差し入れ
「稲風サンっっ! 今日、部活の帰り、ワタシの家に寄って下さいねっ!」
朝練が終わって、教室へ向かう途中。秋鹿アベリア君が、嬉しそうに僕に言ってきた。
「何なんだい」
「そんな思いっきり嫌ソウな顔しないで下さいナ! とーってもいいものを用意してるんですヨ!」
僕が素っ気なく返すと、大抵の人間はこれで離れていくのだが、秋鹿君はその真逆で人の腕を掴んでぶんぶんふる。あいつは小柄な見た目に似合わず、バカヂカラで、僕は身体ががくんがくん揺れて、荷物が肩からずり落ちる。
「秋鹿君!」
僕が再び文句を言おうとした時には。その陽気な後輩は既に手を離し、絶対ですヨー! と嬉しそうに言って一年の校舎に向かって走っていった。僕は溜息をつく。やれやれ、またいつものあの子のペースだよと思う。秋鹿君はいつだって、強引なのだが。それに未だ付き合っている自分がいるのは自分の責任だ。彼女の強引さは、嫌味なもんじゃないから、無碍にできない。
そして、放課後。秋鹿君は家(意外と大きい)に着くと僕を玄関に残して、家の中に入っていったがすぐに水色の弁当箱を持って現れる。
「はい。これどうぞデス。お家に帰ったら食べてくださいネ!」
そう言って箱を差し出し、ニコニコしている。おかずか、ご飯に合うものがいいな。
「何が入っているんだい?」
僕の問いにも、にんまりと笑うだけだ。
「内緒デス」
「あんまり振り回さないで下さいネ」
そう念を押され、僕は秋鹿君の家を後にした。家に着いて、箱の蓋を開けてみる。中には。長方形の白いパンのサンドウィッチが並んでいた。しかし。中に挟まっているのはどう見ても、卵やハム、野菜などではなく。甘そうな生クリームと果物。
「うえ。生クリームか……」
悪態をつきながらも、ハードな部活後の空腹に耐え切れず一口かじってみる。
(あれ?)
想像していたよりもそれは、甘くは無かった。それは全然舌触りも、甘みも違うクリームだった。抑えられた控えめな甘さと、ふわりとしたクリーム。中に入っている林檎、蜜柑、バナナの甘いと感じるくらいの。市販のケーキ類とは比べ物にならない。
「……うまい……」
その日、僕は初めて甘いものを一人でぺろりと食べてしまった。お陰で夕飯があまり食べられなかったぐらい。しかし、それだけ美味しかったのだ。
次の日の朝。秋鹿君が嬉しそうにベルの音でやってくる犬如く近寄ってきた。開口一番。
「美味しかったデスカ? 稲風サン!」
「……ああ。美味しかったよ」
僕のその言葉を聞き、ますます顔を輝かせる。
「よかったデス! あのサンドイッチは甘いもの苦手な人でも、美味しいって言ってくれるんですヨ」
「……君が作ったのか」
あんまり嬉しそうな秋鹿君の顔を見て、僕は苦笑しながらそういった。まあ半分冗談だが。
「エーそんな意外そうな顔をしなくてもいいじゃないでショウ! そうですよって言い辛くなるじゃデスカ!」
僕の肩を、またバカヂカラで思い切り叩く。叩かれたところが地味に痛むんだが……。
「……だから……秋鹿君……」
確かに言い方が悪かったのは認める。だが黙って叩かれるほど罪悪感はないので文句を言おうとした秋鹿君の方に向き直った僕の鼻先に。昨日とは違ったオレンジ色の箱が差し出されていた。
「昨日は誕生日イヴでしたから、変化球でフルーツサンドにしましケド、今日は別物デス!」
きょとんとしている僕に、秋鹿君は首をかしげた。かくんと首と一緒にポニーテールも横に揺れた。
「あれー? 稲風サン? もしかして忘れてマス? 自分の誕生日?」
「あ、」
その言葉を聞いて、僕は思わず固まる。すっかりしっかり忘れていたからだ。僕独り暮らしだし。
「あのフルーツサンドは、いつもワタシの家で利用しているレストランのレシピなんですネ。甘さが控えめで食べやすいですよね? なので、甘いの苦手な人ピッタリなレシピ教えてもらったんデス。そこで働いてる一人が、ワタシの母の親戚にあたる人だったノデ」
確かにあれは美味しかった。というか。君の親類にそんなわがままが利く店が知って居る方が、驚きものだが。妙な感心をしている僕に、もう一度箱を差し出す。
「お誕生日、おめでとうございます。稲風サン」
まるで、自分のことにように喜ぶ、目の前の無邪気な笑顔に。不覚にもどきんとしてしまった。どんな理屈も抜きで、彼女の笑顔は反則なんだ。そんな無防備に笑ってくれるな。……っていうか。これが秋鹿君だからな。そういうの、僕は嫌いじゃない。あっけらかんとしているくせに、案外熱血漢で。馬鹿正直でちょっととぼけていて。何よりも、悪意が全くない。
……彼女の良いと思うところがこんなに思いつくなんて、僕もアレなのかもな。差し出された綺麗な箱を、僕は黙って受け取る。
「……ありがとう……」
自分が忘れていた誕生日を、誰かが覚えていてくれて、そして喜んでくれるということは、こんなに嬉しいことなんだな。僕は初めて、そう思った。