獣人王国の精霊使い 3
食事までにはずいぶん時間があったので、私とヴァレオさんはさっきの部屋に戻ることにした。
「すず、いいな? これからのことは俺だけが決めるんじゃない、お前の人生でもあるんだ。どうしたいかちゃんと言えよ」
ヴァレオさんは言ってくれたけど、私はただうなずいて、こう言った。
「ちょっと、疲れちゃった。夕食まで、休みたい」
「……わかった。俺は今の話を長にしてくるから」
ぽん、と私の肩を叩いてから、ヴァレオさんは部屋を出て行った。扉が閉まる。
私は天蓋つきのベッドに、ごろんと転がった。
目を閉じると、ルザミさんのくっきりした顔立ちが浮かぶ。……綺麗な人。
ここに到着したとき、ルザミさん、ヴァレオさんに「我が主になって下さいませ」って、言った。「お側で、全力でお助けします」とも。
鎧獣人たちばかりの王国で、ヴァレオさんが王様になったら。
王妃になるのは、何もできない人間の女の子よりも、あんな風に綺麗で強い人が──
一度目を開いて瞬きをすると、浮かんだ映像は消えた。私は横向きになると、頭を空っぽにするように努めた。
……気が付いたらいつの間にか、部屋の隅に置いてある自分の荷物を見つめていた。
戻って来たヴァレオさんが、
「ここにはでかい浴場があるらしいぞ」
と教えてくれて、私は思わず「ほんとっ!?」と声を上げてしまった。
それは岩風呂と言うか、洞窟温泉とでも言うべきお風呂だった。山肌を掘った奥に、温泉があったのだ。
鎧獣人の女性たちと入るのは、自分だけ容姿が違うので何だか抵抗があって、私は皆が入った後にこそっと入らせてもらった。とーっても気持ち良くて、ごちゃごちゃになっていた頭の中もずいぶん落ちついた感じ。
服装も、ユグドマから持ってきたチュニックとスカートに改めると、自分がこちらの世界にも所属しているという実感がわく。
全員が旅の汚れを落とさせてもらった後で、広間で宴会が始まった。
石の床に敷かれた豪華な絨毯の上に、直に座る形。和風の家に住んでいた私には馴染みのある習慣だ。長もちょっとだけ顔を出して、皆を安心させてくれた。
食事は、私の好きなあの炊き込みご飯に、肉と野菜の串焼き、川魚の燻製と野菜を巻いて食べる薄いパン、スペイン風オムレツに似た卵料理、それに果物……と山盛りで、すっごく豪華。
食欲旺盛な鎧獣人たちはたくさん食べると、後半は怒濤の飲み会に突入した。鎧獣人、ザル! 私のお母さんみたい。
その頃になると、お城中の人たちが入れ代わり立ち代わりやってきて、挨拶代わりに乾杯し始めた。鎧獣人って、基本的にフレンドリーだなぁ。
この国では、私くらいの年の子でも飲酒してるらしい。私は断ったつもりだったのに、いつの間にか飲み物にお酒が入っていて、うっかり一口飲んでしまった。あわててやめたけど、ほわーんとなった視界で私は広間を眺めていた。
ヴァレオさんは顔色一つ変えずにぱかぱかと杯を干すと、
「ちょっと行ってくる」
と仲間の鎧獣人たちのところへ行って、何か話し始めた。これからの相談をしてるのかな。
そのグループの何人かが、私をちらっと見る。
ん? 私のことを話してるの?
気になった時、
「すずさん!」
と横からこの国の鎧獣人さんに話しかけられて、私はそちらに気を取られてしまった。
「は、はいっ」
振り向くと、二人の若い獣人さんたちだった。額と手の甲に小さな金属部分、そして首周りは細めだから、女性。
「私たち、城専属の彫刻師です」
二人はにこにことそう自己紹介した。グラーユさんみたいな仕事をしている人たちらしい。
「よくあの山脈を、鎧獣人たちと越えてこられましたね! 見た目より強いのね」
「え、私!? えと、いえ、助けてもらってばかりで」
あわてる私の前に、一人がオムレツの皿を引き寄せる。
「たくさん召し上がってますか? しっかり食べて、疲れを癒さないと」
「お部屋、大丈夫ですか? ごめんなさい、人間の女性用のものがここにはないから……。掛け物とか、うんと柔らかいのじゃないと、肌が傷つきそうだわ」
もう一人が私の顔や手を心配そうに見ている。
──なんか、これって……。
私は思い出した。親戚が小さい子どもを連れて遊びに来たときの、お父さんやお母さんの反応にそっくり。「自分で歩いてきたの、偉いねぇ」「ほら、もっと食べな」「タオル、こっちの柔らかいやつ使ってね」……
……大きくて強い鎧獣人の国では、一人だけ紛れ込んだ人間の私って、そういう感じなんだ。
自分だけが浮いていることをまざまざと感じて、また少し、気分が落ち込んでしまった。
そんな時に探すのは、ヴァレオさんの姿。私は彼がいる方を見て――ドキッとした。
話の輪に、摂政のルザミさんが加わっていたのだ。昼間と同じ、甲冑フル装備にマントをつけている。まだ仕事があるのかな。
皆でお酒を酌み交わしながら、時々起こる笑い声。ヴァレオさんは後ろ姿で、表情は見えない。
ルザミさんがヴァレオさんに何か話しかけ、ふとこちらを見たので、私はあわてて視線を逸らした。
「私たち、ずっと、王のいないまま過ごしてきたんです」
彫刻師の一人が言って、私はハッとそちらに意識を引き戻される。
「摂政自身、王家の遠縁にあたる方ではあるんですけど、血が薄くて門の開放などの記憶は受け継いでいません。立派にお役目を果たされていますけど、その役目を欲しがる人もいて……」
もう一人も言った。
「役目を望んだわけではないけど、やっぱり変な人にその役目を明け渡すわけにはいかないと、頑張ってらっしゃったんですよ。いつか王が帰ってきたとき、恥ずかしい国を見せたくないって」
「そうですか……」
私はしみじみとしてしまいながら、お茶をすすった。
巫女姫の役目も、望んだんじゃなかったけど、結局放り出せなかった。そんな自分と、ルザミさんの立場が重なる。
でも、今度はヴァレオさんがその立場になるのかな。望んだ訳じゃないのに、王の役目を……?
望まなくても、その時その場所にいた人が、大きな役目を担うことがある。最初から決まっていたのではなくて、後から振り返ったときに、その偶然が誂えたようにぴったりはまって見える――それが、「運命」と呼ばれるものなんだろうか。
「妻に、何か用か?」
そのヴァレオさんが、急に会話に加わった。私の横にどっかりと座った彼に、二人が面白そうに答える。
「すみません、つい話しかけてしまいました。すずさんがあんまり可愛らしくて」
「お二人は、どういう馴れ初めで?」
ヴァレオさんはあっさりと答える。
「俺がほとんど強引に、妻にした」
「えっ、だって婚姻の儀式は?」
「どさくさに紛れて略式で押し切った」
「うわぁすごいっ!」
……獣人さんたち、きゃあきゃあしてる……
でもヴァレオさん、ここでも当たり前のように私を妻だって言ってくれる。それがちょっと嬉しくて、私はヴァレオさんと視線を合わせると笑顔を見せた。うつむいてばかりいたら恥ずかしいもんね。
ヴァレオさんはそんな私を見て、「やれやれ」って感じで鼻を鳴らしていた。
すると、一人が笑いながら言った。
「こんな獣人だらけの荒っぽい場所で、すずさんが嫌にならないように、大事にしてあげてくださいね。婚姻を反故にされちゃわないように」
え? 反故?
どういうことかと口を開きかけた私の肩を、ヴァレオさんはぐいっと抱いた。
「あったり前だ、離す気はねぇ」
ふと振り向くと、またルザミさんが、こちらをじっと見つめていた。
私たちが泊まっている客室棟(?)の廊下には大きな台が出してあり、そこにランプと、手に持つタイプの燭台がいくつも置いてあった。ヴァレオさんはランプから燭台に火を移し、それを持って部屋に入る。
「あー、久しぶりに飲んだな」
小卓に燭台を置き、ヴァレオさんはベッドに倒れ込んだ。私は側に近づいて、尋ねてみた。
「あの……ヴァレオさん。精霊による婚姻の結びつきって……解けるものなの? さっき、反故って……」
「…………」
ヴァレオさんはうつ伏せたまま、しばらく黙っている。蝋燭の炎が揺れ、ベッドの周りだけを柔らかく照らしている。
ヴァレオさん、寝ちゃったの? と思ったとたん、顔が私の方を向いた。赤銅色の瞳が私を映し、彼は答える。
「解こうと思えば解ける」
……何となく、不機嫌そうな色が声に混じっている。
「どうやって?」
言うと、ヴァレオさんはむくりと起きあがって、手を伸ばして私を引っ張り寄せた。抱き込むようにされて、そのままベッドの上を転がる。
「わっ、わ」
「……言いたくない」
ヴァレオさんが、私の肩口に顔を埋めて動きを止めた。……私、ヴァレオさんの、下になって……
「あの、ちょ」
びくともしない腕の中でもがいていると、ヴァレオさんはそのままボソッと言った。
「ただでさえ、俺に愛想尽かしたらお前はニッポンに帰っちまうだろ? そのまま、こっちに戻らないことだってできる。選択権はお前にある。婚姻の結びを解く方法くらい、俺が黙ってたっていいだろ」
「ほ、他の人に聞いちゃうかもしれないじゃない」
「聞きたいなら聞け。俺からは教えない」
まるでふてくされているようなヴァレオさんの声が、耳元をくすぐる。お酒の匂い。
「結びを解かれてお前が行っちまったら、俺は……」
私は、もがくのをやめた。
……まさかとは思うけど、ヴァレオさん、不安なの? 私がこっちより、日本を選ぶんじゃないかって……
例えば今、私とヴァレオさんが喧嘩とかして、私が日本に帰っちゃったとする。ヴァレオさんは私と婚姻を結んでいるから、私を追って日本に来ることは可能なはず。
でもそうしたら、もう私もヴァレオさんも、こっちの世界には戻れない。精霊が結びつけた人間が、こっちに残っていないからだ。ヴァレオさんには肉親がいないから……
巫女姫としてこっちに呼び出され、ひとりぼっちだった私よりも、ヴァレオさんが日本にたったひとりの鎧獣人になるほうが、過酷な気がする。私には帰る術があったけれど、ヴァレオさんにはない。こっちには人間がたくさんいるけれど、日本どころか地球のどこにも、鎧獣人はいないから。
つまり、彼が日本に来ることは、あり得ない。婚姻の結びがどうであれ、私が日本に行ったまま帰らなかったら……私たちはもう、会うことはないだろう。選択権は私にあるとヴァレオさんが言ったのは、きっと、そういうこと。
「……私が決めるって……私は、ヴァレオさんと離れたいなんて思ってないよ? でも……」
つぶやいた私がふと気づくと──
寝息が聞こえる。……ヴァレオさんは、眠っていた。
私はずりずりと彼の身体の下から這い出すと、ベッドの上に座ってため息をついた。
翌日、私たち一行は都市の中を見て回ることになった。
長はまだ体調が良くなかったんだけど、当時のことを知っている人が見つかり、その人が城を訪ねてくれるらしい。親族の話が聞けるといいけど。
私たちは徒歩で城を出て跳ね橋を渡り、石畳の坂道を歩いて町に降りた。城と同じく、鎧獣人の町だけあって人間の町より色々なものが大きめに作られている。石造りの建物の高さ、入り口の大きさ、道の幅。何だか、自分が少し小さくなったような気がする。
鍛冶屋や細工屋、金属製品の店がとにかく多くて、革製品の店なんかも目についた。仲間の獣人たちは興味津々で、製品を手に取ってみたり、お店の人と話をしたりしている。
「活気があるな」
「うん。ユグドマの集落では武器防具ばっかり作ってたけど、こっちは生活用品が多いね。平和っていいな」
ヴァレオさんとグラーユさんが話をしている。私も、店先に飾られている小物を見るのはとても楽しかった。
「すず、何を見てんだ」
ヴァレオさんが、私の肩越しに顔を出す。
「あ、これ……何だろうと思って。小物入れ?」
私が指さしたのは、定期入れよりも一回り大きな金属のケース。全面に細かい模様が彫り込んであって、とても綺麗だ。
「ああ、これはゼヴィ入れだ」
「ゼヴィ?」
「こっちに細長い器具があるだろ。ここにゼヴィの草を詰めて、火を……」
「あぁ」
パイプで吸う、タバコかぁ。こっちにもあるんだ。
「すずは、こっちの方がいいんじゃない?」
グラーユさんに呼ばれて向かいの店を見に行くと、そこはアクセサリー屋さんだった。薄い金属の板に透かし模様を彫り込んで、ペンダントヘッドや髪飾りにしてある。綺麗な石が嵌めこんであるものもあった。
「わ、綺麗」
「こういうのなら、僕も作れるよ。どういうのが好き?」
「この、蔦模様みたいなのとかいいな……あ、ええと」
私はあわてて、グラーユさんに言った。
「わ、私も何か、仕事見つけなきゃ。それでお金ためたら、グラーユさんに何か注文させてね」
「そんなの、ヴァレオに払わせればいいのに」
グラーユさんは、意味ありげにヴァレオさんを見た。ヴァレオさんはどこか面白そうに、視線を返すだけだ。……何だろう?
ううん、それより。
こちらの世界の私は、最初は巫女姫としてあたふたやって、それから旅をして、ここにたどり着いた。そして、ここで暮らすかもしれない。それならもうちゃんと、何をして暮らしていくかを考えないと。
何のスキルも持たない私は、勉強しなくちゃいけない。そのためには、何が必要?
城に戻ってすぐに、仲間の鎧獣人たちは、誰からともなく中庭に集まって話し合いを始めた。鍛冶仕事に関する専門的な話らしい。
ヴァレオさんも加わり、二言三言交わしてから、私を見る。
「すず、すまん、長くなりそうだ」
「大事な話?」
「この都市の職人たちと合同で、仕事をすることになった。一緒にやりながら、技術交換だな。親睦も深めつつってところか」
「あ、いよいよだね」
私はちょっとわくわくし始めた。ここで暮らす人たちにとっては、生活の第一歩だもんね。
そんな、未来に向かう動きに、私も引っ張ってもらいたい。私は思いきって、ヴァレオさんに言った。
「あの、それじゃあね、みんなが仕事してる間に……私、勉強したい」
「勉強?」
「うん。何でもいいんだけど、まずは読み書きかな……。本当は、すぐに何か仕事を覚えないといけないのかもしれないけど、読み書きができないのはちょっと不安で。こっちで暮らしていくなら、今のうちに覚えたい」
「すず」
ヴァレオさんは、軽く目を見開いた。
「お前……」
「何?」
「こっちでの暮らしを、考えてるんだな? いや、ニッポンにはたまに帰るとしても……俺とこのまま暮らして行くって」
「え、何、言ってるの」
私はドギマギしてしまった。
「かかか、考えるよ、当たり前でしょ。そりゃ、婚姻を結んだのは『一応』かもしれないけど」
「『一応』じゃなくて、いいってことだな?」
ヴァレオさんは、私の両肩にガッと手を置いた。ヒイッ、となる私。
「ま、待って。でも、ヴァレオさんが王様になったら、私どうすればいいの」
「ねえよ。でもまあ一応聞いておく、そうなったら妻のお前はどうしたいんだ」
「わからないよっ、そんな状況考えたことなかったもん! いつか自分が結婚したらのイメージなんて、家事とか育児とか、ええっ育児ぃ!?」
自分の言った言葉に仰天する。わ、私がヴァレオさんのこっこっ子どもを、えええ!?
ヴァレオさんは真っ赤な私を見て軽く吹き出したけど、すぐに表情を引き締めた。
「今はこの城に居候だが、この仕事が一段落したら、俺たちのことをちゃんとするぞ。『正式に』だ。いいな」
「は、はい」
反射的にガクガクうなずく私に、ヴァレオさんはニカッと笑って──
ガッ、と今度は後頭部をつかまれ、バクッという形容がぴったりなキスをされた。まだ何回かしかしていないキスだけど、ドキドキするのと同時に、この食べられそうな感じがちょっと怖い。キスってこういうものなの? 何か違う気がするよ……
「──文字の勉強のこと、ルザミに聞いてみよう。今日のところは部屋にいてくれ。退屈ならソルティのところでもいい。話が終わったら、すぐに行くから」
ヴァレオさんはそう言うと、皆の輪に向かって歩いていった。
私はあわてて踵を返すと、厩舎に駆け込んだ。この都市には鎧獣もたくさんいる。ソルティと塩豆の房まで行くと、私は少しひんやりしているソルティのおでこに自分の額をつけて、火照った顔を冷やしたのだった。
それから、ヴァレオさんは仕事、私は勉強の日々が始まった。ルザミさんが、城の下働きの人に文字を教えている先生に声をかけて、私の部屋にも来るようにしてくれたのだ。こちらでは、しゃべれるけど読み書きできない人が結構いるので、私がそうでも不審がられることはなかった。
その先生は鎧獣人の女性だったけど、やっぱり私のことを可愛い可愛いと甘やかす。
そういえば、ユグドマで初めて鎧獣人の集落に行ったときから、皆優しかったな。人間に、ひどい目に遭わされたはずなのに。
それはやっぱり、私が幼い子どもみたいだから……?
……考えると落ち込むので、やめよう。
私はとにかく、文字の勉強にいそしんだ。
どういうわけか、時々ルザミさんが様子を見に来る。やっぱり甲冑フル装備にマントだから、仕事をわざわざ抜けてきてるんだと思う。
食事や休憩に戻って来たヴァレオさんと、
「何でお前がここにいんだよ、邪魔すんな」
「あら、いいじゃないですか。不自由なことはないかしらって、心配で」
なんて、二人で会話している。どんどん、口調が打ち解けて行ってるような……
気にはなったけど、私は勉強に集中しようと努めた。




