かとそういう技術が遅れていた。違和感を拭えるものではなかった――が、そもそも寝具扱いで持ってきたものだ。この三日間も部屋から出すことはまずないので、それでいいのかもしれなかった。
ロズは改めて自分の格好がおかしくないか、部屋の鏡で確認した。拳銃は足首より少し上の辺りにつけたホルスターに収めてある。ロングスカートに隠れており、多少動き回っても簡単には外から見えないようになっている。
短い髪を整えればそれなりに見えるものだ。イースイルとミミを置いて、柊館の使用人たちの案内で晩餐会へ向かうと、妖精の貴族たちの顔が見えた。美しい若者のような外見の者ばかりなのは、魔力豊かな妖精たちが老いるのが遅いためだ。それは魔族も同じことだが、美貌は間違いなく妖精の特徴である。誰も彼もが美形だから、その中でもとびきり美しいか、不細工でないといっそ特徴がないともいえた。
そんな貴族たちの中に一際存在感を放つ女性がいた。豊かな栗毛の髪は腰まで伸びており、切れ長の目は新緑の色をしている。豊満な体つきが強調されるような真紅のドレスが目を引くが、それ以上に彼女の華やかな美貌が群を抜いている。彼女はロズに気が付くと妖艶な紅薔薇に似た笑みを浮かべて近づいてくる。
「ベルク公爵、ようこそいらしてくださいました」
「お招きいただき光栄です――ミルディア王女殿下。遅れましたが、御成人おめでとうございます」
ロズが挨拶をしながら様子を窺うと、彼女――ミルディアは満足げに微笑んでいた。
ミルディア・グレネ・ラペイレット。イースイルの腹違いの妹だ。イースイルは王の正室であるロラン妃の子だが、彼女は側室の娘であり、あまり顔立ちも雰囲気も似ていなかった。妖精として他人を癒す才能はロラン妃の子供たちには及ばないといわれているが、成人しないうちから政治の中心に関わってきただけはあって、弁舌が立つことは間違いなかった。ロズは直接の面識はこれが初めてになるが、新聞のニュースや噂話から伝え聞いていたとおりの印象を受けた――華々しい美女である。
「今宵の宴、どうか楽しんでくださいましね」とミルディアは言った。他にも数多くのゲストがいる。いちいち対応しなければならない彼女は忙しいのだろう、また別のゲストが訪れてはミルディアに挨拶にやってくる。挨拶もそこそこに一旦離れようとしたロズに、ミルディアは笑いかけた。
「よろしければ後でわたくしとお話しませんこと? ぜひそよ風の魔女と謳われるあなたのお話を聞きたいのですが……どうかしら」
「……ええ、ぜひ。私も一度ゆっくり話をしたいと思っていたところです」
レテノアの政治を動かす若き王女の考えを、魔界貴族として知りたいと思うのは不自然な話ではないのだ――ロズは何故か返事をするのに緊張した。先程からミルディアが浮かべている笑みが、美しいはずなのに、それにどこか冷たいものを感じている。
イースイルがミルディアに対して何か思うところがあるらしいとは感づいていたが、もしかしたらこれが原因かもしれなかった。顔立ちも立ち姿も美しいが、その笑みに柔らかさがあまりないように見えるのだ。
(腹の中は何色だろうな)
晩餐会の後は舞踏会の予定となっている。尤もその舞踏会はパートナーがいる者は踊ればよい、といったようなところであるといわれており、実際には貴族同士の社交場として対話がメインになっている――と、ロズはそんな話を聞いたことがある。長命で経験豊富な魔界貴族たちの噂話は自然と耳に入ってくるものだ。
やがて晩餐会の時間となり、食事が運ばれてくる。ロズも口をつけたが、見た目にも拘っているらしい花の形に細工が施された食事――恐らく一流の料理人たちの手によって作られているそれは、あまり食べたという気がしなかった。今日という日は長くなりそうだ、と予感しながら、グラスに注がれた葡萄酒を飲み干した。
◆◆◆
控室に残ったイースイルは、王都を出歩くために支度をしていた。ミミはロズからある程度の事情を聞いており、イースイルのやることに対して特に文句を言うということはなかった――が、いざ外へ行こうとするとき、ミミは彼を呼び止めた。
「イース殿」
「はい、なんでしょうか」
「ロズ様の恋人であるあなたにこういうことを言うのはどうかとは思わないでもないですが、あえて言わせていただきますの」
真剣な様子で居住まいを正すミミにつられて、イースイルも姿勢を正して彼女の話に耳を傾ける。ミミはコホンとひとつ咳払いをして、言った。
「ミミはあなたがわかりません。ですから見極めさせていただきます」
「見極める……ですか」
「ロズ様がお選びになった方とはいえ、何やら色々秘密を抱えているお方では不安もあるというものですの。ミミはロズ様には幸せになっていただきたいのです」
控室の中は緊張した空気で張り詰める。ミミの大きな瞳は可愛らしいが、しかし獲物を狙うかのような鋭さがあった。猫とはいえ魔物である。普通の猫よりも大きければ、二足歩行をして人語を解する。ミミは充分に力のある生き物なのだった。何せロズの侍女を務めるほどだ。常に魔界貴族の傍にいるのなら、ある程度強さを持つほうがよい――魔王の姪たるロズの侍女ならば、それくらいの威圧感があって当然のことだった。
「……確かに、私が怪しいことは否定できるものではない。ロズさんに迷惑をかけているのも事実だし、お互いわからないこともまだまだある。けれど、私にできることはしたいと思っています」
イースイルは言った。そう思うのは本当だ。ロズに助けられ、こうして王都まで連れてきてもらう――その恩があるだけでなく、気さくなロズの気質に惹かれるものがあるのは嘘ではない。だから歩み寄り、深く知ろうとしている真っ最中だ。前世の記憶があるという似た境遇だから親しみはある――尤も恋人という立場ではあるが実際にはお互い恋愛感情というものがあるのかどうかわかっていないので、イースイルとしては自分が幸せにするとは言えないが。
ミミは大きく溜息をついて肩を竦めるような仕草をした。
「あまり厳しいことを言うつもりはありませんの。ロズ様も決して善良なだけのお方ではありませんから……ともかく、ロズ様を悲しませるようなことだけは許しませんの。よろしくて?」
「肝に銘じよう」
イースイルが頷くと、ミミは「何か御用があるのでしょう」と彼を部屋から追い出した。その際、「理由があるほうがやりやすいでしょうから」と何か紙切れといくらか銀貨を渡され、確認してみるとあれこれ入用なものの買い物リストであった。丁寧な字で「お遣いをお願いします」という一言が添えられている。物腰は丁寧で、どうにも好かれてはいないようだが、その心遣いは確かにありがたいものであった。これならば、イースイルがどこを歩いていようともある程度言い訳が利くというものだ。イースイルは苦笑して柊館を後にした。
一匹残ったミミは、彼が出ていった後のドアを暫く見つめてから、もう一度溜息をついた。
「今までロズ様がミミに黙っていたことなんて何もありませんでしたのに」
幼い頃からロズに仕え、主従でありながら姉妹のように育ってきたため、ミミが主のことで知らないことなどないはずだった。それが、数日前に突然男を連れてきたときの衝撃は、表にはあまり出さなかったが、小さいものではなかった。それまで幾度も魔王から勧められてきた見合い話を蹴り続けてきたので男性に興味がないのかもしれないと疑っていたところへ、まさか身元の知れない者を連れてくるとは予想していなかったのだ。
「ロズ様……」
旅人のイース。何か事情を抱えているらしい男。本当は高貴な血筋であるらしい――というところはある程度聞かされている。それはロズの信頼によるものだが、ミミには恋人を隠しとおしていたのは少なからずショックだった。そもそもロズとイースイルの間に恋愛感情らしいものが乏しく、世間で言うところの恋人になったのはベルク城についてからのことなのだが、ミミがそのことに気づくことはなかった。
「悪人ではないようだし、それでよいのかしら……ああ、ミミも経験が少ないことはどうしていいか……ちょっと嫌味だったかもしれませんの。言葉は難しいですの……」
ベルクから持ち込んだロズの衣装等の荷物を整理しながらミミが呟いた。分厚い壁のおかげで、その呟きが外へ洩れることはなかったが、もし彼女の後ろ姿を見るものがいれば、落ち込んだように見えたであろう。ミミの白い尾はだらりと垂れさがっていた。