3 甲冑師たちの集落
湿地から一段高くなった場所は、踏み固められてそれなりの道になっている。
サイに乗ったおっさんと私は、その道を南西へと向かった。南西……たぶん。太陽の向きから考えていいんだとすれば、の話。あと、停戦交渉の時にテーブルに広げられていた地図の、上が北だとしての話。
私にとっては、この世界の何もかもが、『確か』だと思えなかった。もしかして、このまま走り続けたら、世界の果ては滝のように流れ落ちているのかもしれない。
サイのスピードが少し緩んだ、と思ったら、手綱を握った手が私の太腿をビシッと叩いた。
「力、入れすぎだ」
せくはら……っ!
口には出さずにメソメソしながらうつむくと、たった今私の足を叩いた手が見える。
間近で見ると、籠手みたいなものをつけている様子もないのに、手の甲が金属的に光っている。おっさんの種族の人たちは、もともとこういう手なんだろうか。何となく、外国人の男の人は手の甲には毛が生えているものだと思っていた。いや、日本人にも生えてる人はいるだろうけど。
おっさんが毒づく。
「お前、馬にも鎧獣にも乗ったことねぇのか? ったく、一人じゃ出かけらんねぇお嬢様かよ」
サイじゃなくて、鎧獣って言うんだ……
って、一人でめっちゃ自転車漕いで出かけてたっつーの。こっちに自転車があったら、一人で乗ってサイと一緒に走ってみせるよ! 想像するとシュールだけど!
心中で愚痴る私にはお構いなく、おっさんは言う。
「そんなんだから、偉いさんたちに見くびられるんだ」
彼はぺっ、と道端に唾を吐いた。
「えと……見くびられてる、んですか」
『偉いさんたち』って、停戦交渉の時にいた人たちだろうか。と思いながら聞くと、おっさんは答えた。
「俺一人でお前を連れ出すつっても、偉いさんたちに何も言われなかったぞ。逃げたとしても、姫はどうせ一人で国には帰れぬ、とか言いやがって」
「…………」
私は黙りこくった。
悔しいけど、その通りだ。
ひたすら黙りこくってモヤモヤしているうちに、だんだん鞍上に慣れてきた。あたりの景色に目をやる余裕も出てくる。
さっきまでいた砦は、戦場の一部だった。軍事訓練のかけ声がいつも聞こえていたし、外側の建物には相手国の捕虜もいるらしかったし……。そんな場所から離れ、緑は少ないとはいえ空と山を見ながら風に吹かれると、ほんの少しホッとする。
かといって、恐怖心が消えた訳じゃない。
緊張しながらとにかく大人しくしていると、やがて山の麓に、煙が幾筋か昇っているのが見えてきた。
「鎧獣人の集落だ」
おっさんが言った。
あそこが……と見つめた私は、しばらくして「ゲッ」と声を上げてしまった。
おっさんみたいなのがいっぱいいるところに突入するんですか――っ!?
集落の入口には、目印のように二本の丸太が立っていた。手前で降りた鎧獣をおっさんが牽いて、丸太の間を抜ける。私はビクビクしながら、あたりに視線を走らせた。
ドーム型の石造りの建物が、いくつも立ち並んでいる。立ち昇っていた煙は、いくつかの建物の中に設置された炉から出ているようだ。カンカンと何かを叩く甲高い音が、集落のあちこちから聞こえてくる。
外にいる人は少なかったけれど、男の人を数人見かけた。おっさん――そういえば名前何ていうんだっけ――と同じ灰色の髪と浅黒い肌。立襟のシャツの上に、厚地のチュニックのようなものを着ている人が多いんだけど、妙に肩が盛り上がっている。下に何か、大きい肩パッドのようなものでも着けてるみたいに。
私はちらりと、隣のおっさんを見た。
おっさんが身につけている甲冑は、肩の部分と胴体の部分のパーツが別で、色も少し違う。それに、額や手の甲の金属的な部分……
『鎧獣人』、って言ってた。もしかして、身体の一部が鎧そのものなのかな。肩の甲冑が身体の一部なんだとしたら、その上に服を着ればあんなふうに盛り上がりそうな……
「ここにいるのは、甲冑師たちだ」
歩きながら、おっさんが言った。
「甲冑師……あれ?」
つぶやく私に、おっさんが片方の眉を上げる。私は、何でもない、という意味で首を横に振ったけれど、ちょっと考え事をしていた。
甲冑と鎧って、どう違うんだろう。ていうか、違うの? 同じ意味?
それは今の私には確かめようがなかったけれど、『甲冑獣』とか『甲冑獣人』とは言わないようだ。もともと身体に金属的な部分を持って生まれた場合、こちらではその部分を『鎧』と呼ぶのかも。
それにしても、こちらの言葉……
「おい、よく見とけ」
おっさんの声に、我に返る。私は急いでおっさんの後に続き、いくつかの建物を順に回ることになった。
サイを広場のような場所につないでから、最初にのぞいた建物は、鍛冶屋さんだと思う。赤く光る金属の塊、肌で感じる炉の熱、職人の身体から立ち上る蒸気。金属を打つ音がお腹に響く。
その次が、小さな金属の輪をつなぎ合わせる鎖帷子職人さんの仕事場。作業台の上には、いくつもの道具が散らばっている。
その次は、甲冑に蝶番をつける仕事場。そして、模様を彫り込む彫刻師の仕事場……
集中、そして忍耐。
真摯な仕事ぶりに引き込まれ、最後の建物にたどり着いたときには、見ていただけの私まで何だか消耗していた。
「ここに並んでるのが、調整待ちの甲冑だ」
おっさんはお構いなしに、部屋の中を大雑把に示す。何だか今までの建物と雰囲気が違うと思ったら、女性たちがたくさんいた。仕上げなのか、布で甲冑を磨いている。
「えっと……ここから好きな甲冑を選ぶと、それを手直ししてくれる、ってこと……?」
何か質問しなきゃ、と思って聞いてみたけど、
「最初から注文者の身体に合わせて作んだよっ」
と、いちいち怒ったような言い方で言われる。うう……
でもそうなんだ、甲冑ってオーダーメイドで作るんだ。MサイズとかLサイズとか、何種類かある中から選んで買ってくるのかと思ってた。
それ以上なにも聞けずに黙っていると、おっさんはやがて面白くなさそうに言った。
「まあ……身体に合わせて作るのは、ここでは、って話だ」
私が尋ねるように見上げると、おっさんは言った。
「ここは特に、技術力のある奴らが集まった集落でな。偉いさんの身体に合わせて作ってる。他の場所ではそうとは限らない。歩兵が着るものはわざと隙間を作るな、動きまくるから。下に着るもので身体を甲冑に合わせる」
なんだ、既製品も作るんじゃん。着る人の方が、甲冑に身体を合わせる、ってことだよね。
でもおっさん、偉い人の甲冑ばかり作ることに、複雑な思いでもあるのかな。言い方が、何だか、こう……
「ヴァレオ! どうした」
いきなり声がして、入り口から二人の男性が入ってきた。
一人は、ふわふわした白髪に白髭のおじいさん。腰は曲がっているけど、それでも私と同じくらい背が高く、やっぱり肩のあたりが盛り上がっている。
もう一人の男性は、普通の体型、普通の人間に見えた。柔らかそうな栗色の髪を後ろで一本に結び、髭もないので、若々しい容貌が見て取れる。二十歳前後くらいかな。
おじいさんは、おっさん――そうそう、ヴァレオさんだった――の名を口では呼びながらも、私の方を凝視していた。驚いたように言う。
「ヴァレオ、こんな娘さんに、なぜ甲冑を着せている!?」
おっさんが答えた。
「俺が着せたんじゃねぇよ。長、こいつ……この娘が、巫女姫だ」
長はますます目を見開いた。目と声に、怒気がこもる。
「こんな小さな女の子が、戦場にいるだと!?」
ほらやっぱり! ここもおっさんみたいな人だらけなんじゃないのー!?
自分が怒られたわけでもないのに、私はその迫力にビビって甲冑を発動させ、すんでのところでおっさんのつっかえ棒(鞘つきの剣)に止められた。がちーん。
「なんと……鎧獣人でも、精霊使いでもないようなのに、この様子は」
発動を目の当たりにして、驚く長。
「まさしく女神の力。……この子が無防備にこんな場所にいることを、ナジェリがお望みになるはずはない。守るために授けられたお力なのだろう」
私はその言葉を聞いて、ちらりとおっさんを見た。おっさんはその視線に気づいて一瞬私を見たけど、何でもないように長に視線を戻す。
……どうやら長は、おっさんと違って、私が本当にナジェリから遣わされた巫女姫だと思っているらしい。どこかから連れて来られた、ただの女の子だと知っているのは、砦にいる『偉いさん』たちとかおっさんとか、一部の人だけの秘密なのかな。
おっさんは答えた。
「それにしたって、この甲冑を見てくれよ。こいつに合う大きさがないってったって、こんな粗悪品はねぇだろ? こいつに新しいのを作ってやってくれ!」
……粗悪品て?
私は自分の甲冑を見下ろして、そういえば、と思った。
この場にいくつか並んでいる甲冑と、自分が身につけているものを見比べると、材質も違うっぽいし、何だか自分の方が動きにくそうな感じがしたのだ。
巫女姫とか呼ばれてはいるけど、所詮、仮のお姫様だから。そういうことなんだろう。
……私、どうなっちゃうんだろう。停戦交渉が終わって、用済みになったら。
うつむいていると、柔らかな声がした。
「二人とも、あんまり大きな声出さないで。彼女、怖がってるみたいなんだけど」
長髪の人が両手で何かを押さえるような仕草をしてから、私を見た。灰色――銀色? の大きな瞳。
「僕はグラーユ。彫刻師で、こいつの友達。よろしく」
おっさんを指さしたグラーユさんは、微笑んで自己紹介してから、言った。
「名前を聞いてもいいかな?」
私はオウム返しに尋ねてしまった。
「な、まえ?」
この世界に呼び出され、最初に名前を聞かれた。それなのに、それっきり名前を呼ばれたことなどなかった。巫女姫、とばかり呼ばれていて……。
「あんだろ、名前。なんていうんだよ」
黙っている私をおっさんが小突く。グラーユさんが、ぴくり、と眉をひそめた。
「ヴァレオ、知らないの? 彼女の名前」
「知らね」
「聞けよそこは! 全く、ぞんざい過ぎるにも程が」
「あ、あの」
私は両手を握ったまま、ほんの少しだけ、しっかりした声を出すことができた。
「名前。寿々、です」
「ズーだ、ズー」
動物園か、おっさん黙れ。と思っていると、グラーユさんが代わりに言ってくれた。
「ヴァレオは黙って。ええと、す、すず姫、か」
「……姫じゃ、ありません。姫じゃ……」
目元が熱くなり、涙が勝手に盛り上がった。
唇をかみしめてそれ以上話せなくなった私に、長が近づいた。ほんの少し身を引いてしまったけど、長は構わず、ごつごつの節くれだった手で私の頬を撫でる。
「こんな綺麗な肌、綺麗な瞳で育ってきた娘さんが……。ナジェリに選ばれたとはいえ、親御さんはさぞ心配しているだろうに」
私は言葉もなく、長を見つめ返した。
女神の御使いとして、急に現れた「姫」。こちらの世界に来てから、私はそう扱われるばかりで、誰も私の過去など気にしなかった。普通の女の子だと――ううん、こちらでは何が普通かわからないけど、親がいて友達がいて平和に暮らしてきた女の子だと、扱ってなどくれなかった。
でも、今、この人は……
「何もできない私らを許しておくれ。女の子の甲冑を作るのは初めてだが、せめて私らの作った甲冑がお嬢さんの力になるように、祈りを込めて作らせてもらうよ」
長は優しく、目を細める。
「……ありがとうございます……お願い、します」
つぶやいたとたん、恐怖ではない涙が、ぽろりとこぼれた。
まるで、グラスの中の氷が溶けて、カラン、と音を立てるように……心が動いた。
私はその場でうずくまって、泣き出してしまった。